第千二十八話 己に勝とう
「なぁあああ!」
肉球がディノハガスたちを吹き飛ばしていく。
凄まじい勢いの猫パンチが弾丸のように降り注ぎ、シップーは一体でありながら、ディノハガスたちを相手に対等以上の戦いを展開していた。
ディノハガスは、対ジンライに特化している。故にシップーからの慣れぬ肉球乱舞を前に防戦一方となっていたのだ。なお、シップーは爪を使用していない。刺されば抜く際に動きが鈍るし、肉球の弾力により衝撃を浸透させることでディノハガスを仰け反らせて勢いを殺し、スタミナを消費させ続けることができるのだ。そうすることでシップーは二対一の不利を補っていたのである。
目の前の敵に対して己が倒しきる必要はないとシップーは割り切っていた。ジンライたちの邪魔をさせない。それがジンライを補佐すべく存在する己の役割だとシップーは理解していたし、その間にジンライがオールドジンライに勝てば、それはシップーの勝ちであった。
一方でメフィルスやルイーズたちの方も悪魔たちを相手によく戦っていた。そして、三人のジンライたちの攻防もまた苛烈さを増していた。
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『ぬぉぉおおおおおおおお!』
オールドジンライが吠えながら槍を振るう。
もはや槍の中にはディノハガスたちの気配はなく、宿っているのは己の力のみであった。もっとも全身の魔生石から発せられる魔力によって、オールドジンライは、かつて望み続けながら得ることができなかった圧倒的な量の闘気を練ることができる。
『見ろワシよ。分かるか、この力のほとばしりを。ワシがこれをどれだけ望んでいたか。だが、届いたぞ。ワシはついにここまで来たのだ!』
「ハッ、玩具自慢でもしたいのか? 子供か。貴様は!」
『喧しい。手を動かせワシよ』
一見して普通に会話を飛び交せながらも、彼らの打ち合いはもはや常人でなくとも着いていけない領域に到達していた。ともあれ二対一であるにも関わらず、左右の槍でメカジンライとジンライの双方の攻撃をさばいていくオールドジンライの戦闘力は一歩抜きん出ているようであった。ジンライたちにも連携による利があるが、強靭な力とそれを支える闘気が彼らを跳ね除けることをオールドジンライは可能にしていた。
『力、力、力だ。分かるだろうワシよ。これがワシの選んだ道だ。貴様達では到達できない場所に今ワシはいるぞ。それが理解できぬか?』
「ハッ、愚かしいな。それでワシを上回ったつもりか。そうして力に奢れる相手を地に這わせ続けてきたのもまたワシだろう!」
『そうだ。だが、その末路としてワシは有望な弟子を取った。あのとき、ワシは諦めていたはずだ。だから己の技術を与え、いずれは己を殺させようと願っていた』
「過去の話だッ」
槍と槍とがぶつかり合い、火花が散る。
オールドジンライの言葉は事実だ。強くあろうとし生き続けた人生。だが魔物に槍を折られ、己の限界を感じた彼はミンシアナ王国に留まっていた。
心折れたであれば引退するという道もあったはずだ。最愛の妻の元に戻り、息子や孫たちと共に過ごす生き方もあったはずなのだ。だというのに、牙を片方なくしたにも関わらず彼は足掻いていた。自ら足掻いていると思うことで、ジンライは己を納得させようとしてきた。
「最初はそうだったかもしれん。アレはあまりにも眩い。ワシにはないすべてをもって現れた」
そんなときにジンライは弓花と出会ったのだ。自分の技術のすべてを真綿に染み込む水のように受け止める最上の弟子を見て、彼は己の命も含めたすべてを託し、それを生きた証にしようと考えていた。そう夢想した過去も確かにあった。
「嫉妬すら抱かぬほどに、アレは完璧な才を持つ雛であったよ。これならばと、ワシは確かに考えた。ワシの命の終着点を、わしのすべてを継がせるにふさわしい器だとそう思った」
『ああ、そうだ。ワシはな。貴様のそうした心から生まれたのだ。貴様の中にある惰弱な精神がワシを生み出した。受け継ぐ相手が弟子である必要はないのだワシよ。もうユミカはいない。ならばワシに食われろジンライ!』
「否。ユミカはワシの心の中に生きておる!」『人は変わる。より強くなれるのだ! 貴様がそうであるように、ワシがそうであるようにな!』
『チッ、速い!?』
完全なるタイミングでジンライとメカジンライの槍が同時に振るわれ、それをオールドジンライが左右の槍を交差させて受けながら後ろへと跳んだ。
『確かに……貴様も強くはなったな。ああ、間違いないさ』
着地したオールドジンライがそう言いながらも左右の槍を構え、闘気を集中させていく。
『この闘気の流れは……』「使う気か、バーンズの奥義を?」
ジンライたちの言う通り、オールドジンライがこれから放つのはバーンズ流奥義だ。それは養子に迎え入れられながら、ジンライがついには得ることができなかったバーンズ流槍術の最高峰。
息子のジライドも使うことだけならばできるが、並以下の魔力しか持たないジンライでは結局届くことがなかった技だ。
魔術師ほどではないにせよ、戦士にも魔力は必要なのだ。彼らが使う技の多くは魔力を練って生み出す闘気が不可欠だがジンライにはそれがない。ジンライの人生はその不利を埋めるための努力の積み重ねだったといっても過言ではなかった。だからこそ彼が強くあり続けたのも確かだが、狂おしいほどに望み続けたのも事実だ。
だが今、オールドジンライには力がある。バーンズの奥義ですらも容易く扱えるほどの膨大な魔力を持っている。
『さあ、貴様の『手』は確かにそれに届いたぞ。その事実に喜びながら、貴様はここで果てよ』
「来るか!」『ああ、やはり』
そして、オールドジンライが放ったのは闘気の円盤を放つバーンズ流奥義『斬玉』。また同時にもう一本の槍でバーンズ流奥義『反鏡』をも発動させる。
それが何を示しているのかをジンライは『知っている』。次の瞬間、あらゆる力を弾く『反鏡』によって『斬玉』が押し出されて一気に加速しジンライたちへと向かい始めたが、それをジンライは『知っていた』。
「甘いわッ」
飛び上がったジンライは迫る闘気の円盤の中心点へと槍を振り下ろして即座に破壊する。
『無駄だッ』
だが、それを見ながらもオールドジンライが叫んだ。
続けて放たれるのは『七閃』。それもまたバーンズの奥義。二本の槍を操るオールドジンライは、三つの奥義を連続で放つ『三種の神器』を左右の槍を交互に使うことで完成させていた。斬玉が砕かれようと、その隙を狙って次の一手を放つ。決して逃れられぬ技。それこそがバーンズ流槍術の最終奥義だ。
だが、それもまたジンライは『知っていた』。
『オォォオオオオオオオオオッ』
初撃は一歩踏み込んだメカジンライが弾き、続けての突きはジンライが、計七度の必殺の突きをジンライとメカジンライのそれぞれが交互に止めていく。そして、最後の突きを止められたことでオールドジンライが驚きの顔をジンライたちに向けた。
『止めきった……だと?』
『惜しかったな。ソレは知っている。夢で見た』
「忘れたか、ワシに才はない。新しいことを始めたのならば、それを成すには時間がかかる。であれば対策ぐらいは練れるさ」
『だが、それでも今のタイミングは……』
間違いなく、それは実際に対応したことのある者の動きだとオールドジンライは感じていた。かつて弓花も『三種の神器』を使ってみせたが、二槍によって完成された『三種の神器』の流れは、もはや別種のもののはずだった。しかし、ジンライは首を縦に振る。
『そうだ。知っているのだよ、ワシは。完成された『三種の神器』をワシは知っておる』
「貴様には分かるまい。我が弟子は容易にその壁を乗り越えるぞ。アレが二槍を扱えたなら、その程度はお前よりも先に辿り着く。それより先に行かねばならぬのだから師であることとは、なんと難しきことよな。今もあやつがワシを追いかけている気がしてな。走るのを止めることができん」
『ユミカが? それは、どういう……いや、だが』
オールドジンライは一歩を踏み出す。戦いのさなかだ。例え、技を打ち破られたとしても、己が破れたわけではない。そして反応して一歩を踏み出したメカジンライをオールドジンライは串刺しにした。
『やった……いや、これは?』
それに魂が篭もっていないのはすぐさま分かった。貫いた瞬間にそれを理解した。であれば、その魂はどこに……そうオールドジンライが考える間も無くメカジンライの背後から空気が震える音が響き、
「もらったわ!」
『ガッ!?』
聖一角獣の槍が『メカジンライの腹を突き抜けて』オールドジンライの身体を貫いた。その衝撃がオールドジンライの全身へと伝わり、その身を砕いていく。
『これはバーンズ流奥義『大震』? 貴様に使えるはずが……いや、違う? なんだ、この技は?』
驚きを露わにするオールドジンライに、ジンライが口を開く。
「これもお前は知らぬな。今はライルに付いているジン・バハル。アレは過去のハイヴァーンの槍の使い手だ。アレがワシらの知らぬ古の槍術を教えてくれた。これの基となった槍術の名は『風神槍』という。それは、バーンズ流奥義『大震』や破砕技である『振』の源流となった技だ』
オールドジンライの顔に再度の驚きが生まれる。
「『風神槍』を元にワシは夢の中でユミカと共に新しい槍術を生み出した。『大震』をよりコンパクトにし、『振』のようにより破砕に特化させる。言うなれば槍術奥義『撃震』。ワシとユミカがお前を倒すべく生み出した技だ」
その言葉を聞いたオールドジンライが笑う。
『クッ、ハハハハハ。どれもこれも弟子か。ユミカ、ユミカ、ユミカ。まったく、何ひとつとしてお前だけの力では……ないではないか』
そして、ジンライが頷いた。
「ああ、そうだとも。だからワシは勝ち、お前は負けるのだ」
『なる……ほど。勝敗は弟子の有無か。であれば仕方あるまい。お前こそがジ……ンライ。見事……だ』
バキバキと音を上げながらオールドジンライの魔生石の肉体が崩壊していく。
その前でジンライがもう限界だという顔で仰向けに倒れた。
「ふむ……やはり奥義を使うには魔力が足りぬか」
以前よりも魔力が増えたとはいえ、奥義を使うには魔力が足りない。ジンライはここで力を使い果たしていた。
「まあ……仕方がない。メカジンライのボディにも無茶をさせてしまったな。おお、シップーよ。お前も戻ってきたか」
ディノハガスもオールドジンライと共にすでに消滅していた。
シップーも主人の勝利を喜びながら「なーなー」と鳴きながら近づいて来る。悪魔たちを相手にしていたメフィルスたちの戦いも決着がついたようだった。
すべては上手くいった。であればと、ここで寝ている場合ではないとジンライが起き上がろうとした……そのときだ。
「なぁ!?」
「な……に?」
シップーの身体に槍が突き刺さった。
そして、気がつけば、ジンライにはないはずの右腕がそこにあった。
無数の魔生石が埋め込まれた黒い右腕がいつの間にかジンライに繋がっていて、それがハガスの槍を握ってシップーを貫いたのだ。それを見てジンライが愕然としながら、黒い右腕とシップーを交互に見る。
「シップー……? なんだ、これは……身体が、動かん?」
『ようやく、ようやくだ。待っていたよ。このときを』
右腕から子供の声が響いてくる。それは以前に聞いた、もう二度と聞くはずのない者の声だ。ジンライが驚愕の表情で己の右腕を見る。
「この声……まさか、お前はエイジ? 馬鹿な。貴様はカザネが!?」
『ははははははは、おはようジンライ。すべては君のおかげだ』
それはかつて滅びたはずの、邪悪に染まった幼子の目覚め。右腕に残っていた魂の欠片は、オールドジンライの終わりと共にその覚醒を果たしたのである。
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