Sと仕事
「Sと群像」シリーズ #14
当たり前の毎日。暗い、灰色の毎日。今日もそのはずだった。
「君。」
不意に声をかけられ、顔を上げると、50代くらいと見える男が俺に話しかけていた。俺?という仕草をするとそうだ、と言わんばかりに男は頷き、そして言った。
「失礼だが、仕事は?」
本当に失礼だな、と苦笑いしながら手をぱたぱたと振る。
「1日で100万の仕事があるならやるか?」
突飛もない話に思わず笑ってしまった。仕事はないし、そのせいで家も失ったが、これでも大学は出ているのだ。日給が100万円の仕事なんてないし、あっても犯罪まがいだということくらい分かる。
「馬鹿にしてんの?」
「いいや、本気だ」
男の顔はどこかで見たことがあるような、ないような気がした。それなりに貫禄があるし、わざわざ詐欺をするほど金に困っているとは思えない時計やスーツを身につけている。
「急ぎなんだ。君、どうか引き受けてくれないか。直近で金が必要なら、上乗せするのも考えよう」
わざわざ粗末な身なりの俺に話しかけてくる理由は分からなかったし、俺に頼る必要も感じられないので怪しいことは確かだが、どうせ明日に未練などない。俺は一攫千金のチャンスに賭けてみることにした。
「…………内容は?」
「留守番。」
「……は?それだけ?」
「まあ厳密に言うと、留守番と数回の電話、と言ったところか。それも決まり通りに喋るだけでいい」
「ますます怪しくなってきたぞ」
「それはそうだろう」
「……わかったよ。今から家に向かうのか?」
「ああ、私は家には行かないよ。鍵と地図と携帯を渡すから、君が行ってきてくれないか。金はリビングに置いてある。足りなければ装飾品なんかを持って行ってくれて構わない。」
「なんだその契約……」
「とにかく頼むよ。来客があれば出てくれ。」
「何時までの留守番なんだ?それに、家に人はいるのか?」
「……人はいない。じゃあ、よろしく。」
「あっ!……おっさん、名前は?表札を確認しないと……」
人混みに紛れていく男は振り返るとこちらに戻ってきて、耳元で小さく言った。「芹沢、だ。」
俺はこの芹沢と名乗る男が自分の名前を名乗ることに対して敏感であるように感じられたが、名前を叫ぶと言うのも変だというのにその違和感を抱いた理由は分からなかった。