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「どんな風に生まれたとか、関係ないだろ。大事に思うから、心配なんだよ。
正直、僕は家族、暖かい家庭とか、そういうのに恵まれているわけじゃない。
だから、家族がどうとかいえないけれど。
少なくとも、おばあちゃん、修の事すごく大事にしてるって思ったよ。
いろいろ表沙汰になったら、もめる事もあるかもしれない。
けど、ずっとこのままでいいとは思えない。
なんで修ばっかり苦しまないといけないんだよ。」
歪む顔を見られたくなくて顔をそらして背を向ける。
「おじいちゃん、立派な人だったんだろ?
お父さんには、会った事ないし、どんな人かわからないけれど。
少なくとも、おばあちゃんの事、信用するわけにはいかない?
修がこんな思いを抱えているって知ったら、助けたいって思ってくれるんじゃないか?
それでももし、みんなに修の事いらないっていわれたら、」
言葉が数秒途切れて、思わずゆっくり振り向いて伊月の表情を窺う。
いらないって、言われたら?
「僕が修をもらう。」
は?何を言って。予想外すぎる言葉に呆気にとられて、涙も止まった。
僕の表情が変わっていくのと一緒に、伊月の口元も笑いの形に歪む。
堪えようとして、肩が震えて、ぷふって噴出して、
おかしくて、なにがそんなにおかしいのかわからないけれど、おかしくて、
堪えきれずに二人で笑った。
笑いながら、いつの間にか、あの日、土星を見た夜みたいに、子供のように泣いた。
波打つように降り続ける雨を、強い風が窓に叩きつける。
外は真っ暗な嵐の夜でも、部屋の中の空気は穏やかに暖かく、
静かで安全な事が心地よかった。
伊月に包み込むように抱きしめられたまま、安心してたくさん泣いた。
その夜、夢をみた。夢の中で遠く、ざざん、ざざんという波の音が聞こえた。
ひょおうううという風鳴りも聞こえたから、雨の音だったのかもしれない。
海の底のちいさな泡の中で、うとうとと眠っている夢だった。
波の音に少しずつ、どくんどくんと脈打つ音が重なった。
薄く目を開けると、泡の壁の向こうは桃色が掛かった赤い色で、
自分の気管も肺も、ぬるい水に満たされているのを感じた。
ああそうか、ここは海の底じゃなく。
ざざん、ざざん。
考えようにも、ゆらゆら心地よくて眠りに引きずり込まれてしまう。
波の音に紛れて遠く、誰かが話すくぐもった声。
男の子だったら、修輔。
時間はいつからあって、いつまで続くんだろう。
深海の底も宇宙の果てのその向こうも、人の思いの奥も遠い。
確実にどこかにあるはずなのに、誰にも触れられない場所。
冷たい頬に、じんわりとした暖かさを感じて目を開く。
ゆっくりと焦点が合って、それが紺色のシャツの袖口とそこからのぞく細い手首だとわかる。
「起きた?おはよう。」
いいながら、反対側の頬もそっと撫でる。
暖かさが心地よくて目を閉じてされるままに任せた。
「悲しい夢でもみた?」
小さく首を横に振る。
伊月の指先が濡れている。頬の冷たさは、涙の跡だったのか。
海の底にいた、というと、潜水艦?といって笑った。
温かいカフェオレを大きなマグカップにたっぷりいれて、
二人でぼんやりとニュースをみた。
主に台風のニュースで、倒れた電信柱や折れた木の枝、池みたいになった道路を、
飛沫を上げて走っていく車、風で飛ばされるトタン板などが映された。
近隣の市でも浸水の被害が出たようだ。
ここより北の街の海沿いで、薄い雨具をつけたレポーターが、
もうすぐ台風が直撃します、と、叫ぶようにいう背後で、高波が激しく砕けている。




