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第一章 松代大本営-1

 車体前部にある起動輪が回転することによって履帯が送られ、鋼の車体が前進する。

 アウレーリアの滑らかな運転で、大地たちの乗った九七式中戦車チハはジーゼルエンジン特有の動作音を響かせながら松代大本営へと到着した。

 その背後には車体後部左右にある消音器から盛大に吐き出された排煙がたなびく。


「排煙は相変わらず酷いが、左右は均等だな」


 大地はつぶやく。

 九七式中戦車チハはシリンダーを左右V型に配した十二気筒エンジンを搭載していた。

 それから繋がっている排気管は片側六気筒分の排気を左右の消音器へと振り分けている。

 シリンダーの内一気筒が死ぬなど不具合があると排気が左右で偏りが生じる訳で、左右の排気が等分ということは、エンジンに大きな異常が無いことを示していた。

 気になる異音も無い。


 松代大本営は先の第二次世界大戦の激化に伴って東京から長野県埴科郡松代町に移設された日本帝国の本拠地だ。

 松代町の象山、舞鶴山、皆神山の三箇所が掘削され、象山地下壕には政府、日本放送協会、中央電話局が、舞鶴山地下壕付近の地上部には、天皇御座所、皇后御座所、宮内省が建てられている。

 戦中の空襲で焼け野原となった旧帝都、東京の復興も考えられているそうだが、大異変により異界の化け物や魑魅魍魎が現れるようになってしまった現在、なかなか進めることができないらしい。


 例えば、全長が十メートルを超える大ムカデはその強靭な顎で軽戦車の装甲程度は容易く食い破ってしまう上、強い毒を持つ。

 全身を覆う甲殻は銃弾すら弾き返してしまうため、対抗するには軍隊、それも特別な装備をしたものが必要だった。

 平安時代にこれを退治したという俵藤太、藤原秀郷の弓はよほどの強弓だったのだろう。

 その弓とてそのままでは通じず、最後の一本の矢に唾をつけ、八幡神に祈念して射たことで倒すことができたというから呪術的な加護が成し得た業かも知れないが。

 変化は人のつばに弱い、とはいう。


 また、死霊の集合体であるという巨大な骸骨、ガシャドクロは生きた人間を見つけると見境なく襲い掛かる。

 巨人のような膂力は脅威だし、死人の骨が組合わさった身体は、砕いてみたところで瞬時に別の骨によって接ぎ直されてしまう。

 戦車隊や野砲などの砲撃ですりつぶすか、祓うなら高位の神官の神通力や僧の法力が必要だった。


 これら異界から現れる怪異の退治や狩猟による肉の確保が、大地たち松代大本営の守備を固める戦車連隊の仕事だ。


 アウレーリアは操縦手席の両脇に突き出た左右二本ずつ、計四本の操向ハンドルと、アクセル、ブレーキ、クラッチのフットペダル類、そして前進四速、後進一速の変速機に繋がる変速レバーを巧みに操って車庫の定位置に九七式中戦車チハを停車させた。

 小柄な彼女のため、操縦手席には彼女に合わせた特製の座席が据え付けられていたが、それを考慮に入れても見事な操縦だった。

 周囲には、対戦車能力を持たせるために弾速が早い長砲身の戦車砲を搭載した新砲塔チハや、チハの半分の重量しかない九五式軽戦車ハ号などが並んでいる。

 アウレーリアはエンジンを停止させ始動キーを抜く。

 彼女に戦車の操縦を教えてから一週間足らずだが、その操作は大地の目から見ても完璧だった。

 陸軍少年戦車兵学校で厳しい指導の上、体得した大地にしてみれば驚く他なかったが、天人とはそういうものらしい。

 生物的に、完全に人間より格上の存在なのだ。

 人より更に神に近いと言い換えても良い。


 大地は砲塔の上部にある展望塔のハッチから出ると、車体左前にある機関銃の射手兼通信手用の乗降ハッチを開けた。

 とても狭く乗り降りしづらい戦車の車内で苦労している楓の手を取り、その柔らかさに戸惑いながらも彼女を車外へと引っ張り出す。

 女性特有の繊細な手は、何度握っても慣れることは無かった。

 飛竜撃破の興奮冷めやらぬ様子の楓は、大地に対して素直に胸の内を打ち明けた。


「何か、神事を行うときぐらい、ドキドキしましたね」


 彼女を乗せるようになってから、戦車砲を撃ったのは初めてだった。

 無理もないことかも知れなかった。


「慣れさせるため、前もって空砲でも撃っておけば良かったか」


 大地は苦笑する。

 楓は左前泥除け、履帯キャタピラー上部と足をかけて地上へと音も無く降りた。

 衣手がふうわりと舞う。その様は絵巻物から抜け出したかのようで、大地は一瞬見惚れてしまった。


 そして次は操縦手席のアウレーリアだ。

 彼女の小さな手は練絹に似て白く滑らかだった。


 しかし大地はふと気づいて鼻を鳴らしつぶやいた。


「排気が、いい匂いをしてるんだよな」


 無骨な戦車に似合わずどこか香ばしい気がする。


「それは大地、食用油の廃油から精製した油が燃料じゃからな」


 アウレーリアが、大地の手を借りてハッチから車外に出ながら答える。

 幼い姿の彼女は楓以上に軽く、まるで鳥の羽根のようだった。

 日本帝国陸軍の戦車は、ガソリンより入手しやすく爆発の危険性の少ない軽油を燃料とするジーゼルエンジンを採用していた。

 そしてジーゼルエンジンは、食用油から精製した油でも動くのが特徴だった。


「石油は貴重品だものな」


 大地はうなずく。

 海外からの石油の供給が断たれた現在、秋田県や新潟県などにある国内のわずかな油田から得られる石油は貴重品だ。

 だから現状、戦車を動かしているのは食用油の廃油から精製されたという油だし、エンジンオイルは椿油だ。


 大地たちに続いて、解体した飛竜の肉を荷台に積んだ武骨なトラックが次々に到着する。

 長く突き出たボンネット、前方に二輪、後方に四輪を配する九四式六輪自動貨車だ。

 これらの軍用車両もジーゼルエンジンを搭載しているものだった。


「久方ぶりに肉が食べられるな」


 アウレーリアはそれがよほど嬉しいのか好物を目の前にした子供のように笑うと、トラックに向かって歩み寄り小さな身体であれこれと指示を出す。


 一方、楓は柏手を打って戦車やトラックを簡単に清めた。

 大異変により異界化した日本では霊気の密度が高まり、悪霊や魑魅魍魎が生じやすくなっているという。

 外出後のお払いは必須とも言えた。


 異界の魔物が出没するようになった日本だったが、曲がりなりにも人が暮らせるのは神官の神通力や僧侶の法力が町や村を守護しているためだった。

 そう、霊気が高まっているということは、人の持つそういった超常の力も顕れやすいということでもあった。


 大地は二人の女性をよそに九七式中戦車チハの車体後部に固定されている工具箱から車載工具類を取出し、愛車の点検整備に取り掛かる。

 作動部への注油にネジ類の増し締め。

 ただし、どこのネジでも締めればいいというものではない。

 車両によって必ず緩みやすい場所があるのだ。

 大抵は振動が大きい場所で、エンジンや消音器の固定箇所などだった。

 また締める場合も片締めにならないよう、対角に配置されたネジを順番に均一になるよう締めてやらなければならない。


 少年戦車兵学校で戦車の整備を大地たちに指導した教官は「道具は使い手を映し出す鏡だ。心を込めて使っていれば、その分必ず応えてくれる」というのが持論で、大地もそのとおりだと考えている。

 ハッチを開け、車体の後ろ半分を占める機関室内に設置されたジーゼルエンジン……


「これがこの戦車のエンジンか。冷却水も点火のための電気系統も要らぬ簡素な設計のものと聞いたが」


 いきなり首を突っ込んで来るアウレーリアに、大地は驚く。

 気が付けば彼女は衣擦れの音が聞こえるほど近くに居た。


「何でそんなことまで知ってるんだ。って言うか、さっきまでトラックのところに居なかったか?」


 楓もアウレーリアも、どうして気配というものを感じさせずに動けるのか。

 生家では猟を営み、軍人としての鍛錬も重ねている大地は決して鈍くは無い感覚を持っているはずなのだが、自信が無くなってくる。

 アウレーリアは何でもないといった顔をして答えた。


「妾を誰だと思うておる。飛竜の処置についての指示なぞとうに終わったぞ」


 そう言って無い胸を張る。

 その様は見ていて微笑ましかった。

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