Sと焦燥
「Sと群像」シリーズ #2
私は、そのメールアドレスと携帯番号を見て、嫌な予感がした。見覚えがあるような気がした。
皐月。ぼそりと呟き、私は携帯の暗証番号を入力した。手が震え、2度ほど打ち間違える自分に腹を立てた。それでも頭の中は娘のことでいっぱいだった。
携帯番号、メールアドレス。思っていた通りだった。そしてそれが意味する最悪の結果を私は考えずにはいられなかった。
「また話がしたいです。」
今はもう、あの高い声も落ち着いているだろうに、私の耳には20年前の彼女の声がこだましていた。
私はゆっくりと発信のボタンを押した。2回ほどコール音が鳴り、ぶつ、という音が聞こえるなり叫んだ。
「さつきッ!!」
数秒の空白の後、相手は嬉しそうな、甲高い子供のような声で応えた。
「先生!」
私は目の前が真っ暗になった。彼女が娘の携帯を持っているということは、盗んだ可能性もある。しかし彼女がそれだけで済むと思えないというのは、私が一番分かっていた。絞り出した声は震えていた。
「三頭……?」
「嬉しい!こんなにすぐ電話してくれるとは思ってなかった!」
「こんなことはやめてくれ!私になら分かるが、娘は何の関係も--」
ない。そう言おうとした瞬間、急に真面目な声で遮った。
「え?何言ってるの、先生。」
言っている意味がわからなかった。いやな汗が背中を伝った。
「先生、また会いたい。今からでも会える?」
「娘は……娘は何処にいるんだ?!」
「どうしたの、娘、娘って。最初皐月って呼んでたのも娘さんのこと?」
「何をとぼけてるんだ……!この番号は私の娘のものだろ!!」
彼女はしばらく黙っていた。がさ、がさという物音の後、遠くで半狂乱の女の声がした。
「……聞こえた?もういいよね」
ぞくり、と寒気がした。答えられない私に彼女は一方的に続けた。
「◯◯駅南口のカフェ、分かる?今は……6時過ぎ。7時までに来てね」
ツー、ツーという音が、私の返事を彼女に届くことがなかったのを意味していた。
私は携帯を持っている手が震えていることに気がついた。あの小さく聞こえた声が皐月のものであったとしたら、彼女は今まさに娘の家にいるということだ。指定された駅も、娘の下宿先の最寄り駅と同じだった。もし彼女に従わなければ、時間通りに彼女に会わなければ、娘がどうなるか想像もしたくない。
どうして彼女が、今になって私の元に再び現れようとしているのか、私には分からなかった。昔からそうだった。彼女のことを理解できたことなんて一度もなかった。それでも、私は行かなければならない。携帯と財布、必要最低限のものだけを掴んで、私は家を飛び出した。
ダイニングテーブルに置きっぱなしにされたコロッケは、もう冷えていた。