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夏休み直前の残された大イベントといえば、2学期のクラスを決める実力テスト。
通知表の評価を決める期末考査はクラスマッチ前にもう終わっているけれど、
気分的に実力テストの方が緊張が高まる。
数度、伊月と湊と3人で勉強して気づいたことがある。
2人は勉強の仕方、考え方がよく似ていて、僕とはまるっきり違う。
僕はそこにある事実を、そのまますとんと受け入れる。
2人は多角的に分析してから受け入れようとするから、理解するのに時間がかかる。
けれど、その分いったん理解すると、応用に滅法強い。
例えると。
僕は、バラを目の前に置かれて「これはバラ、花の仲間。」といわれると、
「はい、これは花。」と受け入れる。
2人は、触り心地は?匂いは?どうやってできたのか、何のためにこういう形をしているのか、
そこまで考えてから、「それが花というもの。」と理解する。
しばらくして、百合を目の前に置かれて、これは何?と聞かれたら、
僕は、色も形も匂いも違うそれが、花の仲間だと認識できない。
「わかりません、初めて見るものです。」と答えるけれど、2人は「これも花。」とわかる。
そして、「水に浸けておかないと萎れてしまう」と予測する。
バスや電車でお年寄りに席を譲りましょう、と教わったとする。
僕はバスや電車でお年寄りに会ったら席を譲る。
2人は、なんで席を譲るんだろう、と考える。
お年寄りは体力や筋力が落ちているから。動いているバスの中でバランスが取りにくいから。
きっといろんな方面で困る事があるから。だから、席を譲る。
ここまで考えて納得するから、さらに階段で手を貸し、荷物を運ぶのを手伝う事ができる。
2人は、公式でも漢字の成り立ちでも、僕にすれば考えすぎだと思うくらい、
理解するまでに「なんでなんで」を繰り返す。
丸暗記しちゃえば済む事、といっても、それができない。
歴史など、僕は年号と史実を頭に入れるだけだけど、彼らはそうなった背景にまで思考を広げる。
ある時、「談」はなんで言へんに炎なんだろう、と言い出した。
言に炎で、談って事でいいじゃないかと思うんだけれど、2人は夢中になって、
「激論するイメージで、言葉が炎のようだからかな。」
「炎は、そのまま火の意味でとっていいと思う?」
「暖かいから、だんって読むのかも。」
とまで言い出して唖然としてしまった。
その漢字を作った人が、その時何を見て、何を感じていたのか、という事まで考えようとする。
一見テストには役立たない無駄な行為にみえるけれど、それが後で格段の強みになる。
2人が、まだ習っていないような問題をあっさり正解して「なんでわかったの」と聞けば、
「この前、似た問題やったじゃない」「そこは察しようよ」と笑って返される事が重なる。
3人でいる時、パスタのカルボナーラが、炭焼き職人という意味だ、と聞いた事があった。
僕は、クリーム色のこってりしたパスタと、無骨そうな炭焼き職人のイメージが重ならなくて混乱する。
「英語で炭がカーボンだし、~する人っていう時、ラテン語圏で~ラってつけたりするね。」
と、伊月が言い出してびっくりする。
湊もあっさり、
「ああ、カーボナー。コショウが黒い点々になっているからか。」
なんて納得している風。
実際、ソースに混ざられた黒コショウが、生成りのシャツに散った炭の破片に見えることが由来だそう。
僕は炭がカーボンっていう事を知っていても、
パズルのピースを瞬時に組み合わせて自分で答えを見つける事が苦手で、そこまで聞いてやっと、
「カルボナーラは炭焼き職人が名前の由来」と、新しい知識を保管するのみ。
誰かと一緒に勉強をする事なんて、実は今までなかった。
自分のペースで集中したかったから、正直、誰かがいたら邪魔なような気がしていた。
3人の中で僕の役目は、2人がわからない場所につまずいて、
いつもの「なんでなんで」を始めて必死で苦悩している時、
すとんと入ってきて僕の中にできたイメージを、噛み砕いて伝える事、
2人が分析したいであろう情報を言葉にしたり、図に描いて説明したりして、
不確かな答えを明確にする事だった。
言葉にしたり、自分なりに分析する事で僕自身、理解したと思っていても意外と曖昧になっていた事柄が、
すっきりと明確になって、頭の中で上手にカテゴライズされるようになった。
説明しながら、ああそうか、と気づく事がよくある。