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第一章/過ちの献身 2

 十月だというのに爛々と輝く太陽が秋の様相を薄れさせる、転校初日の十三時。ふたつの校舎に挟まれた場所にある、円形状の中庭に置かれたベンチに、祥平は腰掛けていた。隣には、流行の髪型を金色に染めた少年が、仔リスのように頬を膨らませて菓子パンをガムシャラに食べていた。その瞳には、わずかな怒気が宿っていた。

 中庭には全部で六つのベンチが円周上に設置されているが、すべてが生徒たちで埋まっていた。誰も彼もが男女のペアで、仲睦まじく昼食を取っている光景は平和そのものだ。そんな中、男二人で寂しく座っているのは彼らだけだった。

 気分を変えるために、祥平は小さく咳払いをする。

「お前、志乃に何も話してないだろうな?」

 金髪の少年――渡会渉わたらいわたるが菓子パンを食べ終わるのを待ってから、祥平が口を開く。

「話してない、というか話すなって言ったのはお前だろ」

 ぶっきらぼうに答えた渉に「そうだな」と呟き返して、祥平は背もたれに寝そべるように座り直す。頭上を見上げると、夏の色を帯びた太陽の強い光が目に入った。まだ十月とはいえ、三年前の十二月に雪が降ったなどとても信じられなかった。

「三年前、何があったんだよ。志乃はお前の記憶をなくしちまうし、お前は何も答えないで引っ越すし、わけわかんねえ」

 志乃と同じく幼馴染である渉は、当然のように彼女の記憶障害に気が付いていた。当時、あの出来事のあとすぐに引っ越した祥平の下に、渉から彼女に関する電話が掛かってきたことは覚えている。そのとき祥平は、渉にこう言ったのだ。

 ――三年後の十二月二十四日に全部話すから、いまは何も聞かないでくれ。志乃に俺のことを思い出させないでやってくれ。

 受話器越しに喚く渉を言いくるめて、祥平はただ志乃の記憶を取り戻させないようにした。そして、渉から定期的に志乃の話を聞いた。だからこそ今朝、あの教会で彼女と邂逅することができた。

「まあいいや。こうしてお前も戻ってきたんだし、精々今年のクリスマスを待つとするさ」

 四つ目になる菓子パンの袋を開いて、渉が諦めたように言った。

「悪いな」

 心配してくれる彼には申し訳なかったが、これだけは言うことができない。

 決意を固めてしまったから、これ以上未練を残す訳にもいかなかった。だから祥平は、もうこの場所に来るつもりはなかった。転校の手続きをし、初日だけ授業を受け、渉に確認を取ることが、この地に戻ってきた目的のひとつだ。もうひとつは――

「志乃は、いまどうしてる?」

「あん?」渉が菓子パンの半分を飲み下しながら、奇妙な笑いを浮かべた。「別に普通さ。平凡に勉強して人並みに友達作って、ありきたりに男から言い寄られたりしてる」

 自然と眉が吊り上るのを祥平は感じた。

「さっき、あいつと話してた男もそれか?」

 祥平は、もう会うつもりなどなかったのに、何の因果か本当に志乃と同じクラスになってしまった。なるべく注意を向けないようにしていたというのに、昼休みと同時に別のクラスから現れた男と親しげに話す志乃を見てしまった。彼女が自分や渉以外の男と仲良くしている姿など見たことがなかったから、心がささくれ立った。

「やっぱそこに反応するか」渉がくつくつと楽しそうに表情を崩す。「あいつ、柏木湊かしわぎみなとは妹と二人暮らしの苦労人でな、志乃が毎週料理を教えてやってる仲だよ」

「料理を教えてる? 一体どんな仲だそれ」

「おうおう気になるか祥平くん。でも駄目だ、これはヒミツ」

 小馬鹿にするように渉が言った。殴りたくなった。

 でももういい。つまらない怒りを握りつぶして細い息を吐く。知りたいことは全部知った。ここにいるのは今日まででいい。

 そのときだった。喧騒に混じって足音が聞こえた。気まぐれに音の方向を見て、目を見張った。二人の姿を見止めた志乃が手を振りながら近づいてくるところだった。

「やっと見つけた。渉、随分探したよ」

 たゆたう秋の空気に染み渡る声が届く。栗色の髪を揺らした志乃が二人の前に立つ。

 震えだした手を悟られないように、祥平は強く握った。

「朝はあんまり話せなかったけど、朝倉くん、同じクラスになれてよかったね」

 志乃が祥平を見てアルカイックに微笑んだ。対する彼は、曖昧に言葉を濁すことしかできなかった。

「で、なんだよ。なんか用?」渉が随分楽しそうに言った。

 思い出したように志乃がぽん、と手を叩く。

「うん、そうそう。渉にちょっと相談があったんだけど、やっぱりいい」

「席外すか?」祥平は祈るように言う。

 志乃がやんわりと首を振った。

「ううん。大したことないから気にしないで。それより」志乃は持っていた弁当袋を小さく掲げた。「一緒していいかな?」

 まずい、と思った。不用意に志乃に接触しすぎるのは、祥平にとって都合が悪過ぎる。ひょんなことから彼女の記憶が戻ってしまう可能性があるから、下手な発言は出せない。しかも幼少時を同じく過ごした渉がいるとなれば、本当に記憶が蘇ってしまうかもしれない。

 表情はそのままに、祥平は内心で凍りつく。

 頼むから早く去ってくれ。

「なんだ志乃、友達いないのか?」渉が残りのパンを大きな口に放り込んで言った。

「あ、ひどい。そんなこと言うんなら今度から宿題見せてあげないよ?」

「え? 待て、それはかなり困る」と渉が固まる。

 つん、としつつ志乃が隣に座って祥平を見上げた。

「あ、ちゃんと友達はいるからね。あとで紹介するよ」

「ああ」

 背筋に嫌な汗が流れる。逃げるタイミングを完全に逸してしまった。渉が志乃を取り成そうとする声も殆ど耳に入ってこない。

 どうすればこの場を逃れられる。何をすれば志乃の記憶に刺激を与えないようにできる。まとまらない思考がぐるぐると渦巻き、まるで拷問部屋に入れられたような気分に落ち込んでいく。

「ね、朝倉くん」

 耳元で志乃が囁く。ぎょっとして振り向く。吐息さえ触れそうな距離に端正な志乃の顔があった。心臓が破裂しそうに高鳴った。

「もしかして、私のこと嫌い?」

「は? なんで」

 思いがけない言葉に祥平は間の抜けた声を出した。

 不安げな志乃の顔が近づく。

「女の勘、かな。これでも人の感情には鋭い方だから」

 思い当たる節はあった。志乃は昔から他人の感情の機微に鋭い。きっと、自分を無視する母親の心の声を聞きたいがために得た観察力なのだろう。その悲しげな力がいままさに間逆の方向を示さんとしていることに、祥平の心が音を立てて軋んだ。

「初対面の相手に嫌うもないだろ。勘繰りすぎだ。ただ、女子が得意じゃないだけだ」

 志乃が黒淡白石のように色彩豊かな瞳で祥平を見つめる。心の奥底まで見透かされるほど鋭い視線だった。

 ふっと、志乃が口元を緩める。

「意外とシャイなんだ。人は見かけによらないね。ごめんね、変なこと聞いちゃって」

「見かけってなんだ。人を悪人面みたいに言わないでくれ」内心でほっと息をついた祥平は、志乃から視線を逸らす。

「ごめんごめん。そんなんじゃないよ。でも、これからも仲良くしてね。私、男の子の友達は多くないから」

「おーい。あんまり俺をのけものにしてくれるなよ。というか志乃さん、宿題の件についてちょっとお話したいんですけどー」

 今まで黙っていた渉が非難めいた声を上げた。天の助けを得たとばかりに、祥平はペットボトルのお茶に口をつけて会話から退散する。

 志乃がぞっとするような冷たい視線を渉に投げた。

「あれ、渉いたの? ごめんね、私、友達いないから気づかなかった」

「おう志乃、泣き虫女がなかなか言うようになったじゃないか」

「泣いて見せた覚え、三回くらいしかないんだけど。それを言うなら渉、この前ナンパ通算百連敗だって情けなく泣いてたの、誰だったっけ?」

「おう天然美女、悪口がこれ以上思いつかねえよ」

 幼馴染らしい遠慮のないやり取りが頭上を飛び交う。

 二人の喧嘩を聞きながら、もう決してこの中に気兼ねなく入ることのできない事実を祥平は人知れず噛み締める。

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