第千二十二話 上手く騙そう
◎ツヴァーラ王国 王都グリフォニア正門前 ツヴァーラ王国軍陣地
「やられましたわね」
そう口にしたのはティアラだ。今、彼女の目に映っているのはテーブルに置かれた王都近辺の地図と、フレイバードを通して上空から観察している敵の動きであった。また、その表情はかつてないほどに険しいものとなっていた。
「現在。東方面にはアウディーン国王陛下の炎の巨人部隊が、西方面には鷲獅子騎士団が、南には民兵を含む戦力を総動員しておりますが……」
王宮騎士団長のレイゲルが、話しながら眉間にしわを寄せて唸る。どこも状況はひどい有様だが、特に南の状況は悪い。その先を考えれば、絶望的といっても良かった。
「南は一旦兵を引かせ、城壁を盾として守りに徹しましょう。東西も戦列が崩れる前にそのように」
そう口にするティアラの表情は冴えない。元より兵力を総動員しての作戦だ。これより先に増援はないのだ。街内には数ヶ月は暮らせる物資があるが、壁が崩れれば人々は魔物に蹂躙され尽くすだろう。であれば最後の手立ては守護兵装を操るティアラのみ。
「万が一のために王都の民は城に避難を。獣海はなんとしてでもここで止めます」
決死の覚悟で言うティアラに「ハッ」とレイゲルは返事をし、膝をつき頭を垂れた。もはや、彼らにできることは魔物を食い止めながら、守護獣ルビーグリフォンの力にすがるのみ。守るべき少女にすべてを委ねるしかない状況に、レイゲルは己への怒りで憤死しそうであった。
そして、ティアラが目を閉じ、己の中のルビーグリフォンと魔力の川との接続を開始させる。迫る獣海へと再度の攻撃を仕掛けようと動き出す。
先ほど一旦召喚解除される前にルビーグリフォンが放った滅の炎によって多くの魔物が燃やし尽くされ、その数はかなり減ってはいた。
またその際に大地は焼けて溶解して踏み歩くこともできぬような状態になっていたのだが、それも時間の経過と共に冷め始め、今まさに魔物の進軍は再開されようとしていた。
「彼の王は血に濡れし獣と共に降臨し、あらゆる国へと心なき軍勢が訪れよう……でしたわね」
迫る敵を前にティアラは神託の一文を口にした。彼の王とは悪魔王ユキト、血に濡れし獣とは魔物たち、そして心なき軍勢とは魔物たちがブラックポーションによって操られていることを示しているのだろうとティアラは考える。
「そして続くのが救い、安らぎ……死こそが安らぎだとでも? いいえ。そうではないですわね。わたくしに救いはもう与えられた。だから今、わたくしは救うためにここにいる」
ティアラの脳裏に浮かぶのは、かつての光景だ。オーガから己を救い出してくれた少女の姿を心に焼き付けながら、ティアラは目を開けた。
そして、風音によって再びツヴァーラ王国へと戻された大翼の剣リーンを握り、それを前にかざす。
それは英雄王タツヨシの所持していた万能なる剣。ティアラには扱えぬが、それでもその存在を示すことが兵たちの心の支えへと繋がっている。
また、そうしている間にも、ティアラより流れ出た魔力を基に殲滅魔獣ルビーグリフォンは再度出現し、魔力の川の魔力がその場に降り始めていく。
「カザネがしてくれたことをわたくしがする。それこそがわたくしがわたくしであるということ。あの子に恥じぬわたくしであるために……ルビー、おやりなさい!」
ティアラの声と共にルビーグリフォンが咆哮し、正面に滅びの炎が再度吹き荒れる。魔物たちの多くがその炎に焼かれていくが、それでも戦いは未だ終わりが見えない。ただ絶望がひしひしと足元に迫ってくるのを感じながらも、ティアラは諦めずに戦い続けた。
◎レイヴェル亡国領 シュミ山 上空
『どうでしょう。面白い見せ物でしょう?』
トールのにやけた顔が空に映し出されている。各国の状況は切迫していた。それも当然のことだろう。獣海との正面衝突だけでも十分に大事なのだ。であるにも関わらず、さらに別の方角から一斉に攻撃を仕掛けられたのだ。それは、あまりにも理不尽な戦況だった。
「……ヨーシュア」
その様子を見ながらルイーズがギリギリと歯を鳴らす。彼女の視線の先にあるのはアモリアの王都コーダの光景であった。そこではルイーズの弟であるヨーシュアが悪魔狩りの面々や王国軍と共に獣海への戦いを行っているはずなのだ。
もっとも、アモリア王国には宮廷魔術師長ミサリが扱う守護兵装『神の杖』が存在する。先ほどより上空でいくつもの巨大な魔法陣が出現し、その度に光の柱が落ちているのも見えていた。『神の杖』は広範囲に渡って発動可能な兵器であるため、他の国に比べればまだ猶予はある状況なのだ。
一方でトゥーレ王国などはベネットが操る守護兵装クルミワリニンギョウが戦線に投入されていたが、すでに魔物は街内に侵入していた。住人たちが風音の生み出した空中都市に避難していなければ、今の時点でも被害は相当なものになっていたはずである。
そして、それらの様子に一同が言葉を失っていると、グキャリと何かが砕かれる音がした。その音に全員が視線を向けると、そこにはゆっこ姉が握っていた手すりがグチャグチャと握り潰されている光景が目に入った。炎の最上位精霊となったゆっこ姉は、その精神がダイレクトに表に現れる。今のゆっこ姉は殺意の塊のようであった。
『確かその竜船には、長距離転移装置が積んであるとか? お子様もひとりで大変でしょう。戻って差し上げてもよろしいんですよ?』
トールの挑発が誰に向けられたものなのかは、ブリッジ内の誰もが理解できた。そして、ゆっこ姉が握り潰した手すりを炎で蒸発させながら正面を見る。ミンシアナ王国の状況も他国同様に決して楽観できるものではない。白剣だけで防ぎきるにも限度はあるのも確かだ。
このままでは己の大切な子供が魔物たちの腹に入るのは時間の問題なのだろうとゆっこ姉は十分に理解していた。その様子にやすが「ゆっこ……」と口にするが、ゆっこ姉は一度息を吐くと、正面へと指を差した。
「やすちゃん。突撃しましょう。全速力で!」
「お、おう。分かったぜ、それでいいんだな?」
その問いにゆっこ姉が頷き、やすも覚悟を決めた顔をして、竜船を天帝の塔へと加速させていく。その様子を見たトールが肩をすくめる。
『やれやれ、やはり戻りませんか。自分のお子さんが死ぬかもしれないというのに随分と冷たいお母さんですね。それとも、やはりこっちの世界の子供など育成ゲームのひとつぐらいにしか思っていないのかな?』
「私が戻っても、あの子の未来がないなら意味がないのよ」
ボソリとゆっこ姉がそう口にする。挑発になど乗らない。彼女が辿り着いた今は、くだらない男の安い挑発で台無しにしてしまえるほど軽いものではないのだ。
「やすさん、こっちの準備は整ってる。撃ってくれ!」
「ぉぉおおし!」
直樹の言葉に頷いたやすが、レバーを一気に引いた。そして正面のドリルの先端が開き、その中から砲身が伸びてくるのが見えた。
「ブチかませぇえ!!」
続けてやすが舵輪についているトリガーを引くと、砲身からは一筋の光が射出した。強力な魔力を放つ光の正体は、かつて直樹がこのシュミ山で使った剣と同質のものだ。
『それはまさか、あのときの!?』
それを見たトールの表情が変わるが、空中に浮かんでいるのはトールの幻影だ。だから今、迫る剣を止める手段は彼にはない。そして、飛び出した剣の名は『巨神振るう螺斬剣』。以前に直樹がシュミ山で結界を破壊することができた唯一の武器『神螺の斬剣』をさらにやすが強化して造り出したものである。それが直樹のユニークスキル『魔剣と合一せし者』と繋がって限界を超えた性能を発揮し、天帝の塔の結界と激突したのだ。
「通ったか!?」
その様子を見てやすが叫ぶ。ぶつかり合った箇所では壮絶なスパークが放たれているが、まだ結果は見えない。だが次の瞬間には激しい破壊音がして、結界の外側へと金属の破片が飛び散ったのが見えた。それが砕けた巨神振るう螺斬剣であると理解したトールがほくそ笑む。
何しろそれはトールが仕込んだものであった。わざと結界を通させて希望を植え付けた後、再度その武器を使わせて絶望に落とす。己の策略によって彼らが意味のない準備をし続け、そのすべてが無駄に終わってしまったのだと思うとトールは笑いが止まらなかった。
『はははは、残念でしたね。あのときの結果を希望にしていたのでしょうが、これですべてが終わ……』
「裁定の雷よ、魔なるものを砕け」
砕けた破片が宙を舞った直後である。悪魔と魔物が並び立っている島の端を巨大な光が横切った。それには今度こそトールが驚愕の表情を見せた。
『なっ!?』
完全に虚を突かれた形であった。
放たれたのは悪魔狩りの創始者ゼクウ・キャンサーが悪魔を殺すために生み出した光の雷の混合魔術『ジャッジメントボルト』だ。その光が悪魔やブラックポーションに侵された魔物たちの大半を一気に蒸発させていく。
それには悪魔たちの防御も間に合わない。間に合ったとしても瞬間的に行った防御では、迫る光と雷の奔流に抗することはできない。
そして、トールが血走った目で彼らを見た。今結界破壊に失敗して打ちひしがれているはずの風音たちは、何故か結界内にいた。地上を駆けていた。
『どういうことですか!?』
トールが叫ぶが、そうしている間にも彼らは天帝の塔へと向かっていく。また空中からは飛翔するフレイムゴーレムに乗ったゆっこ姉と、ドラゴンに戻ったスザ、スザの頭に乗ったアカが飛んでいた。
「姉貴、あのトールの顔見たかよ」
『ドヤ顔が一瞬で凍りついたからね。いやぁ、面白かった。バーカバーカ。まんまと騙されてやんのぉ。アッタマワッルー。ひょっとしてクールをKOOLとか言っちゃう人ですか?』
地上を駆けながら風音と直樹が笑いながらトールをバカにしている。
それにトールがいきり立って睨みつけるが、幻影である彼には何もできない。
『これは一体? 何が起きたんだ!?』
トールが唖然とした顔でそう口にする。
風音たちは、確かにトールの想定通りに結界破壊には失敗した。
だが、それでも良かったのだ。何故ならば巨神振るう螺斬剣の後ろには、魔法殺しの剣が続いていたのだから。
かつて風音は東の竜の里襲撃の際に、その魔法殺しの剣を使って結界を通り抜けていた。それと同じことを今回も行ったのだ。また天帝の塔の結界を破壊できずとも、通過できるのは前回シュミ山に来たときに確認済みであった。
また、直樹が放った魔法殺しの剣には帰還の楔の刻印が刻まれている。であれば風音たちはアーティファクトの力で結界を超え、刻印に向かって転移することが可能なのだ。
すべてはこの一瞬のため。
このときのために彼らは綿密に作戦を立てていた。
一度はシュミ山へと向かって結界破りを試したのも、巨神振るう螺斬剣へと悪魔たちの意識を向けさせるための下ごしらえであったのだ。悪魔の信奉者をギリギリまで捕えず、情報を流し続けたのもこのためだ。
そして、風音たちは天帝の塔へと突入を開始したのである。
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