エピローグ そして、少女の冒険は……
魔軍大戦などと呼ばれるようになった戦いから一ヶ月のときが過ぎた。
魔物たちに襲われた国々の傷跡は未だ癒えてはいなかったが、活性化していた魔物たちも今は大人しくなっており、人々は以前のような平穏な暮らしへと戻りつつあった。
そして本日、あの戦いを生き抜いた冒険者たちやそれぞれの国の代表たちがミンシアナ王国の王都に集っていた。彼らの目的は、戦いの最大の功労者である白き一団たちだ。そう、あの戦いを終えた彼らへの勇者の称号の授与式が今日行われようとしていたのである。
◎ミンシアナ王国 王城デルグーラ 賓客室
「外すごいわねえ。城の前がホントに人人人って感じだったわ」
外の様子を見に行っていた弓花がそう口にして部屋の中へと戻ってきた。そして彼女が入った部屋の中には、風音やジンライ、エミリィとレーム、タツオ、それにライノクスがいた。彼らは再結成された白き一団のメンバーだ。
なお、黒き一団はすでに解散し、メンバーであったギャオとギュネスは戦いが終わった後に亡くなった仲間たちへの報告をしに国へと帰り、ジローはといえば恋人のいるパーティ『ブレイブ』へと戻っていて、現在は別の部屋で待機しており、勇者ジローとして単独で授与される予定であった。
また扇や達良などは元の世界に戻っている。その際に利用したダンジョン『アキハバラスカイツリー』は現在、非活性状態となっているが、風音次第でいつでも世界を繋げることが可能にはなっていた。
「ふむ。ミンシアナのみならず、多くの国々からこの日を祝うために集まってくれているようだからな。まったくありがたいことではあるが」
そう言ってジンライがこそばゆいという顔で笑うと、横にいるライノクスが「そうだな」と頷いた。
そのジンライの右腕ももう定着しており、切り離せなくなっていた。一方で義手シンディの方はといえば、ロクテンくんと同様のシステムを用いて雷神砲として使用をできるように調整中で、今はシップーの背に装着されている。
「ここにこれるだけ余裕が出てきたってことでもあるよね。ま、それは良いことだよ」
風音があくびをしながら、ジンライの言葉にそう返す。
また、その様子を見て弓花が眉をひそめた。その風音の状態を弓花は最近よく目にしている気がしたのだ。
「何よアンタ。また夜更かししてたの?」
「そうじゃないんだけどねえ。最近だるいっていうか、何かに引っ張られてる感じなんだよねえ」
『おや。母上、風邪ですか?』
パタパタと飛んできて尋ねるタツオに風音が「いや、身体の調子は悪くないよ」と答える。体調が悪いというわけではない。むしろ力が溢れているようだと風音は感じていた。
「まー、カザネが風邪ひくってのも想像できねえもんなあ」
「レーム。それ失礼だよ。確かに私は風邪をひいた記憶はないけど」
「ないんだ」
ないのである。それから風音が自分の手を見た。わずかばかりではあるが、神気が放たれている。天帝の塔での戦い以降、時折自分の魔力が神気に変わるときがあるのだ。
「龍神化はさすがにやり過ぎだったのかもねえ。まあしばらくこの状態が続くようだったら考えてみるよ」
「うーん。こういうのって神様に尋ねればいいのかしら。一度東京に戻って菊那様に見てもらった方がいいんじゃないの?」
「そうだねえ。これからまた旅に出ることを考えると不安は解消しておきたいしね」
「ていうか、あんたたちまたすぐに出るつもり?」
「あ、ルイーズさん」
「兄さんにティアラも」
風音たちがドアの方へ視線を向けると、ルイーズにティアラ、それにライルが次々と入ってくるのが見えた。また、外にはレイゲルやジン・バハルなどが護衛として待機しているようである。
「はーいカザネ。授与式終わったらのんびり話す時間もとれなさそうだし、こっちに来ちゃったわよ。って、なんでライノクスがここにいるわけ?」
「ああ、ルイーズさん。ライノクス様は今回の戦いで俺を持ち上げるだけ持ち上げて、とっとと引退したんですよ。こっちは戦後の処理で忙しいってのに。天帝の塔と浮遊島を繋げるのだって、何年後になることか」
恨めしそうなライルの視線に、ライノクスが「いやぁ」と苦笑いをしながら、頭をかいた。
「いや、そのな。今後のことを思えば、俺に頼るのではなくライル王陛下の指導の元でな……色々とやって欲しくてと思って」
「ふむ。ま、ここ一ヶ月のこやつはそれはもう、水を得た魚のようであったがな」
「余計なことを言うなジンライ。まだ大した冒険にも出てないじゃないか」
ライノクスが不満げな顔をするが、さすがにあの大きな戦いの後である。魔物たちも今は落ち着いた様子で、英雄扱いである風音たちの出番はほとんどなかった。
「ま、ライノクスさんの言うことも一理あるんだよね。最近はここらも平和だし、ちょっと遠出しようかって話になったんだよ」
「なるほどねえ。それで旅に出ようって話なわけか」
頷くルイーズの横で、ライルが少しだけ部屋の中を見回してから風音に尋ねる。
「ところでカザネ。ナオキがいないみたいだけど、どっか行ってるのか?」
「確かにそうですわね。もしかしてあちらの世界に戻っているのですかカザネ?」
「うん。直樹なら二号と一緒に実家に帰ってるよ。腕がやっぱり駄目でね。先週に冒険者は卒業して、今はあっちで受験勉強ってのをしてるよ」
風音の言葉にライルとティアラが少しばかり首を傾げたが、風音が学校に入るための試験勉強だと説明するとすぐさまふたりとも理解したようだった。
また、あちらの世界でやらかしたことへの後始末と身内の警護のために風音二号も今は実家暮らし中である。
「会うだけならいつでもいけるけどね。あいつも私もこれがあるわけだし」
そういって弓花が見せたのは帰還の楔だ。今は直樹と弓花のふたりとも所持しているために、どちらからでもすぐさま双方の世界に行き来が可能となっていた。
「ケジメだって言ってこなかったんだよね。落ち着いてきたらこっちにも顔出すとは言ってたけどね」
「ハァ。ま、あいつはあいつの道を進んでるってんなら仕方ねえな。カザネ、ナオキが来るときはあらかじめ教えてくれよ。時間とるからさぁ」
その言葉に風音が頷く。
「ん。ラジャー。けど、ライルの方からあっちに行った方が早いかもね」
「それは魅力的だがな。国から離れるのは難しくて。ホント、ライノクス様が何度かパーティにこれたのがどんなイカサマ使ったのかって思えるぜ」
「まあ、そこらへんは年の功だ。お前もそのうちできるようになるさ」
そう言ってライノクスが笑うが、今のライルが自由に使える時間はとても少ない。久々に親友と会えると思ったライルは少しばかり肩すかしを食らったようだが、すぐさま気を取り直して風音に別のことを尋ねる。
「そういえば、三号の方はカザネ魔法温泉街の方にいるんだったっけか? そっちはさっき話で聞いたぜ」
「うん、そうだよ。三号は今あっちで領主様やってる。直樹も実家に帰っちゃったし領主様不在ってわけにもいかないからねえ」
「便利なヤツだな」
ライルが呆れた顔でそう口にする。多忙な彼としては非常にうらやましい能力でもあった。そして風音が言う通り、現在風音三号ことゴーレム風音は、カザネ魔法温泉街にいて、マッカやキンバリー、グリグリと共に街の復興を行っていた。ゴーレム風音は、単体でも『ゴーレムメーカー』は使えるため街作りには特化してもいる。また、色々と有名になり過ぎたせいで窓口も必要な身の上となっていたため、ちょうど良いといえば良いことでもあった。
そんな話のやり取りを聞きながらティアラが変わらぬ彼らの様子に微笑むと、それから口を開いた。
「ところでカザネ。授与式が完了したらまた旅に出るのでしょう。でしたら、これからどちらに……と。あら、お呼びがかかったようですわね」
ティアラがそう言うと同時に、外から伝令がやってきて授与式の開始を告げてきた。ティアラたちがその場を去り、風音たちも準備を整えると城の外、中庭を一望できる王城デルグーラのバルコニーに向かい始めた。
そして風音たちがバルコニーに入ると、中庭に多くに人々が集まっていた。そこにいるのはミンシアナだけではない、様々の国から集った民衆や冒険者たちだ。それに王侯貴族たちも多くその場には訪れていた。悪魔に対抗すべく集ったカザネ同盟と呼ばれる国々の集まりのキッカケともなった人物の授与式だ。目聡い者ならば、この場に来ないわけがなかったのだ。
また、バルコニーには先ほど会っていたライルやティアラ、中庭にはルイーズや親方、他にも彼らが今までに出会った多くの人物たちが参列していた。
それから白きマントをなびかせた風音たちがジーク王子と共にいるゆっこ姉の前に立つと、彼女らは視線を交わしあうと少しだけ微笑んだ。それからゆっこ姉がその手を挙げて宣言する。
「勇者たちに祝福を!」
その言葉によって、その場の者たちが湧いた。
もうまもなく王位をジーク王子に譲る予定のゆっこ姉だが、魔軍大戦での活躍が知れ渡ったことで民衆からはより多くの支持を得ていた。そして、そこから続く言葉をその場の全員が待ったのだが、続いて発せられたのは別の人物の声だった。
「申し訳ございません。この授与式、すぐさまお止めください!」
そう声を上げたのはミンシアナの守護神であるミュールの神殿の神官兵だ。彼らは慌てて中庭に入ってきて、いきなりそう叫んだのだ。それにロジャーたち王宮騎士団が止めに入ろうと動き出したが、彼らの声は止まらなかった。
「神託です。たった今、神託が神ミュールより告げられました」
「は?」
思わず誰もが何事かと思ったが、次の言葉にはその場の全員が固まった。
「カザネ・ユイハマは大魔王なり。よって勇者への任命はできないとの神託です!」
その言葉と全員が呆気にとられたが、誰かが何かを言う前に唐突に空に映像が映し出された。
それを見て周囲はざわめいたが、渦中の人物である風音の方が衝撃は大きい。
何しろ映し出されたのは、あの天帝の塔内でのトールと戦っているときの映像だったのだ。
『戦力をね。用意したんだよ。国を相手にできるほどの戦力を』
そこにはドヤ顔のチンチクリンが映っていた。本物の風音がその映像を見て「ああー!?」と声を上げている。自分で口にした言葉だ。その先に何を言ったのかも風音は正確に覚えていて、それが告げられればどういう反応が返ってくるかも理解できた。
『複数の国が相手でもすべてを退けて占拠できるほどの力をさ』
横で弓花が「ちょっと風音。何これ?」と慌てた顔で言うが、風音の顔は固まっている。「は、ハメられた」と口にしている。
『まあ、今の私たちだったら、その気になれば大陸支配に乗り出すことだって不可能じゃないんじゃないかな』
そして、その言葉が終わった後に映像は消滅して、その場の全員の視線が風音に集中した。
「世界を支配するだって……」
「しかし、あの少女は我々を救ってくれたんだぞ」
「ともかくどういうことなんだ!?」
この世界に生きる以上、人々は神託に対してある一定の信頼を得ていた。それは必ずしも的中するものでもないが、指針となるべき神々からの贈り物なのだ。
だが、彼らは目の前の少女たちも信じていた。自分たちを悪魔の魔の手から救ってくれた冒険者たちだ。であればどういうことなのかと……彼らは一斉にチンチクリンへと視線を向けた。当然その場にいたライルやルイーズたちも同様の顔だ。
そして上空の映像に呆気にとられたゆっこ姉が、ゆっくりと風音の方へと視線を向けながら口を開く。
「ちょっと風音、今のは? っていないし!?」
「ええと……多分転移してどこかに行ったようですね母上」
目を丸くしているジーク王子の言葉にゆっこ姉が、恐らくは息子に一度も見せたことのないような情けない顔をして声を上げた。
「ちょっと嘘!? 戻ってきなさいよ風音ェェエエエエ!!!」
◎草原
「よし。全員、無事に到着したわね」
女王の咆哮が王城に響き渡っている頃、風音はつい先ほどまでいたバルコニーではなく広い草原に立っていた。その場には他の白き一団のメンバーたちがいて、またひとりの見知らぬ少女もそこにいた。その姿を見て弓花が「あれ?」と声を上げる。
「あなたはミュール様……じゃないですか」
「おや、会ったことあったっけ?」
弓花にミュールと呼ばれた少女が首を傾げると、風音がキッとした顔になってミュールを見た。今の現状を引き起こした犯人が誰だかがすぐに分かったのだ。
「ミュールって、さっき変な神託をした神様でしょ。何してくれてんのさ。もう、色々と厄介な状況になったじゃないのさ!?」
さしもの風音も涙目であったが、ミュールは少しばかり焦った顔でまあまあと口にしながら、風音に言葉を返す。
「けどさ。少しは身体軽くなったんじゃないのかな風音ちゃん?」
そう言われた風音が、自分の身体を見てわずかに眉をひそめながら頷いた。
「うん。確かにここ最近あった重い感覚が……消えてる? けど、だからってさっきのはひどいよ」
「ギリギリだったからねえ。問題を解決するために、少しばかり強引な手を使わせてもらったんだよね」
「解決って、何をしたんですか?」
弓花の言葉に、ミュールは「神様になりかかってたのを止めたんだよ」と即答する。
「神様?」
「そう。ここ最近、風音ちゃんたら随分と活躍して世界まで救っちゃったからね。だから、みんなから崇め祀られ始めている状態になっちゃってて。神の力もそもそも持ってるから本当に後一歩だったんだ。勇者になんてなったら一気に神化してたと思うよ」
「マジで?」
風音が自分の手を見た。確かなことは今の自分は何かに引っ張られる感じはしていないということだった。その様子を見てライノクスが尋ねる。
「神になることが悪いことなのか?」
「ふむ。望むのであれば悪くはないが、確か地に縛られ、そして魔力の川と繋がったままの状態になるのではなかったかな」
ジンライの言葉にミュールが頷く。
「まあ、本人が望むのであれば、僕もこの地の神の座を退いても良いんだけどね」
「いや、これから私は冒険に出るし、ここに留まるつもりはないよ」
風音がそうハッキリと言う。
「となると、やっぱりこうするしかなかったんだよ。さっきので一時的な反発は生まれたけど、風音ちゃんたちの功績はあの程度で揺らぐものではないしね。逆に世界征服を手助けしたいって人だって出るかもしれない」
「私はガイエルさんのようになるつもりはないよ」
「だとすればだ。ひとつどころにとどまるなら神様になる前提か、コッソリしていることだね。今回ほどでないにしてもあまり注目集め過ぎずに過ごさないと、今の風音ちゃんが現状維持をしていくのは厳しいよ」
「うーん。注目集めたいわけじゃあないんだけど、ジッとしてるなんて性に合わないしなぁ。ひとまずはほとぼり冷めるまでは別のところで冒険してれば問題なしってこと?」
風音の問いにミュールが頷いた。その反応を見てジンライが笑う。
「ならば良い。予定よりも少々早いが、旅の再開と行こうじゃないか」
ここ最近は授与式のためにと色々と自由が利かなかったのだ。だが、今はむしろ行けと神が言うのだからジンライにとってはそうしない理由がなかった。そして、その言葉にはミュールも頷く。
「できれば、一刻も早く離れることをお勧めするよ」
「はあ。了解、了解。それでミュールさん。あっちのフォローはお願いできる?」
この会話をしている間にも風音宛にゆっこ姉から抗議のメールがバンバン届いていた。その様子にミュールが苦笑いで頷きながら、悪い大魔王ではありませんので……と、追加の神託を飛ばしていく。それからミュールが風音に尋ねる。
「それで風音ちゃん。次はどこ行くつもりなの?」
「んーと。マップを見る限りここはミンシアナとトゥーレの国境付近だよね。だったら一旦はトゥーレを横切って北の国に行くことにするよ。元々、次は北大陸を旅する予定だったしね」
その言葉にライノクスが力強く頷く。
「ああ、そうだ。あちらは人族だけじゃなくて、エルフにドワーフもいるからな。見たこともないような建物や生き物も多いと聞くぞ」
「危ない魔物も多いって話ですけどね。闇の森ほどではないでしょうけど」
エミリィがそう言うと風音も「そうだねえ」と返す。
「ファンタジー要素は北の方が強いんだけど、ゲームだと後半辺りに向かうことが多かったから魔物もあっちの方が強かったりするんだね。資料見る限り、今もそういう状態らしいし。まあ、慎重に考えておいた方がいいかもね」
「そうよね。けど準備どうしよう。大体は不思議な倉庫に入ってるからどうとでもなるだろうけど。置いていった荷物は後で取りに行くか、送ってもらわないといけないわね」
エミリィがため息をつきながらそう言って、ここより南にある王都シュバインへと視線を向ける。
先ほどまで彼女たちがいた王城の中庭は大混乱が生じているだろうとエミリィは予想していたが、その頃の中庭では、いなくなった風音たちの代わりに担ぎ出されたジローへの熱狂的なコールが起こっていた。
もっとも、そんな事態が起きているとは露とも知らぬ風音は王都から背を向け、
「ま、勇者の称号は惜しいけど、必要なもんではないしね」
旅立ちの一歩を踏み出した。それに仲間たちが続いていく。
先に見えるのは青い空には白い雲。草原は視界の先まで続き、周囲には山脈に囲んでいる。さらにその先にはゴーレムの国が、ドワーフの王国が、エルフの王国が、まだ見ぬダンジョンや、魔物や亜人たちの世界が待っているのだ。
そのことを想うと風音の頰はいつの間にか緩んで、笑みを浮かべざるを得なかった。
まだ見ぬ世界と、そこで待っているであろう出会いと冒険を求めて、風音たちは再び歩き出した。
「そんじゃあ、しゅっぱぁあつ。次の冒険が私たちを待ってるよ!」
新しい旅が始まる。
そして、少女の冒険はまだまだ続くのであった。
**********
「そして、少女の冒険はまだまだ続くのであった」
そう言って私は本を閉じる。
目の前には、私の話を聞いて目を輝かせている孫娘のユーミがいて、私の言葉に続いて「続くのであった」と繰り返していた。それからユーミは私の手元にある『まのわ』と書かれた本へと視線を向けながら、私に対して尋ねる。
「ねえ、お婆ちゃん。それで、それでまのわちゃんはどうなったの? 結局勇者にはならなかったの?」
「そうねえ。続きのお話には書いてあるんだけどね。最終的には、名誉勇者っていう実質的に勇者と変わらない称号をもらえたのよ。後でこっそりとだけど」
そう言って私が笑うと、孫娘も一緒に笑う。
「まのわちゃんはいつもそんなのだよねえ」
「そうね。人生はままならないものなの」
私は過去を懐かしみながら、そう言って微笑んだ。そう、ままならないのだ。あのときはみんなでミンシアナ王国を脱出したものの、結局は温泉街に残っていた三号が半神霊化して色々と問題になったし、ゆっこ姉に担がれた勇者ジローが私たちを追いかけてきて予想外の奮闘をしてきたり、天使教とムータンの暴走を止めるために動いたりと、本当に色んなことがあった。
そのことをひとつひとつ思い出しながら私はつい物思いにふけってしまったが、ユーミは気付かずに、目を輝かせながら続きを尋ねてくる。
「ねえねえ。お婆ちゃん。それで、どうなったの? そこからまのわちゃんはまたどんなことをしちゃったの? やらかしたの?」
「そうねえ。色々とやらかしたわよ。何しろそこからもっともっと旅をしていって、いっぱい笑って、ときどき泣いて、それでもあの子はずっと元気だったし、今もどこかで冒険の日々を送っているはずじゃあないかしらね」
そう言って私はユーミの頭を撫でた。
私はもう引退してしまったけれど、あの子は今も確かに冒険を続けているのだ。メールも毎日のように届いているし、あの頃と変わらぬあの子のままで私とやり取りをしている。
「じゃあ、そのお話聞かせてよユミカお婆ちゃん」
「そうね。ふふ、けれどもそれは明日にしましょう。今日はもう遅いから、これ以上はエリザに叱られてしまうわ」
「ちぇっ、ママ怒ると怖いからなあ。血塗れの狂戦士に食べられちゃうぞーとか言ってくるの。あんな怖いのいるわけないのにね」
ふふふふ、エリザには後で少しお話が必要かもしれないわね……と、そんなことを思っている私に、ユーミは「じゃあ明日ね」と声を上げた。
「明日もだからね、お婆ちゃん。まのわ、ちゃんと読んでよね。それじゃあお休み。ほら。クロマルもいこ」
その言葉に、横で丸くなっていた銀色の狼がウォンッと鳴くと、駆けていく孫と一緒に部屋を出ていった。
「頼むわよクロマル。あの子を守ってあげてね」
私は閉まった扉に向かってそう口にすると、ゆっくりとベッドに入り込む。あの優しい狼は最後まで私から離れまいとしていたけれど、ようやくあの子に懐いてくれたみたい。これで、もうじき魔力の川に召されるだろう私も安心ができる。
「けれど、師匠との約束は……ふふ、あの子たちに持ち越しね」
そう口にして、私は師匠を思う。
あの日、冒険者として引退を決めた私が師匠と交わした約束はまだ果たせていない。私の教え子たちをいつか師匠に届かせるという約束は未だ道半ばなのだ。まだ猶予はあると思うけれども、いつの日か私の教えを受けたあの子らが届くと信じて私はこのまま終わりを迎えるだろう。
それから、パチパチと暖炉の火が揺らぐ前で私は自分の手の中にある本を見た。
これは、私が書いたあの子の物語だ。
タイトルはまのわ。
名前を決めたのはあの子だ。魔物を倒して、能力を奪って、私が強くなるから「ま・の・わ」なのだそうだ。まったく、単純で笑ってしまう。
けれども、今ではまのわちゃんは世界中で人気者だ。きっとユーミのように、これからも子供たちの笑顔を守ってくれるだろう。
「ふふ。けれど、本人が今もお話のまんまだって知ったら、みんなどう思うかしらね」
そう口にして私は親友のことを思って笑う。
彼女は、いつの頃から歳をとらなくなっていた。実のところ竜体化という能力を得た時点で怪しくなっていたそうだが、それだけが原因なのかも正直分からない。ともあれ、彼女は今も世界中を巡って冒険の日々を送っている。あの頃と同じように、旅を続けている。その力の大きさ故にひとつどころに留まることを許されなくなったあの子だけれど、それでも今を元気に生きているのだ。
今日はどんな冒険をしているだろう。明日はどこに向かうのだろう。私はいつもそれを想いながら、届くであろうメールを待ちわびる。
そして、今日届いたメールによれば、あの子が今いるのはとある港町らしい。どうやら徹夜気味らしく、明日の船に遅刻しなければいいけど……とメールには書いてあった。
だとすれば多分……彼女は今、船に向かってギリギリ間に合うかどうかというところで走っているはずだろう。
「出航ー。出航ー」
「とっ、ぎりぎりィ!」
そして、少女は慌てて船に乗り込んで、先に待っていた仲間たちに呆れた顔をさせているはずだ。
「相変わらず慌ただしいな。というか、もう少し落ち着かんのかカザネ。お主は何も変わっておらんな」
「そう言うジンライさんの方は、後一段階若返ったら命の危機なんだから変わらないように気を付けてよね」
「大丈夫だわい。なぁシップー」
少年の横で丸くなっている傷だらけの大きな老猫が「なぁ」と鳴くと、少女の肩に乗っている子猫も一緒に「にゃあ」と鳴いた。その様子に少女は眉をひそめる。
「む。ユッコ、あんたはお母さんと違って私の言うこと聞かないよね。反抗期?」
「ふぅぅ」
ユッコと呼ばれた子猫は少女に威嚇してフイッと顔を背ける。実は、母親猫によって少女の護衛を任せられたものの、彼女はまだ出会ったばかりで打ち解けていないのだ。むしろ偉大な母がなぜこんなチンチクリンに従っているのだろうと不満でしょうがないらしい。
「と、狂い鬼も怒らないの」
また、少女は己の纏う黒い鎧からの不穏な気配を感じて、コツンと装甲を叩いて少しばかり苦笑する。
それから少女は進みだした船の向かう海を見ると、仲間の少年もその横に立って同じ方へと視線を向ける。
まるで兄弟のようなふたりだが、彼らの関係は今も昔も変わらない。少年にとって少女は孫も同然であり、少女にとって少年は少し頑固なお爺ちゃんだ。
「で、久方ぶりの船旅か。あちらの大陸に行くのももう三十年ぶりか?」
「うん。イシュタリア大陸までは結構長いけど、今回はノンビリ行くよ。ライザーもいるしね」
そう言って少女が振り返った先には、槍を携えた猫耳の青年がひとり立っていた。
「つか、えーとヒイ爺さん……なんで俺も一緒にいるの? 俺、一応第一王位継承者よ。親父は後三百年は現役だろうけどさ」
「やかましいわライザー。お前についてはライルとソルから甘え癖を捨てさせるように言われておるのだ。死んだ方がマシという目に遭わせて、その性根を叩き直してやる」
「マジかよ」
絶句する青年と本気の目をした少年。その様子を少女は可笑しそうに笑う。
それが少女の日常だった。
少女の世界はあの頃と変わらず、今もなお続いている。
ここまでの仲間たちと、これからの仲間たちと、多くの出会いと縁と冒険を胸に抱きながら、少女は過去から今を、そしてここから先の明日へと生きていく。
そのことを想いながら、私は少女の物語を綴っていく。
私の物語はあの子の軌跡。それがもう老いた私があの子と共に旅は続いていくということ。
まのわ
それはひとりの少女の物語だ。果てなく続く冒険の日々をおもしろおかしく過ごしていくチンチクリンのお話。ときには笑い、ときには泣いて、それでも最後は笑顔で終わる。そして、物語の締めくくりはいつだってこうなのだ。
「さぁ、行こう。世界が私を待ってるよ!」
そして、少女の冒険はまだまだ続くのであった。
まのわ ~魔物倒す・能力奪う・私強くなる~
完




