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梔子の夢  作者: 石構紅康
4/7

喪失

 大した事はないですが、残酷に思われる描写が多少あります。

 四日後。

 今日から学校が始まる朝。

 平穏な時を過ごしていた砂名は、あれは夢だったのでは? と思いだしていた。

 それほどリアリティのないモノであったし、なによりも明砂があんな恐ろしい表情をするワケがない。

 だからこそ、そう思う。

 だからこそ、願う。


「砂名、今日から学校だけど、帰りは部活で遅くなるの?」 

「うんそうだけど? なんで?」

 いつもの日常。

 庭では母、藤子が小鳥のために用意したエサ台に雀がやってきて、騒がしくさえずっている。

 明砂の手によって焼け焦げた梔子の木は、数日前に根っこごと撤去されていた。

 そんな中、藤子は不安そうな表情でテレビに視線を向ける。

「ほら、このニュース…最近物騒だから、気を付けてね?」

 砂名は、藤子が見ているテレビに視線を向けた。

 テレビからは、機械的なアナウンサーの声が流れてきている。

『昨夜、またも帰宅途中の女性が襲われ殺害される事件がありました。女性は二件の事件同様に数十カ所を切り付けられ、出血多量の為死亡。五日前、四日前にも同様の手口の犯行があり警察は同一犯の犯行と見て捜査を開始した模様です』

 ──あれ? これって…明砂ちゃんが退院した日にもあったような気がする…。

 そんな事をふと思いだした砂名に耳に、明砂の声が響く。

「うわっ! えげつないな~。快楽犯ってヤツ?」

「あら、おはよう明砂。早く着替えてらっしゃい」

 砂名は微かに引きつった表情で、明砂を見る。

「…おはよう、明砂ちゃん…」

 しかし、明砂はいつもの笑顔の似合う表情で笑って見せた。

「おはよう砂名。今日部活だって? だったら、オレが帰りまで待っててやるよ。久々に一緒に帰ろうぜ! 大切な妹に何かあったら大変だもんな~」

 ニカッと、いつもの笑顔で言われた砂名は、やっぱりあれは夢なのだ、と思う事にした。

 我ながら現金だとは思うが、そう思いたいという思いが強く、抗うのが難しい。

「わ~い! 明砂ちゃんと一緒に帰るのって久しぶりだ~♪」

 その日の砂名は、一日中機嫌もよろしく部活も絶好調だった。




 部活も終わり、砂名は明砂が待つ正門の前まで全力で走って来た。

「明砂ちゃーん!」

「お疲れさん」

 優しく笑う明砂は、全くいつもの明砂だった。

 砂名はようやく安心し、心の底からの笑顔で明砂の自転車の後ろに座った。

 ──良かった…いつもの明砂ちゃんだ…。

「さて、まだちょっと明るいな。ちょっと涼みに玄武の滝にでも行ってみるか?」

 いつもは絶対に『危ないから行くな』という明砂にしては、珍しい誘い。

 しかし、砂名はそんな事を思い出す事なく頷いた。

「うん! 行きたい!」

「よ~し、スピード出すからしっかり捕まってろよ!」

 明砂は砂名がちゃんと座っている事を確認してから、全力に近いスピードで玄武の滝へと向かった。

 本来ならば、自分が溺れ、半分死んだ場所になど行きたくないと思うのが人の常。

 しかし、明砂はその常さえも無視し、砂名を玄武の滝へと連れて行ったのだった。


 山道を全力で登る、明砂の自転車。

 後ろには砂名が乗っているはずなのに、学校からここまでの道のりを全く感じさせないスピードで走っている。

 流れ去る、山の景色。

 そこで、ようやく砂名は疑問に思った。

 部活をやっていないはずの明砂が、ここまで体力があるのか、と。

 退院をしてからまだ四日しか経っていないのだ。

 あるはずがない。

 そう、本当に明砂であれば。

 しかし、砂名が問い掛ける前に明砂が走らせる自転車は、玄武の滝に辿り着いた。

「いや~結構時間が掛かったな~」

 いや、そんなに時間は掛かっていない。

 それどころか、学校からここまで来るのには短時間すぎる。

 普通であれば30分は掛かるであろう道のりを、病み上がりの明砂はその半分の15分ほどで走ったのだ。

 それに、明砂は息一つ乱していない。

 この暑い中で汗の一粒も、かいていなかった。

 

 砂名は、何故か明砂に対して恐怖感を抱く。

「明砂、ちゃん? どうしてここに来ようって、言ったの?」

 声が、震えている。

 隠しようのない恐怖が、砂名を抱え込んでいる。

 背筋を襲う寒気と胃にもたれかかる吐き気と闘いながら、砂名は喉を鳴らしながら唾を嚥下する。

 明砂は、何も答えずに自転車から降りた。

 そして、砂名に背を向けたまま鞄の中から何かを取りだし、羽織る。

 ──この暑い中で、上着?

 手に何かを持ち、明砂ゆっくりと砂名の方に身体を向けた。

 その瞬間目に飛び込んで来たのは、夥しいまでの血痕が付着した上着と、鞘にまでべったりと血糊が付いたサバイバルナイフだった。

「それ、血? どこか怪我したの!?」

 そうじゃない、とどこかで声が聞こえる。

 

 明砂は、笑った。

 嘲笑うかのように、笑った。

 笑ってサバイバルナイフの鞘を払い、その刃に舌を這わせる。

 その舌に赤いモノが付くのを見て、砂名の背に悪寒が走った。

 顔から血の気が引いて行く砂名を見ながら、明砂は心底おかしそうに笑う。


「いいや? お前もニュースとやらで見ただろう? あの女共の返り血だよ…血だらけで帰ったら、母さんが驚いてまた発作を起こすだろう?」

 くつくつと喉を鳴らし、明砂はうっとりと囁く。

 その姿に、砂名は愕然となる。

 まるで、走馬燈のように明砂との今まで事を思いだしながら、砂名は唇を噛み締めた。

 子供の頃から、明砂は優しかった。

 砂名にも、友達にも、動物にも、何もかもに優しい人だった。

 ましてや、あの時のように母を突き飛ばしたりしない人だった。

 そう、いつも誰かのために動く人だったのだ。

 だからこそ明砂は自分の身を省みず、この川で溺れた子供を助けようとして、溺れた。

 そして…死んでしまった…。

「……違う」

 今、確信出来た。

 あの恐怖も、嫌悪感も、何もかもが理解出来た。


 コレ(・・)は、明砂ちゃんじゃない!


「明砂ちゃんはそんな事する人じゃない。出来る人じゃない!」

 そう叫んだ瞬間、四日前に部屋のカーテンの隙間から見た金色の獣の姿が、明砂の姿と重なっているのが砂名の目に映り込んだ。

 そして、唐突にあの白い青年の言葉を思いだす。

『アレが君の兄君の身体を操っているんだよ』

 砂名は唇を強く噛み締めた。

「…そう、なの? 明砂ちゃんは、その金色の獣に取り憑かれてるの? …そいつがやったの?」

 悲しみに揺れる砂名の顔を、明砂は微かに驚いたような表情を浮かべて眺める。

 しかし、次の瞬間には残忍な笑みを浮かべた。

「ふ…ふははは…! 人間の身体というモノは面白いなぁ?」

 そう明砂が言うと同時に、金色の影が明砂の身体から出て行く。


 ドサッ。


 明砂の身体が糸が切れたマリオネットのように力無く崩れ落ち、そのままピクリとも動かなくなった。

「明砂ちゃん!」

 砂名は慌てて明砂に駆け寄った。

 そして、抱き起こそうと手を伸ばす。

 そんな砂名の背に、明砂とは異なる声が響いた。


『道具を使って肉を引き裂き、血肉を食らうも一興だのぅ…』

 低く、くぐもった声。

 恐ろしく、そして嫌悪感を抱くその声は、ここ数日間明砂に感じていたモノと全く同じ気配を持っていた。

 砂名は背後を振り返り、目を見開く。


 そこにはいつの間に昇っていたのか、大きな、大きな、赤い満月と、それを背にして宙に浮かんでいる巨大な犬…いや、あれは犬なんて可愛らしいモノではない。


 『狼』

 

 そんな単語が砂名の脳裏に浮かんだ。

 ──狼なんて動物園でしか見た事ないのに、どうして…?

 鋭い牙。

 全身を覆う金色の体毛。

 そして、長く伸びた尾。

獲物を狙うかのような鋭い金色の目。

 腐臭すら漂ってきそうな、醜悪な身体。

 砂名はその存在全てを全身で拒否している自分を知る。

 恐怖?

 いや、そんな言葉では表せられない。

 恐怖よりもずっと根深い恐怖。


 凶怖。


 脳裏に、あの鋭い牙が自分の頭から喰らおうとする姿が走る。

 白い青年の喉元に喰らい付こうとしている姿が走る。


 ──珀影様…!


 不意に浮かんだ、一つの名。


 しかし、今の砂名はそんな事よりも、自分の目の前の凶怖よりも、倒れ伏している明砂の方が大切だった。

「こ、来ないで化け物! もう、絶対に明砂ちゃんには近寄らせないんだから!」

 震える体をムチ打って砂名は立ち上がり、両手を広げて明砂を守るかのようにして、金色の狼に対峙する。

 しかし、そんな砂名を金色の狼は嗤った。

『お前に何が出来るというのだ? 我を封じた忌々しき祓え師の匂いをさせる小娘よ』

 砂名は金色の狼が言う祓え師が、あの白の青年だと言う事に気が付いた。

 いや、もしかしたら、『知っていた』?

 まざまざと、白い青年が金色の狼と対峙している姿が浮かんで、消えた。

『しかし…お前はあの時喰らい損ねた娘と同じ匂いもするのぅ…』

 くつくつと喉を鳴らし、金色の狼は舌なめずりした。

『よし、あの娘の代わりにお前を喰ろうてくれようぞ!』

 空を駆け、金色の狼が砂名に向かって襲い掛かって来た。

「キャァーーーッ!」

 ──食べられる…!

 覚悟を決めたわけではなかったが、砂名はぎゅっと目を閉じてしまった。

 しかし、不意に自分の中に他者の気配を強く感じた瞬間、一気に風が吹き抜けていった。

 いや、違う。

 風ではない。

 あの白い青年だ、と思った瞬間、梔子の花の香りが辺りにたち込めた。

 甘い、甘い、香りが辺りを優しく包み込んでいる。

 そして、聞いた事のある優しげな声が砂名の耳に届いた。

『やあ、また会ったね。わたしの愛しい藤を喰らおうとした不届き者の妖獣殿?』

 くすくすと甘く笑いながらも、白い青年は宙に浮き、がっしりと金色の狼の首根っこを掴んでいた。

『珀影っ! 貴様、生きておったのかぁ!』

 さわさわ、さわさわと、夜の涼しい風がその場を吹き抜けていく。


 乱れ流れる、白く長い髪。

 背後には、大きな、大きな赤い月。

 その姿は、まるで夜空に浮かぶ月の神のようだった。


 ──珀影、様…。


 自然と、砂名はその人の名を心の中で呟いていた。

 知っている、この人の事を。

 知っている、あの人の存在を。

 何故だか、胸が痛い。

 涙が、出そうになった。


 しかし、白い青年の声によってようやく我に返る。

『この少女に死なれたくはないのでね…。このまま消滅してもらうよ?』

 尋ねる形を取ってはいるが、白い青年は確固たる意志を持っているのが分かる。

 そして、金色の狼にもそれが伝わったようだ。

 怯えた表情で、砂名に向かって言い放つ。

『よ、良いのか小娘! 我がいなくば兄の身体が動く事は二度とないのだぞ!』

「え…?」

 砂名は、このまま白い青年があの金色の狼を退治してくれれば、明砂が元に戻るものだと思っていた。

 しかし、次の言葉に砂名は愕然とする。

『お前の兄はとうに死んでおる。だから我がその身体を操っておったのだ!』 

「な、何言ってるのよっ! 明砂ちゃんが死んでる? ふざけないでよ、このうすらトンカチ!」

 砂名は信じられない思いで叫び、明砂を振り返った。

 しかし、明砂はピクリとも動かない。

 動いていない。

 倒れ込んだ時そのままの格好で、倒れ伏しているだけだった。

 砂名は、信じられない思いでいっぱいだった。

 震える足を叱咤し、倒れ伏している明砂に近付き頬に触れ、身を強張らせる。


 ──氷みたいに、冷たい…?


「明砂、ちゃん? 明砂ちゃん、明砂ちゃん! 起きて、目を開けてぇ…!」

 半狂乱になって叫ぶ砂名に、白い青年に捕まったままの金色の狼が言う。

『無駄だ。人間共に助けられた時にはすでに息絶えておったわ』

 砂名の思考が、止まった。

 何も考えられない。

 何も感じ取れない。

 目の前には、冷たくなっている明砂の身体。

 もう、動かない身体。

 もう、笑いかけてくれない明砂の、死体(・・)…。


 砂名の思考が弾け飛ぶ。

「イヤァァァァーー!!」

 静かな山の中に響き渡る、滝壺に落ちる水音よりも大きな声で、砂名は悲鳴を上げた。

 両の瞳からは止めどない涙が流れていく。

 痛い、いたい、イタイ!

 心が、悲鳴を上げている。

 半身をもぎ取られたかのような、激しい喪失感。

 目の前の、自分とそっくりな存在を、失った悲しみ。

「うそ、だ…明砂ちゃんが私を置いて逝っちゃうワケ、ない!」


 ──でも、これは現実。明砂ちゃんは私を置いて逝ってしまった。

 心の中で、現実だと訴えかけてくる声。

 しかし、砂名には届かない。

 聞こえているのに、気付かないフリをした。



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