Sと錯覚
「Sと群像」シリーズ #16
電話が鳴った。それでいい。私は通話ボタンを押した。
「もしもし」
「あっ……!出た!」
電話の奥から、ざわついた声が聞こえた。逆探知だろう。私は駅のゴミ箱に携帯を捨てた。
もう戻れないし、戻る気もなかった。憎悪の解消というものは50代で見つけるには遅すぎるほど気持ちが良い。あとやることは一つだけだ。
電車は混んでいたが、下り線は駅を通過するごとに人が減っていき、目的地に着く頃にはまばらだった。
この駅の周りは都会の中では一番自然が多く、私はしばしばハイキングに行っていたものだ。
「懐かしいな」
10分ほど、整備された山道を歩くと視界が開けた。
少女S事件はここから始まったのだ。
この山中の広場はちょっとした公園になっており、子供たちが遊んでいることもしばしばだった。事件後、嫌なイメージがついて子供はほとんどいなくなってしまったが、私は静かな公園も嫌いではなかった。
私はベンチの上に立ち、太い木の枝にロープを結んだ。どうせ捕まれば同じようなものだ。死んだように生きるのと死ぬのに何の違いがあるだろう。
娘の元には行けない。
首にロープをかけ、ベンチを蹴ろうとしたその時、背後から声がした。
甲高い、忌々しい声だった。
「三頭」
「死ぬつもり?」
「しぶといやつだな」
「殺さなかったのが間違いね。……先生は臆してる。私を殺さなかったのも、生かす理由があったからじゃない。殺人を犯すのが怖かったんでしょう」
どうしてここにいるんだ。殴り蹴り、絞め殺そうとした痕は綺麗に消えて、人形のように張り付いた笑顔がそこにあった。
「先生」
三頭はそう言うと、私の喉を刺した。
「ぐぁぁッ…………!!」
息が喉を抜けていく音がした。
「手伝ってあげる」
ベンチを蹴られ、私の足は地につかない。喉の傷口がロープと自身の重みで上下に開いていく。痛みが思考を遮る。
芹沢は必死に叫んだ。
「三頭、三頭、さんずーーーーーーッ!!!!!!!!!!」
誰もいない公園で声が拡散して、誰にも届かないというのに。
「Sと群像」シリーズ#17はこちらです。
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