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最前の通路に立ち、コートに背を向けて、階段状になっている座席を見上げるようにみんなに向かい合う。
自分が立ったのに気がついて、ほとんどのクラスメイトがこっちをみてくれている。
「みんな、おはよう。今日の試合の組み合わせが決まりました。
一組で一番早い試合が、女子バスケで、Dコートの2試合目、相手は12組。
次が男子サッカーで、3試合目。
場所はサブコートとかでちょっとわかりづらいけど、各自確認しておいてください。
開会式が9時からだから、5分前にはアリーナに整列を…。」
本部から言われた連絡事項を簡単にメモした紙に視線を落としながらそこまで話して口をつぐんだ。
なんだろう、様子がおかしい。
みんなの態度があからさまによそよそしくて、
特に女子数名はこちらをちらちらみながら顔を見合わせてひそひそ話したりしている。
自分のシャツを見下ろしてみたけれど、後ろ前ってわけでもないし、目立って汚れがあるわけでもない。
何だろう、嫌な雰囲気。
「何?イベントで気合入っちゃった系?」
声に顔を向けると、比較的後ろの方に座っている戸川君のニヤニヤ笑いと視線がぶつかる。
階段を数段あがった場所にいるから、文字通りこちらを見下す形。
距離がある分、周辺、少なくともその場にいたクラスメイト全員には聞こえたはずだ。
数人に嘲笑のような表情が浮かんだように見えた。
「いいだろ、別に。」
意味がわからず立ち尽くす自分に代わり、立ち上がって振り向き、言い返したのは伊月。
「修、メガネないとめっちゃ雰囲気変わるね。一瞬わかんなかった。」
あ。そうか、眼鏡。それに、髪型も。
次々と用事を消化するのに奔走していてすっかり忘れていた。
チリン。
小さいけれどはっきりと警告の音が聞こえる。
何もいえずにいる自分に、興奮気味に伊月は言葉を続ける。
「メガネない方がいいよ!今日はコンタクト?
髪も短い方が似合うかも。今のもいいけど、その方が。」
後ろ髪に触れようとしたんだろう、伸ばされた手に体を堅くしてほんのわずか身を引く。
あの時の光景が、またフラッシュバックする。
儚げに微笑む女性が、白く細い手を伸ばす。次に彼女が発する言葉は思い出したくない。
鈴の音は、チリチリチリと鳴り続けている。
気配を感じたのか、伸ばしかけた手を止めて一瞬きょとんとして。
どうか止まってくれ。何事もなく治まってくれとひたすら願う自分に、続く友人の言葉。
「もったいないよ、せっかくきれいな顔してるのに。修ってさ、お母さん似?」
(あなた、本当にお父さんに似てきたわね。)
目の前の現実と、記憶の中の景色が重なる。
心底うれしそうに微笑む、邪気のない表情も。少し首をかしげる仕草も。
もう、鈴の音も聞こえない。
胸の奥を、誰かに直接触れられているような苦しさと痛みと不快感。
体表の細胞の一つ一つが冷えていく。
「修?」
不思議そうに覗き込む目に、全力で平静を保つ努力をする。
「開会式、遅れないで。」
ちゃんと笑えただろうか。
声は震えていなかっただろうか。
そんな心配より、早くその場を去らねばという思いが勝った。
一人になって、外の空気が吸いたい。
表情を取り繕うのも限界が近い。
顔を伏せ気味に、さっき来た道を逆にたどり、階段をかけ上がって。
観覧席から出て、1階の通路に出る。
どこもかしこも生徒でごった返している。
初めて来た体育館で、間取りがわからない。
正面玄関は広々として人目に付く。
どこか。祈るように壁際を早足で過ぎる。
ひと気のないところ、一人になれるところ。
サブコートの入り口、生徒会の本部と救護室。トイレからも話し声が聞こえる。
汗か涙かわからないけれど、暗く、狭くなった視界がさらににじんでよく見えない。
正面、廊下の突き当たりは、窓だろうか、少し高い位置が四角く切取られて明るい。
胸の奥でしていたチリチリという鈴の音は、すでにギリギリとしめられる痛みに変わっている。
誰かの話す声、笑いあう声が水の中のように遠く、
はっはっはっ、と、浅く早い自分の呼吸だけがはっきりと響く。
廊下の突き当たりにたどり着くと、窓ではなく、明り取りの擦りガラスがはめられた通用口のドアだった。
鍵が開いていますように。震える手でドアノブを回すと、あっさりと外に出られた。