アフターデイズ編 引き継ぐ魂 前編
「まさか、こんな……あばら家にあの方がいるのですか?」
『救国の大英雄が……こんな場所に……ある種の侮辱罪やもしれんな』
そこは東京の一角にある一軒家であった。
その前では胸の大きな少女とガタイの良い老人が並んで佇んでいた。
ふたりが見ているのは三階建ての一階が事務所となっている建物だ。立木会計事務所と書かれた看板が飾ってはあったが、それは彼女らには読めない文字であった。そして、そんなふたりの後ろでポニーテールの少女がムスッとした顔をしていた。
「いや。一応こっちじゃあ、そんなに小さい家じゃあないんだからね。王族の住んでるところとは雲泥の差だけどさぁ」
「あ、いえ。すみませんユミカ。他意はないんです」
ハッとした顔でそう返したのはツヴァーラ王国の王女ティアラであり、謝られたのは今やミンシアナ王国内でももっとも巨大な暴力集団ムータンの首領である弓花であった。またティアラと共にいるメフィルスも『うむ、言い過ぎたやもしれぬ』と返したが、その表情は納得していない風である。
『しかし、あれは一体?』
それからメフィルスが不思議そうな顔で、建物のとある一箇所へと視線を向けた。事務所の入り口の左右に何故か少女の石像がふたつ並んでいたのだ。
現代日本の一般家庭に石像が立っている様子はあまり普通ではない光景だったが、初めて来た東京のあらゆるものが奇妙に映っている今のメフィルスからすれば、どちらかといえば己の常識の範疇にある物体ではある。ただし、よく見ればそれは弓花の像であり、気になったのは妙な警戒心をその像から感じたためであった。
『ユミカよ。あそこに置かれているそなたの像は一体何なのだ?』
「アレですか。私は止めてって言ったんですけどね。風音が悪ふざけで造って、お母さんと、後なんかレームがやったれとゴリ押しして設置されちゃったんですよ」
弓花が額に青筋を立てて、両肩を震わせながらそう口にした。不本意であるというのがまざまざと分かる反応だった。
「お祖父様、アレはゴーレム兵ですわ。動いてはいないように見えますけど今も稼働中ですわね」
ティアラが目を凝らして像を見ながらそう口にする。二体の弓花像はただの石像に偽装してはあったが、じっくり観察したティアラはそれが風音の造り上げたゴーレム兵だと気付けたようである。
『余には分からぬが……なるほど、ティアラがどうにか気付くほどでは並の魔術師ではただの石像にしか見えぬだろうな。つまりはこの家を守護するガーゴイル。防御は万全というわけか。しかし、ユミカよ。何故にレームの名が出てきたのだ?』
「えーとですね。「お前も反対しなかったしな。私の気持ちを味わえ」って……吐き捨てるように言ってまして。その、まだトゥーレのことを根に持っていたようなんですよ。いや、確かに私も積極的に止めなかったけど、レームパレスを造ったの風音ですよね。というか、そもそもゴルディアスの酒場で私の像も同じように晒し者になってるんだけど、あの子見たことないからノーカンだっていうし」
弓花の愚痴に、ティアラとメフィルスが納得いったという顔をした。
クリスタルレームパレスの荒ぶるレーム像は、今ではトゥーレ王国でのシンボルになりつつあるのだ。
そのきっかけとなったのは悪魔との決戦の日だ。あの日、レームとタツオがトゥーレを救ったのは、絶体絶命の危機の中で人々がレーム像に祈りを捧げた結果なのだと人々の間で広まっていた。
神モンデールによって帰還した女王レームがゴーレム軍団を従えて魔物を退けた……と信じきった人々は、今では日課のようにレーム像を崇め奉っているのである。以前も諦めてはいたが、その現状を聞いてもはや取り除くこと叶わぬと改めて諦めたレームが黒い笑みで弓花の惨状を笑ったとしても致し方のないことであった。
それから弓花がいつぞやのレームと同じように何もかもを諦めた顔をしてから肩をすくめた。
「ともかく、上に上がりましょう。事務所はまだ仕事中ですし、自宅はこっちだから」
そう言って、弓花が事務所の扉を開けて「父さん、達良にお客さんだからー」と声を上げると、中にいた一番奥の席の男が「おう、達良。もう上がれ」と言って、声をかけられた小太りの男が弓花たちの方を見て会釈をし、それにティアラとメフィルスが頭を下げた。それから弓花に案内されて二階にある自宅の方の玄関へと向かうメフィルスが、先ほどの様子を思い出しながら首を傾げる。
『まさか、あの方があのような場所におるとは……しかし、一体何をしておられるのだろうか?』
「さて。何かしらの研究でしょうか? ユミカ、分かります?」
「えーと、普通にお仕事よ。色んな会社の会計を依頼されて、計算してるところ? だったかな。私もお父さんの仕事はよく知らないんだけど」
「ハァ、そうなんですの?」
首を傾げながらの弓花の言葉に、ティアラが要領を得ぬ感じでそう返す。
それからティアラとメフィルスは弓花に案内されて、立木家の自宅の中へと足を踏み入れた。
今は悪魔たちとの決戦を終え、風音魔王騒動を過ぎてようやく周囲も落ち着いた頃合だ。そんな中、ティアラとメフィルスはとある用件を済ますために、弓花の帰還の楔の力を借りて新世界の東京へとやってきていたのである。
◎立木家 応接間
「いやー、お待たせ」
そして、ティアラ達が応接間に案内されてから二十分ほど経った後、ようやく小太りの男がその部屋へと入ってきた。
「遅いわよ達良」
「いやごめんね弓花ちゃん。保存したデータが気になって再起動させたんだけど、アップデートが勝手に始まっちゃってさ。まあ、すぐには終わらなさそうだったから、所長に後をお願いしたんだけど……ちょっとかかっちゃったんだよ」
そう口にしてペコペコと謝ったのは剣井達良、立木会計事務所の事務員にして、ツヴァーラ王国の古代の王の魂の受け皿にして、つい最近ツヴァーラの英雄ともなった男である。一方でその達良の対応に対して待っていたティアラとメフィルスの反応は大きかった。
「い、いえ。こちらこそ、余計な気を使わせてしまい、誠に申し訳ございません」
『英雄王にこのようなところを案内させる愚をどうかお許しください』
ティアラが謝罪をし、メフィルスがジンライ仕込みの土下座で畳に頭をこすりつけていた。
「いや……その、あの弓花ちゃん?」
「知らないし。うち、むさ苦しいあばら家だし。あんたの客だし」
ムスッとした弓花が、助けを求める達良の視線を無視してムクれていた。
「頭を上げてください。この家はこちらの世界ではひとかどの人物のものです。それを侮辱するのは許されません」
『はっ、ははー。申し訳ございませぬ』
ナビの達良コピーのときとは違い、ほぼ張本人(とメフィルスは考えている)である上に、その偉大さを決戦でまざまざと見せつけられたメフィルスだ。元より英雄王に持っていた畏敬は天井知らずにメフィルスの中では上がっており、炎の魔人でもあるガタイの良い老人はすぐさま尻を突き上げる土下座モードに入った。それは業界用語でシャチホコと呼ばれる、黄金の長方形に沿った形をしている土下座である。すべてはジンライの教えの賜物であった。それにティアラも慌てて習おうとして、弓花が止める。
「ちょっと、ティアラ止めてよ。スカートめくれて見えちゃうでしょ。達良、あんた、その目は何? 期待したの? 潰すわよ?」
「あ、ごめんなさい。潰さないで。お願いだから」
ティアラのお尻にガン見しかかっていた達良が弓花に威嚇されて顔を背ける。
「ともかく、落ち着いてください。僕は確かに達良ですし、英雄王と呼ばれた男の魂を継いでもいましたが、今はもうツヴァーラ王国を治めていた王そのものではありません。この世界の住人のひとりの、ただの達良なんです」
『は、はい。誠に申し訳なく』
冷や汗をかいているメフィルスがシャチホコモードを解除する。その様子に達良も頷き、それから彼らの前に座ってその場に不思議な袋を取り出した。
現在の達良はウィンドウが使えないためアイテムボックスも使用できない。けれども生前や神となった後の英雄王の知識を駆使して難易度の高い魔術の行使も可能なため、亜空間魔術を用いて不思議な袋を自ら作り出していたのである。
その不思議な袋から達良はひと振りの剣を取り出した。それは八つの翼を組み合わせた形をしている大剣だ。その剣を達良はテーブルに置き、ティアラとメフィルスを見て口を開いた。
「それで、これが約束のものです。神の力を宿した真なる大翼の大剣リーン。かつての彼らの血を継ぐあなた方が、ツヴァーラの今後のために役立ててください」
それこそは神翼の大剣へも変ずることが可能な、達良が生み出した最強の大翼の剣だ。そして、王城グリフォニアスを守護兵装『殺魅・グレートマザー・ジ・エヴォリューション』へと変形させる起動キーでもある。
ティアラとメフィルスは、その剣を受け取るためにここへとやってきたのであった。




