第九百七十話 光を超えよう
◎アウディーンの塔 最上階層 黒珠の間
「チッ。あいつら、いきなり降って来やがったぞ」
ギャオが吠えながら目の前の黒い魔物の攻撃を避ける。ギュネスとジローも同じように魔物の足から逃げていた。今ギャオたちが戦っているのは、黒化したアラクネワイヤードという魔物だ。それはこの部屋に設置された黒珠を破壊しようとしたところで出現してきたのであった。
そもそも、この部屋に設置された黒珠はチャイルドストーンを元にした魔法具だ。それはチャイルドストーンを疑似的に心臓球化させて魔力の川と接続を行わせ、その流れを変えるように調整されている。そして、出現したアラクネワイヤードは黒珠の元となったチャイルドストーンを核としていた魔物で、今は守護獣として黒珠に近付く者を倒すことを目的としていた。
「こっちはコイツとやり合うだけで手一杯だってのに」
ジローがアラクネワイヤードの糸を避けながら泣き言を口にする。何しろ目の前の魔物だけでもかなりの難敵なのだ。
アラクネワイヤードは以前に風音たちが戦った魔物でもあったが、この系統の魔物が真に力を発揮するのはこうした室内だ。それも黒化により強化もされている。その上に突然悪魔たちが文字通り降ってきたのだ。その悪魔たちはトールが放った黒珠の護衛であった。
「アラクネワイヤードも強いが、多分アイツらの方が強いな。ジンライさん、どうします?」
「気にするな。お前たちは黒珠の魔物に集中しろ」
「だけど、悪魔が」
「悪魔どもはワシが殺る。そちらも油断するなよ。先ほどから別どころ、恐らくは魔力の川からあの蜘蛛めに魔力が流れてきておる」
「カザネの何とかって姿と同じかよ」
ジローの悲鳴にジンライが「それほどではないようだが」と返しながら、乗っているシップーと共に悪魔へと視線を向ける。
「まあ、お前たちなら何とかなろう。ケイローン、ギャオたちを守れよ」
ジンライの言葉に、ウォォオオオオオン……とタツヨシくんケイローンが吠えた。
そこにギャオが問いかける。
「わーったよ。けど、爺さんはこれで良かったのか?」
「何がだ?」
ジンライの返しにギャオが天井を指差した。
「ギュネスもだけどよ。トールが上にいんだろ。ナオキひとりに譲って良かったのかよ?」
「紛い物に用はないさ」
「あれは小物だ。ワシの狙いはもっと上だからな」
ギュネスとジンライが即答する。ここまでの状況から上にいるのは己の狙っている相手ではないとギュネスは理解しているし、ジンライに至ってはトールは直接的な仇ではない。ジンライは生存が不明ではあるがジルベール、或いは悪魔王ユキトを倒すことを亡き弟子に誓っていた。
「そうかい。まあ、気をつけろよ爺さん。連中、強そうだ」
「ふん。力はあるようだが、意志がないな。木偶では話にならん。さあ、見せてやれシップー、ワシらの力をな」
「なーっ」
ジンライの乗るシップーが鳴いて周囲に風と雷を放つと、次の瞬間にはその場から姿がかき消え、その後すぐに悪魔の一体が吹き飛んだ。
「相変わらず、やばいなあの人は」
ギュネスがそれを見ながら呟く。
人猫一体の奥義『疾風迅雷』。加速した世界に入ったジンライとシップーの攻撃はもはや見ることすらもかなわない。
ともあれ、ギャオたちの方も黒珠の魔物の戦闘に興じていく。ジンライを欠いた今、有利とは行かないが、それでもギャオたちはアラクネワイヤードを相手に互角以上の戦いを行えていた。
そして、ギャオたちの真上、塔の頂上で行われている戦いの方も決着が付こうとしていた。
◎アウディーンの塔 頂上
ぶつかり合う金属同士の音が響き渡り、黒い爆発と雷が散る。
人外たちの戦いは人の域を超えた、強大な魔力と恐るべき身体能力を行使しあう戦いだ。
キメラ種としての己の力を熟知しているトールに対し、闇の精霊の力をモノにしつつある直樹はまったく劣ることなく食らいついていた。それはもはや姉の庇護下にあった頃とは比べものにならない。
その様子にトールが憎々しげな顔で声を上げる。
『おやおや。魔力をそこまで使って。息切れするんじゃないですか?』
『心配無用だ。なあエクス!』
「ガカカカカカカッ」
エクスの笑い声と共に右手の甲のチャイルドストーンが輝き、髑髏魔人化した直樹の全身の呪印が増えて、さらなる輝きを帯びていく。また、足に装着しているイダテンの脚甲から緑の魔力光が放出されると、アストラル体となった直樹の身体が加速した。
『アストラル体になっただけではなく、魔物と融合もしましたか。自ら望んで、そんな身体にならずとも良いのにね』
『必要があったからそうしただけだ。咎められる筋はないな』
その言葉と共に両者がすれ違い、ハンマーのような獣の腕が宙を舞った。直樹の黒帝剣レガリオの刃がトールの右腕を切り裂いたのだ。
『なるほど。強い』
それを素直にトールが賞賛する。共に戦った時期もあったが、もはや同じ人物とは思えぬとトールは察する。それだけの研鑽を積んだのだろうし、強くなるための代償を支払ってもいるのは直樹の右腕を見れば明らかであった。
『けれども……ね』
だがトールは笑う。確かに強い。まともに戦っては『この身体のスペック』では勝てないかもしれない。だが、それはまともに戦えばの話だ。
『その姿になったのは失敗でしたね!』
トールが叫びながら力を込めると、切り裂かれた腕の断面から新たなる腕が飛び出した。その腕の先には黄色い宝玉のような目玉が付いていた。それがギョロリと直樹へと視線を向けた。
『そいつは!?』
『キメラってのはね。属性に合わせて戦えるのが強みなんです』
避けようと直樹が動くが、すでに遅い。
『南のサンアイランドのレア魔物、太陽獣の目玉です。こいつは闇の精霊には堪えるでしょうね。さあ、死になさい!』
そして腕から光が放たれ、それが直線に直樹に向かって直撃する。その強力な光の奔流に、黒い影が消え去っていく。それを見てトールが笑った。
『ふふ、これでようやく邪魔者が減りましたか。それでは……む?』
放出した光が消える途中で、トールが驚きの声を上げた。光の中から影が迫ってくるのが見えたのだ。それは先ほど変わらぬ動きの髑髏の顔をした魔人であった。それが腰の鞘に仕舞った剣を握り、トールに向かって突撃していく。
『しまっ』
トールが逃げようと、後ろへと跳ぶ。しかしイダテンの脚甲を装備している髑髏の魔人の踏み込みの方が速い。また、魔人の持つ鞘の名は神速の鞘というシロモノだ。かつてダンジョンで発見して直樹が手に入れたものであり、『居合い』のスキルを付与して神速の斬撃を繰り出させる魔法具だ。
『ォォォオオオオオ!』
その鞘から恐るべき速度で放たれた黒き刃はトールの胴を真っ二つに切り裂いた。のみならず、断面からトールの肉体へと力が流れ込み、悲鳴を上げさせる。キメラであるトールが取り込んでいた竜の因子が、神滅竜殺の骸魔王剣エクスの持つ竜殺しの力に焼かれているのだ。
その様子を見ながら直樹は鞘に剣を収める。もはやトールに戦闘能力はない。決着は着いたのだ。
そして、崩れ落ちたトールが目を細めながら直樹を見る。
『光の中で無傷……とはね。どういうトリックです?』
『本当の闇ってのはな。光すらも喰らうんだ』
直樹の答えにトールが『ははは』と笑う。
『厨二っぽいですね、それ』
そう言いながらトールの身体が灰になっていく。もっとも『今回も』経験値は入らなかった。だから、目の前のトールはまた分体のひとつなのだろうと直樹は理解する。この五ヶ月の間に、直樹たちはトールを直接的にひとり、間接的にふたり倒している。キメラとしての能力によりトールは己の分け身を用意することができるため、それを使って各国を奔走しているようだった。
『やっぱり分体か。ま、本体は天帝の塔にでもいるんだろうが』
そう言いながら直樹が空を見上げる。
先ほどまで塔から伸びていた魔力のパスが消滅し、魔力の川の流れが変わったのが分かったのだ。そして髑髏魔人化を解きながら、直樹がその様子を見て頷く。
「ちょうど、ジンライ師匠たちもやってくれたみたいだな。くっ……」
直樹が少しうめきながら、その場に座り込む。それから己の右腕を見ると、右手のチャイルドストーンが暴れるように輝き出していた。その様子に直樹が苦しそうな顔で左手で右の手の甲を握り、言い聞かせるように口を開く。
「……落ち着け。静まれ、俺の右腕。まだ、まだ限界じゃないはずだ」
その声に反応した光が徐々に消えていくと、直樹がフッと息を吐いた。
「よし抑えられたか。けど時間はあまりないかもしれないな。悪魔たちの計画を阻止するまで保ってくれればいいんだけど」
そう口にしながら直樹は再び空を見上げる。腕に痛みが来るのは分かっていたことだ。力を得る代償については知らされた上で、直樹はエクスを取り込むことを選択していた。いずれ終わりが来ようが、直樹はそれについては既に覚悟を決めている。
それよりも……と直樹は周囲を見回した。一年近く前に、ここには自分と風音がいた。弓花も、エミリィも、タツオもレームも共にいた。ティアラも、ルイーズも、メフィルスも、ライルも、ジン・バハルもいたのだ。
けれども、今ここにいるのは直樹ひとりだった。かつての日は、もうひどく遠くなってしまった。それこそが直樹にとってひどく堪える現実だった。
「ああ、姉貴に会いたいな」
そしてもう叶わぬであろう願いをポツリと呟き、直樹の瞳からは涙がこぼれ落ちた。
一方の風音さんだが……
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