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梔子の夢  作者: 石構紅康
2/7

胸騒ぎ

 さわさわ、さわさわ。

 気持ちの良い朝の風が庭を、少女の周りを、吹き抜けていく。

 今日も暑くなりそうだ…。

 少女は脚立を庭に置かれた物置から取り出し、庭にある梔子の木の傍に立てた。

「ふう、相変わらず重いなぁ、この脚立。いっその事、実がなくなるまでここに置いとこうかな?」

 少女はそう独りごちり、ボウルを片手に脚立を上がって梔子の実を取り始める。

「いい匂いだなぁ」

 もぎたての梔子の実に鼻を寄せ、少女は微笑んだ。

 そして、ふと、よく知る気配を背後に感じ取る。

 少女は振り向く事なく声を掛けた。

「明砂ちゃんおはよう。んで、お帰りぃ~」

 しかし、返事がなかった。

 不審に思った少女はそこでようやく振り返る。

 一瞬、一つ上で、双子のようにそっくりな兄である明砂が見えたような気がしたのだが…なにもいない。誰もいない。

「…あれ? いないや…気のせい、かなぁ?」

 首を傾げつつも、少女──砂名は、そんなはずはないと思う。

 自分と兄である明砂との絆は、両親よりも強いと認識していたし、幼い頃から双方の気配には敏感に出来ている。

 だから、間違えたりはしない。

 絶対に。

 なのにいないのは何故だろうか?

 梔子の実を入れたボウルを抱えたまま、砂名は脚立の上で首を傾げている。

 そんな少女の耳に、ゴミを捨てに出て来た主婦の話し声が聞くともなしに聞こえてきた。

『やっぱりあの梔子の木のお宅、切らずに売りに出したのねぇ』

『祟られでもしたら恐いもの。そんな事をするぐらいだったら切らずに売りに出すわ』

『そうねぇ。よその人は何も知らないから良いんでしょうけどね』

 知らず知らずのウチに、砂名はボウルを抱えたまま耳をそばだてていた。

『昔から、あの木の下で人影を見たとかなんとか言うから、ずっと誰も近付かなかったものね』

『そうねぇ。ああイヤだイヤだ』

 そう言って、ふたりの主婦はおのおのの家の中へと入っていった。

 砂名は顔を引きつらせつつ、梔子の木を見上げる。

「ま、まさか、ね?」

 砂名は幽霊とか、得体の知れないモノが大嫌いだ。

 それが、大好きな兄の気配と間違えたのであれば、嫌悪感が募る。

「ちょっとっ! 明砂ちゃんと同じ気配にならないでよねっ!」

 ちょっと理不尽で、ちょっと抜けた怒りに、モチロン誰も答える事はなかった。

 砂名は軽やかに脚立の上から飛び降り、庭から家の中へと入っていった。

 その背を見詰める、柔らかで切なげな視線に気付く事なく…。


「砂名、今日も朝食が庭の梔子なのか?」

「ダイエットもほどほどにしないとダメよ?」

 両親の言葉に、砂名はサラダボウルに入っている、水滴の付いた梔子の実をテーブルに置いた。

「だって、やっぱり朝もぎが一番美味しいんだもん。それにさ、取れたてを食べたいじゃない? それはそうと…ふたりともニガテとか言ってないで食べてみればいいじゃない。おいしいよ?」

 制服のリボンを結びながら、砂名は自分の椅子に腰を下ろした。

 今日は部活があるので、学校へ行かなくてはならない。

「で、明砂ちゃんはまだ帰って来ないの? 私も行きたかったな~」

「何言ってるの。今日は学校へ行く日でしょう?」

「それに、今日は午後からお母さんの定期検査なんだから、明砂ももう帰って来るさ」

 毎朝の、食事風景。

 いつもと変わらない朝。

 朝早くに釣りに行くと、食事を始める頃にいつも息を切らせて家の中に飛び込んで来る、少年。 

 さあ、もうすぐ帰って来る。

 そう思いつつ、砂名は水滴の付いた梔子の実を口に入れた。

 甘い、甘い、果実。

 まだ?

 一口、二口。

 ゆっくりと噛み砕きながら、砂名はそわそわと玄関の方を見ては、口を動かしている。

 その様子を眺めながら、父が可笑しそうに笑った。

「砂名は、本当にお兄ちゃん子だな」

「だってぇ~」

 砂名がふくれて見せた時、電話が鳴り響いた。

 母は立ち上がり、電話を取りに行く。

 そこでふと、父が腕時計を見て首を傾げた。

「それにしても…今日は少しだけ遅いな」

「…うん」

 何故だか、胸騒ぎがする。

 心臓の音が、耳の奥で響いてうるさい。

 頭がガンガンする。

 おかしい。

 絶対におかしい。

 何故、こんなにも心がざわめくの?

 どうしてこんなに不安なの?

 完全に、梔子を食べる手が、止まった。

 その瞬間、受話器を耳に当てていた母が、倒れる。


 ガタターン!


「お母さん!?」 

 慌てて父娘が妻に、母に、駆け寄った。

 そして、父によって抱き起こされた母は今まで見た事のないぐらい青ざめ、小刻みに震えていた。

「どうした!」

 しかし、これはいつもの発作ではない。

 そう、何故か確信出来た。


 半狂乱になっている母を抱き抱えるようにして、父娘は自動車の後ろの座席に小刻みに震える母を乗せた。

 何らかの──多分、いや絶対に先程の電話が原因で、母が発作を起こしてしまったのだ。

 その隣で、砂名が母の震える身体を抱き締めている。

 そして、母はうわごとのように繰り返すのだ。

「高田病院へ行かなきゃ…明砂が、明砂が…!」

 これだけしか言わなくとも、砂名は明砂の身に何かがあったのだと理解した。

「お母さん、明砂ちゃんがどうしたの? 教えて、ねぇ!」

「明砂が…明砂が…、川で溺れてた子を助けてあげたんだけど…力尽きて流されて…救助された時には…もう…うわぁぁぁー!」

 砂名は愕然となった。

 あの時のざわめくような胸騒ぎは、気のせいではなかったのだ。

 明砂ちゃん…!

 砂名は祈っていた。

 いや、家族全員が、明砂の無事を祈っていた。

 ただ…砂名の、兄に対する想いが、強かった。


 発作を起こしている母を父は緊急治療室へと連れて行く間に、砂名は明砂の容態を聞くべくナーススティションへと走る。

「あ、あの…! 水樹ですけど…!」  

「砂名ちゃん!」

 息を切らしながら看護婦の一人に詰め寄ろうとしていた砂名の背に、男の声が掛かる。

 振り返った先にいたのは、この病院…高田心臓・脳外科の院長であり、高田一平の父であり、砂名達の母、藤子とうこの兄であり、主治医を務める高田耕平だった。

「おじさん! 明砂ちゃんは?!」

「ああ、大丈夫だよ。ちゃんとここへ着く頃、救急車の中でに蘇生したからね。いや~若いと体力がある。その辺は藤子ではなくて彰さんに似て良かったよ」 

 その耕平の言葉に、砂名はその場にへたり込んでしまった。

 そんな彼女に手を貸しつつ、耕平は笑ってみせる。

「さて、わたしは藤子の方へ行って来るけど、明砂君の病室は205号室だから先に行っておいで。わたしの方からちゃんとふたりに言っておくよ」

「ありがとうおじさん!」

 砂名はすっくと立ち上がり、足音も高らかに走り去った。

 その背に看護婦さんの怒声が浴びせられるが、聞きもしない。

「まったく…わたし達は本当に、よく似ているね…」 

 耕平は微かに微笑みながら、妹夫婦の待つ治療室へと急いだ。


 砂名は伯父である耕平の言葉通り、205号室へと急いだ。

 そして、部屋の前に辿り着くなりノックもせずに扉を開け放った。

「明砂ちゃん!」

 大部屋ではなく小部屋だったからの、行動。

 しかし、今の砂名であれば大部屋であろうとなかろうとこういう行動に出た事だろう。

 それほど、心配していた。

「砂名?」

 ベットの上には、起きあがっている兄の姿。

 そのベットの側には従兄弟の一平の姿。

 しかし、砂名には一平の姿を確認する事なく兄に飛び付く。

「明砂ちゃん! 良かった…無事で、本当に良かった…!」

 大きな声で叫びながら、砂名は明砂に縋り付いて、泣いた。

 緊張の糸が切れてしまったのだろう。

 一平は一応気を遣ってか部屋から出て行ったが、それすらも気付かずに砂名は明砂に抱き付いて泣き続けた。

 そんな妹の肩に、明砂は手を掛ける。

「砂名、そんなに泣くなよ」

「だってぇ、心臓が止まるかと思ったんだもんっ!」

「心配掛けて、ゴメンな?」

「許してあげない!」

 拗ねる砂名に明砂は苦笑して、そのさらさらの黒髪を撫でた。


『似ている…』


 それは、小さな呟き。

「え?」

 聞き返した砂名を抱き寄せながら、明砂は肩越しににやりと笑った。

 その笑みは砂名には見えない。

 明砂は笑ったまま、砂名の耳元で尋ねる。

「なんでもないよ、砂名。それよりも、どうすれば許してくれるかな?」

 優しい声音は明砂そのもの。

 しかし砂名からは見えぬ表情は、残酷な笑みだった。

 それに気付かぬまま、砂名は機嫌を直して笑う。

「じゃあね~、退院したら一緒にどっかに遊びにいこ♪ そうしたら許してあげる」

 くすくすと楽しげに笑いながら、明砂は頷いた。

「そうだね。行こうか」

「約束ね?」

「ああ、約束だ」

 不意に、明砂が表情を改めて砂名を引き剥がした。

 その態度に砂名が違和感を感じる。

 兄である明砂は、妹である砂名に対してこんな乱暴に接した事はなかったからだ。

「明砂ちゃん?」

「うん?」

「なにかあった?」

 不思議そうな、砂名の顔が明砂の目に飛び込んで来る。

 しかし、明砂は微かに顔を顰めて布団の中に潜り込んだ。

「まだ、調子悪いの?」

「…一度死んだ身だからね。ちょっと疲れちゃったよ。悪いけど、少し休ませてくれるかな?」

 何故か、棒読みのような感情の篭らない声音と表情に砂名は首を傾げつつ頷いた。

「…うん…じゃあ、私はお母さん達のトコに行ってるね」

「ああ」

 それっきり、明砂は砂名の声に答える事はなかった。

 しかし砂名の感覚が告げている。

 まだ眠りに着いていない、と。明砂が自分の事を迷惑に感じている、と。

 それに、この悪寒は…なに?

 この胸騒ぎは、何?

 何故か、砂名は目の前にいる大切な兄であるはずの明砂に恐怖と不快感を感じていた。


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