名も無き一兵士
彼は、何処にでもいる兵士だ。
彼は、失敗すれば消えてしまう存在だ。
彼は、英雄ではない。
彼は、主人公ではない。
彼は、名も無き一兵士なのだ。
脱出系ゲームとステルス(潜入)ゲーム
のような世界で与えられた
任務を完了させる為に
今日も名も無き一兵士は
潜入任務に挑むのだった。
影の通路に身を潜め、俺は息を殺していた。
『名も無き一兵士』
それが俺の呼称だ。
所属部隊も階級も、任務が終われば忘れ去られる存在。
今回の任務は単純明快だった。
「施設の最深部にある『脱出キー』を奪取し、指定座標まで持ち帰れ」
失敗すれば、俺はこのゲーム世界から永遠に消える。
施設は巨大な廃墟と化した研究所だった。
外壁は錆びつき、非常灯が赤く点滅している。
空気は湿り気を帯び、どこか腐臭が混じっていた。
任務開始の合図は、背中に感じる微かな振動だけ。
研究所の扉が開いた。
俺は壁に張り付き、ゆっくりと身を滑り込ませた。
足音を殺すために、ブーツの裏に布を巻いている。
廊下の先で、巡回兵の影が揺れた。
心臓が一瞬で喉元まで跳ね上がる。
俺は息を止めた。
巡回兵は二名、自動小銃を構え、足音を響かせて近づいてくる。
「異常なし」と一人が無線で報告する声が聞こえた。
もう一人が鼻を鳴らす。
「この施設、最近妙に静かだな。『管理者』どもが、何か企んでるんじゃねえか?」
二人が角を曲がるまで、俺は壁の凹みに体を押し付けた。
汗が目に入り、視界が滲む。
指先がわずかに震えていた。
ーーー動くな。
ーーー息を吸うな。
時間が止まったような数秒が過ぎ、足音が遠ざかる。
ようやく肺に空気を送り込んだ瞬間、膝が笑いそうになった。
最初の難関は「セキュリティゲート」だった。
赤外線センサーが網の目のように張り巡らされ
わずかな動きでも即座に警報が鳴る。
床には落とし穴が仕掛けられ、天井には監視カメラ。
俺は持参した小型のジャマーを使い、10秒だけセンサーを乱す。
時間は正確に計算しなければ、即死だ。
体を低くして這うように前進する。
膝と肘が冷たい床に擦れる。
汗の臭いが自分でもわかる。
ゲートの真ん中で、突然ジャマーの警告音が小さく鳴った。
ーーー残り3秒。
俺は全力で飛び込み、反対側の影に転がり込んだ。
背後でセンサーが再起動する微かな電子音。
あと、1秒でも遅れていたら、終わりだった。
胸が激しく上下する。
口の中に血の味がした。
自分でも気づかない内に唇を噛みすぎたらしい。
次は「パズル区画」
ここからが脱出ゲームの本領発揮だ。
壁に刻まれた古代文字のような記号と、3つのレバー。
間違った順序で引けば、天井から毒ガスが噴出する。
俺は記憶を頼りに、事前に与えられたヒントを反芻した。
「白は黒を飲み、黒は赤を飲み、赤は白を飲み込む」
指がレバーに触れる。
冷たい金属の感触。1つ目を引く。
壁が軋む音がして、床がわずかに沈んだ。
心臓が止まりそうになる。
ーーー間違ったか?
ーーーいや、まだ動いている。
2つ目、3つ目。
ガシャン、という重い音とともに、奥の扉が開いた。
吐息が漏れる。
背中はびしょ濡れだった。
しかし、まだ安堵は許されない。
開いた扉の先は「実験体飼育室」だった。
ガラス張りのケージに、異形の生物たちが蠢いている。
目が光り、牙を剥き、鎖を引きずる音が絶え間なく響く。
通路は狭く、ケージのすぐ横を通らなければならない。
1匹が俺の気配に気づき、ガラスに体を叩きつけた。
ビシッ、という音。
ヒビが入る。
俺は凍りついた。
ーーー動くな。
ーーー視線を合わせるな。
ーーーゆっくり、ゆっくり。
心の中で自分に言い聞かせる。
生物の唸り声が背後で響くたび、背筋が凍る。
汗が滴り落ち、床に小さな音を立てた瞬間……
別のケージの生物が一斉に目を覚ました。
鎖が激しく鳴る。
ーーー走るな!
ーーー走ったら終わりだ!?
最後のケージを過ぎたところで、俺は壁に凭れかかり
ーーー膝をついた。
ーーー息が荒い。
ーーー吐き気がする。
任務開始からまだ30分も経っていないはずなのに
俺の体は限界を迎えかけていた。
最深部に近づくにつれ、警備は一層厳重になった。
赤外線に加え、音センサーと圧力プレート。
俺はブーツを脱ぎ、素足で進んだ。冷たい床が足の裏を刺す。
指先で壁を這わせ、微かな振動を探る。
圧力プレートは床の僅かな沈み込みで判別するしかない。
突然、前方から足音。それも複数だ。
今度は隠れる場所がない。
俺は天井のダクトに飛びつき、両手で体を引き上げた。
腕の筋肉が悲鳴を上げる。
ダクトは狭く、埃が鼻腔を刺激する。
くしゃみが出そうになるのを、必死で堪える。
下を巡回兵のヘルメットが通過していく。
その中の誰かの無線が漏れる。
『おい、最深部の鍵はまだ無事か?』
「ああ、しかし管理者どもが『イベント』を準備してるらしい。
脱出失敗者が増えてる」
ーーーイベント。
失敗したら、俺もあの異形の生物と同じように
ケージに放り込まれるのかもしれない。
俺は、ダクトを這い進み、最深部の部屋に到達した。
そこは静かすぎた。
中央にガラスケースがあり、中に光るカード型の『脱出キー』が浮かんでいる。
周囲にはレーザートラップが張り巡らされ、解除パネルがある。
パネルには4桁の暗証番号。
ヒントは施設内の各所に散らばっていたはずだ。
俺は記憶を総動員した。
ーーーセキュリティゲートの壁にあった数字
ーーー飼育室のケージに刻まれていた記号
ーーーパズル区画の文字。
俺は、それらを組み合わせる。
ーーー指が震える。
1回間違えたら警報だ。
息を整え、慎重に打ち込む。
『……ピッ』
緑のランプが点灯した。
ガラスケースが開く。
俺はキーを掴み、胸ポケットに押し込んだ。
その瞬間、施設全体に赤い警報が鳴り響いた。
『侵入者確認。殲滅モード移行』
ーーーやられた!
解除と同時にトラップが発動したのだ。
俺は全力で走り出した。
素足のまま。
背後で鉄の扉が閉鎖する音。
レーザーが壁を焼き、床を抉る。
角を曲がり、さっきの飼育室に飛び込む。
生物たちが興奮して鎖を振り回している。
俺はケージの隙間を縫うように走り
1匹の巨体がガラスを破壊した衝撃を利用して、反対側へ飛び出した。
ーーー追手が迫る。
ーーー鳴り響く銃声。
ーーー壁に火花が散る。
俺はジャマーを再起動させ、センサーを狂わせながら通路を駆け抜ける。
ーーー息が切れる。
ーーー視界が狭まる。
ーーー脚がもつれそうになる。
それでも止まらない。
ーーー止まったら死ぬ!
指定座標は施設外の廃墟地下。
出口の扉が見えた。
重い防火扉。
俺はキーを差し込み、回転させる。
扉がゆっくり開く。
背後から最大の生物が解放され、廊下を埋め尽くすように追いかけてくる。
咆哮が鼓膜を震わせる
。俺は扉の隙間に体を滑り込ませ、反対側から全力で押し閉めた。
キーを引き抜き、外部のロックを掛ける。
ロックが掛かると同時に
ーーードン、ドン!
という激しい衝撃が扉を揺らすが、開かない。
廃墟の冷たい夜風が、素足の俺を包んだ。
俺は地面に崩れ落ち、荒い息を繰り返した。
ポケットから脱出キーを取り出し、月明かりにかざす。
淡く青く輝いている。
『任務完了』
……名も無き一兵士の、ただ一回の成功。
遠くで施設の警報が、まだ鳴り響いていた。
俺は立ち上がり、指定座標に向かって歩き始めた。
ーーー足の裏が痛い。
ーーー全身が痛い。
でも、生きている。
このゲーム世界で、また次の任務が待っているのだろう。
だが今は、ただこの勝利の余韻に浸っていたい。
わずかな、しかし確かに温かい安堵とともに。
脱出系ゲームやステルス(任務)ゲームの世界で
人知れず任務をこなす、何処にでもいる
兵士の視点で描いて見ました。




