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梔子の夢  作者: 石構紅康
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エピローグ~約束~

 兄妹が過ごせる最後の時を迎えた。

 初めて見た時はこの『梔子の夢』の礎である梔子の木には真っ白な花が咲き誇っていたというのに、今ではその真っ白な梔子の花は淡い黄色に変色して地面に全て落ち、淡黄と深緑の絨毯を作り上げ、それでも尚甘い、甘い香りを辺りに漂わせていた。

 

 兄妹は、手を繋いでその淡黄と深緑の絨毯の上に立ち、丸坊主になった薄い茶色いのあまり背の高くない梔子の木を見詰めていた。

 実は付いていない。

 付ける必要がないからか。

 それでも、無数の細い枝を空へ向かって伸ばしている様が美しいと思った。


「明砂ちゃん」

「なに? 砂名」

 少し背の高い明砂を見上げ、砂名は淡く微笑んだ。

「私、明砂ちゃんの妹で良かった」

「砂名…」

 一方の明砂の方は泣きそうに顔を歪ませている。

「本当だよ? 藤さんの生まれ変わりっていうのにはびっくりしたけど、私にとっては明砂ちゃんだっていう事は変わらないし、生まれ変わりっていうのがあるって証明にもなってるんだもん。だから─」


 砂名は明砂の前に移動し、両手を握り締めて一生懸命笑顔を作る。

「─だから、次に生まれ変わった時にも私の『お兄ちゃん』でいて?」

 そんな砂名をじっと見詰めていた明砂は、妹が泣きそうになっているのを堪えている事に気付いた。

 唇が微かに震え、大きな目が潤んで来ている。

 明砂はそっと息を洩らして砂名から自分の手を奪い返した。 

「明砂ちゃん?」

 一瞬だけ不安そうな表情を浮かべた砂名に、明砂はにやりといたずらっ子のように笑って見せる。

 そして、殊更明るい調子で砂名の頭を乱暴に撫で繰り回した。

「明砂ちゃんっ痛いってばっ!」

「ば~かw 次に生まれ変わっても、お前の兄ちゃんになれるかどうかなんで分かんないだろ?」

「え…」

 砂名は期待を裏切られた感が半端なかった。

 しかし、明砂は構わず続ける。

「俺の前世ってヤツは藤さんだぞ? もしかしたら姉ちゃんかも知れないだろ!」

「あ、そっかぁ」

 それには砂名も納得してしまった。

 明砂は更に明るく続ける。

「それに、妹かも知れないし、弟になるかも知れない。…あんまり考えたくないけど…砂名がこれから先、誰かと結婚して子供を生んだら…それが俺の生まれ変わった姿かも知れないだろ?」

 その言葉に、それもそうか、と砂名は更に納得してしまう。

 そんな砂名を更にこれでもか! と畳み掛ける。

「もっと可能性を言えば、次の人生で俺の娘とか息子として砂名が生まれる可能性だってあるんだからな!」

 無言で目をキラキラさせた砂名に、明砂は調子に乗って続ける。

「もしも次の人生で従兄弟とか、近所に住む幼馴染とか、血の繋がりのない他人として生まれたら、結婚だって出来ちゃうかも知れないんだぞ!」

「け、結婚?!」

 

 顔を真っ赤にして素っ頓狂な声を出す砂名の様子に、明砂は自分が調子に乗り過ぎた事に気が付いた。

 それでも、もう吐き出してしまった言葉は口には戻って来ない。

 明砂は内心の動揺を押し隠してにやにや笑って見せる。

「そ、それに、友達としてだって出会えるかも知れないんだからな!」

 先程の言葉のインパクトが強すぎて、砂名は聞いちゃいなかった。

「結婚って…あり、なのかな…?」

 首を傾げて砂名は呟く。

 未練を残さないためにしたはずなのに、このままでは未練を残してしまいそうである。

 明砂は慌てて砂名の顔を両手でむにっと潰しながらにやにや笑って見せる。

「そういう可能性だって、あるって事だよ! …だから、俺の分もちゃんと幸せになってくれよ? 約束だからな?」

「うん…分かってる」


 再び泣きそうな顔になった砂名に、明砂も泣きそうになる。

 本当ならば、離れたくなかった。

 これから先の長い人生の中、お互いに誰かと結婚して家庭を持ったとしても、絆が切れる事はないと思っていた。

 それなのに、その絆が切れてしまう。

 

 切れて、しまった。


 明砂は大きく息を吸って涙を堪える。

 鼻の奥がツンとして痛い。

 それを誤魔化すようにして、明砂は力いっぱい砂名を抱き締める。

 砂名も、離れたくなかったから抱き締め返して兄の胸に顔を埋めた。


 ズズッ

 

 腕の中で鼻を啜る音が聞こえる。

 なにやら顔を擦り付けている気がする。

 どうやら鼻水を擦り付けているらしい。

 明砂は苦笑しつつ、抱き締めたまま優しく砂名の後頭部を撫でた。

 もう洗濯する必要もないし、まあ良いか、と。


 ふと気が付くと、丸坊主になった梔子の木の傍にいつのまにか珀影が現れ、立っていた。

 そして、別れを惜しむ兄妹にそっと声を掛ける。


「砂名、明砂、そろそろ時間だよ」

 顔を上げて珀影を見ると、その隣に立っていたはずの梔子の木の輪郭が薄れている。

 明砂が名残惜しそうにもう一度砂名を抱く力を込め、そっと腕を離した。

 砂名はそんな明砂の腕を思わず掴むと、コロンと大きな目から涙が零れ落ちてしまった。

「明砂ちゃん…」


 ──行っちゃやだ! 傍にいて…!!


 唇が戦慄き、そんな言葉が出そうになる。

 いや、いつも言いたかった。

 この『梔子の夢』を見ている間中ずっと、『行かないで』と声なき声で叫び続けていた。


 明砂もそれに気付いている。

 明砂こそが、言いたい事だった。

 

 ──逝きたくない! 傍にいたい…!!


 それは、言ってはいけない『言葉』だ。

 明砂はぎゅっと目を閉ざして天を仰いだ。

「砂名…」

「明砂ちゃん…」

 砂名の顔は、既に涙でぐしゃぐしゃになっていた。

 それを見た明砂もまた、ずっと堪えていた涙が溢れて零れ落ちる。


 そして、叫んだ。

 言ってはならない事だと分かっていても、叫んだ。


「俺は、死にたくなかった…! 砂名を残して逝きたくなかった……ごめん、砂名、先に死んでしまってごめん…」

 堰を切ったように慟哭する明砂を抱き締めながら、砂名もまた嗚咽を洩らしつつ答える。

「…私ね、明砂ちゃんが…うっ…、子供を見殺しにするような人じゃなくて、本当に良かったって思ってる。うぅ…死んでしまってものすごく悲しいし、寂しいよ? だけど…また、私の傍に来てくれるんでしょ? …私、待っているから…だから、明砂ちゃんが先に生まれた時は、私の事を待っててね? 私の傍に来てね?」


 そう言って、砂名は右手で顔を覆い隠して慟哭している明砂の左手を取り、その小指に自分の小指を絡めた。

「約束だよ?」

「砂、名…」

 お互いの、涙でぐしゃぐしゃになった顔を見詰め合い、やがて明砂は頷いた。

「…分かった、約束だ」

「約束を破ったら針千本どころか、針1万本飲ませるからね?」

 

 軽い脅しに、明砂は苦笑した。

 そして、乱暴に自分の涙を拭って砂名を真っ直ぐに見詰め返す。

「怖いなぁ~。…だけど、分かった。約束だ」


 そして、声を揃えて言う。

『指切りげんまん、嘘吐いたら針1万本飲~ます! 指切った!』


 二人の手が、離れた。


 それを黙って見守っていた珀影が、静かに声を掛ける。

「明砂、もう時間切れだよ」

 振り返ると、珀影の隣に立っていた梔子の木の輪郭は既に消え掛けていた。

 あと数分もせずに完全に消えてしまう事だろう。

 砂名はぎゅっと唇を噛み締め、それから無理矢理笑顔を作った。

「明砂ちゃん」

「何? 砂名」

「私のお兄ちゃんでいてくれてありがとう」

「砂名…こちらこそ、俺の妹でいてくれてありがとう」


 再びお互いの手を取り、お互いに泣き笑いを浮かべる。

「短い人生だったけど、砂名が妹でいてくれて幸せだったよ。本当に、俺は幸せ者だ…」

「私も…私も幸せだった! 明砂ちゃんと一緒にいた楽しかった日々は、絶対に忘れないから…!」


 その言葉に、明砂は微笑んだ。

「うん。俺も楽しかった日々を忘れない。─あぁ…これで、未練を遺す事無く逝ける…」

 ふと見ると、ほぅ…と息を吐き出した明砂の身体の輪郭が、薄くなっていた。

 慌てて砂名は珀影を見るが、珀影は口に人差し指をやって黙っているように伝えて来る。

 明砂は気が付いていないようだった。


 取り合っていた手が、掴めなくなった。

 逃がさないよう必死になって明砂の手を掴もうとするが、宙を掴むばかりで掴めない。

 

 そんな慌てている砂名の様子に、初めて明砂が気が付いたように目を丸くして自分の手や身体を見回す。

「なんだこれ?!」

「そろそろ出発の時間だよ、良いかい?」

 近付く珀影に対して、思わず身を引いてしまった明砂に珀影は苦笑した。

「わたしはね、君達を不幸にしないために、君を天に連れて行きたいのだよ。…分かっているだろう?」

 その言葉に、明砂は肩を落として頷く。

「…はい…分かっています。お願いします」

「明砂ちゃん…」

 もう触れる事が出来ない事が分かっていても、砂名は手を伸ばさずにはいられなかった。

 そして、もう服にすら触れる事は叶わなかった。

 泣きそうになる砂名に、明砂は無理矢理笑顔を見せながら、自分にも言い聞かせるかのように言う。

「泣くな、砂名。さっき約束しただろ? ─必ず、お前の傍に行くから…待ってろよ?」

「う、ん…待ってる…」

「だから、ちゃんと俺が成仏出来るよう拝んでくれよ?」

「うん…」

「…じゃあ、そろそろ逝くからな…一平に宜しく言っておいてくれ」


 何故今、ここで従兄弟の一平の名前が出たのか分からず、砂名は首を傾げた。

 そんな妹の様子に、兄は苦笑する。

「砂名、どうせくっ付くなら一平にしとけよ」

「え? なんで?」

 きょとんとして問い返した砂名の様子に、ますます苦笑を深くする。


 ──こりゃ、一平に見込みはないのかなぁ…? ま、あいつ次第の事だし、見守るとするか。

 それどころではない砂名には、そんな明砂の想いに気付かない。

 触れられない事を分かっていながら、明砂は砂名の頭に手を伸ばした。

 案の定触れなかったが、それでも撫でているかのように手を動かす。

「あとは自分で考えな?」

「中途半端にそんな事言われたらすごく気になるんだけど…」

 むーっと唇を尖らせた砂名を愛しげに眺め、明砂は珀影を振り返った。

 その姿はもう見えなくなって来ている。 

「珀影様、そろそろ逝きましょう。─砂名、またな」


 優しく微笑んだ明砂の姿が、消えた。

 続いて珀影の姿も消える。 


 最期は呆気なかった。

 あれだけ別れが辛くてグズグズしていたというのに、あっさりと明砂は砂名の前から姿を消してしまった。





 広い広い草原の中、淡黄と深緑の絨毯の上に砂名はたった独りだけで残された。

 辺りには、散ってしまって尚、梔子の甘い、甘い香りが漂っている。

 砂名はそこで大地に伏し、大声で泣いた。


 声が枯れるまで泣き続けたのだった。




 





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