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それが、須貝君のAクイック。
秘密特訓らしく、本当にこっそりと数回だけ練習した。
湊へあげるトスは、大きく弓なりに弧を描く。
ボールの滞空時間も長いし、僕が失敗しても、湊がジャンプのタイミングや位置を合わせてくれる。
スパイクができないくらいひどい失敗でも、余程じゃない限り、無理をせずにレシーブで相手コートへ返す。
けれどAクイックは、須貝君が、レシーブで僕に飛んでくるボールと同じ勢いで走りこんできてジャンプし、
僕のすぐ頭上、短くあげたトスを打つ。
ジャンプとトスのタイミングは、ほぼ同時。
僕は須貝君の手が振り抜かれる位置に、ボールが止まる一瞬、
ちょうどスピードが一番緩くなる、最高地点が来るようにトスを上げないといけない。
ジャンプしている須貝君は、当然、空中で動きを変えることはできない。
スパイクが空振りしても、2打目でトスをあげた僕は次の3打目には触れない。
フェイントの意味もあって、誰もフォローには来てくれない。
高確率でボールを自コートに落としてしまう。
点数一点分の痛みだけじゃない。
決まれば格好いい分、失敗すれば精神的ダメージも大きい。
全くの初心者の僕には難易度が高すぎて、偶然のようにタイミングが合ったのだって、ほんの2,3回だ。
実践向きじゃない、という結果になったはずだったのに。
相手からチャンスボールが返って来て、須貝君がレシーブをする時に決行。
それから数回のラリーがあった。
一度、伊月もスパイクを決めた。
その間、何度も何度も、須貝君の手の軌跡をイメージした。
ジャンプの高さ、腕を振り抜くスピード。あのあたりに。あの位置に。
数度目のサーブの後、そのチャンスが来た。
湊が大きく、スパイクの助走を始めるのが視界の隅にみえる。
これはフェイクだけれど、もし、Aクイックが無理そうだと判断したら、湊へトスを上げる事になっている。
パスされたボールの動きに集中する。
練習通り、須貝君がボールとほぼ同時に僕に向かってくる気配がする。
あのあたりに、あの位置に。
「Aクイック!」
相手コートで誰かが叫ぶ。
とん、と、スローモーションのように、イメージした通りにボールが浮上していく。
次の瞬間、さっと、真紅の人影が視界に飛び込んできて、
湊の重いスパイク音とは違う、スパーンという音が響く。
すぐ目の前に振り下ろされる、捉えられないくらい素早い腕の動きに心臓がどくんと跳ねる。
ピーという、審判の笛の音。
割れんばかりの歓声、女子の嬌声。
相手のコートをみると、みんな呆然と立ち尽くしている。
「ナイストス!」
普段は冷静な須貝君が、興奮気味に僕の頭を抱きかかえるようにして髪をくしゃくしゃと撫でる。
成功した?
まだちょっとぽかんとしている目の前で、湊と須貝君がハイタッチをしている。
「しゅう、ナイストス!
湊もそういって、僕を抱きしめて背中を叩く。
チームメイトも駆け寄ってきて讃えあった。
強い緊張が途切れた安堵で、ひざががくっとなりそうなのをぐっと堪えた。
うれしすぎて、泣き笑いみたいな表情をしていたと思う。
でも、まだ試合が終わったわけじゃない。
プレイ再開の笛の前に、急いで自分の立ち位置を確認しようとすると、伊月が、
「修、みんなに手くらい振ったら?」
と大きな声をかけてきた。
振り向くと伊月の向こう、コートサイドに椎野先生やクラスのみんな、
何人かは違うクラスのTシャツを着ている生徒が期待するような表情でこちらをみているのがみえた。
え、手?
突然の事でびっくりして、どうしよう、とおろおろして、小さく、ばいばいの動きで手を振った。
と、伊月が、ぶーーーーーといいながらコートの床に倒れこむと、
女子が嬌声をあげながら「委員長、かわいいいい!」と叫ぶ。
「やばい、うちの委員長が可愛すぎる。」
と、口元を抑えながら立ち上がる伊月に、
「い、伊月が手を振れっていったんだろ。」
と抗議をしたけれど、みんなきゃあきゃあ笑うばかり。
恥ずかしさに憮然と相手コートを見ると、困ったように苦笑いを浮かべている。
試合はかなりの接戦になり、1-1で3セット目まで持ち込んだけれど、
結局、7組が勝利した。
まだ2回戦だっていうのに、応援はまるで決勝戦みたいな盛り上がりだった。
負けちゃってすごく残念だけど、思っていたほど悔しくも、がっかりもしなかった。
どちらかというと晴れやかな顔で、健闘を讃えあった。