9.現実世界
【QUEST】CLEAR
太古の森に現れる“モンスター”を討伐せよ
進行状況 30/30 BOSS 1/1
「……これで、終わりのようね」
雪菜がつぶやいた。
その声は風に溶けて、静まり返った草原に吸い込まれていく。
朝靄が漂う中、濃い湿気と冷たい空気が肌にまとわりついていた。夜明けの光が霧を裂き、ぼんやりと射し込むその先には、戦いの痕跡がくっきりと残っている。地面には焼け焦げた草や血の跡。まだ“戦場”の余韻を放っていた。
雪菜の頬には疲労の色が濃く、額の汗が乾いて白く浮いている。
参加者たちのほとんどは喜び疲れ、地面に座っていた。
隼人も同じように、地面に腰を下ろし、大きく息を吐いた。
「俺はとにかく腹が減ったぜ。50人もいたのに食い物を持ってきたやつはそんなにいなかったから、昨日もろくに食えてねぇし……」
言いながら腹をさすり、苦笑いを浮かべる隼人。
その声に、俺も自然と笑みがこぼれた。
「戻れたら、ラーメンでも食いに行くか」
「お! それ賛成! ……って、そういや俺たち、どうやって元の世界に戻るんだ?」
ふとした疑問を隼人が口にした瞬間――
草原の空気が揺れ、低く重たい鐘の音が鳴り響いた。
空気そのものが震えるような重低音。地面を通して伝わる振動が、足の裏から体の芯まで響き渡る。
長い戦闘の緊張で張り詰めていた神経が、一気に跳ねた。
「な、なんだ……?」
誰かがそう言う間もなく、俺たちの前に光の粒が集まり、ひとつのウィンドウが浮かび上がる。
【MESSAGE】
QUESTが終了したため、参加者は10分後、自動的に現実世界へ送還されます。
その文字列を見て、場の空気が一気に緩んだ。
安堵、驚き、歓声――さまざまな感情が混じり合う。
だが俺は、別のウィンドウが開いたのを見逃さなかった。
ステータス画面が、まるで滝のように情報を流し込んでくる。
レベルアップの通知。スキル成長。戦利品の獲得。
目の前の文字列に、思わず息を呑む。
【創馬 優人】
レベル:8
体力:100 / 100
マナ:100 / 100
パワー:14
スピード:11
ディフェンス:14
通常スキル
《武装錬金Lv2》
武器の構築、破損・喪失した武器の再構築。
《武器理解Lv1》
錬金する武器への理解度を上昇させる。
固有スキル
《エンチャント・コアLv2》
武器に属性を付与する(発動時、精神力を消費)。
(スキルのレベルが上がってる……! しかも、新しいスキルまで!)
心の中でガッツポーズを取る。
胸の奥が熱くなる。努力が、恐怖が、あの一撃が――確かに報われた気がした。
これで今回のような戦いがまたあったとしても、もっと自由に立ち回れる。
自分の力が確かに伸びていく感覚に、ほんの少しだけ誇らしさを覚えた。
さらに、ドロップアイテムの情報が表示される。
【ドロップアイテム】
古竜の黒曜鱗/古竜の体液/強化結晶/コアストーン/希少素材箱×3
回復薬(中)/魔力石(中)/装備強化材/応急薬/携帯食糧
【SYSTEM】
本ボス戦はレイド形式のため、アイテムは参加者の貢献度に応じて分配されます。
高い貢献度を示したプレイヤーには、より多くのアイテムが自動配布されます。
(貢献度による分配、か……)
画面の隅に「CONTRIBUTION:S」と表示されているのが見えた。
どうやら俺は、戦闘中の攻撃貢献とラストアタックによる討伐ボーナスを得たらしい。
だが、それを“誰”が判定しているのかは、依然として分からない。
ゲームのように見えても、明らかに人間の手によるものではない――そんな直感だけが、背筋を冷たくした。
(この“システム”は、誰が作った……? まさか、俺たちを見てる存在がいるのか?)
そんな考えが頭をよぎった瞬間、視界が突如白く染まる。
強い光。空間が溶け、全ての色が失われていく。
息を呑むが、すぐに理解した――扉の中に入ったときと同じ現象だ。
光が包み、音が遠のく。
目を細めたその時、視界の端に一人の少女の姿を見た。
治癒の少女――戦場の中、最後まで仲間を支えていたあの子。
幼い顔立ちに似合わぬ凛とした立ち姿が、焼き付くように記憶に残る。
(……そうだ、名前を――)
そう思った瞬間、意識がふっと途切れた。
気付けば、鼻を突く懐かしい空気があった。
草の匂いではない。排気ガスとアスファルトのにおい。
見上げれば、ビル群。灰色の空。
――現実だ。
「戻って、きたのか……」
誰かの呟きが聞こえた途端、堰を切ったように歓声が広がる。
「俺たちやったんだな!!」
「ああ……!!」
喜び抱き合う者、涙を流す者、地面にへたり込んで笑う者。
生還の安堵と、勝利の実感が入り混じったその場の空気は、震えるほどに熱かった。
俺も小さく拳を握る。生きて帰れた。それだけで十分だ。
「なあ、あれ見ろよ!」
隼人の指差す先――
崩れかけたゲートが、淡い光を放ちながらゆっくりと消滅していく。
まるで使命を果たしたかのように。
「……なるほどな。ゲートを攻略すると、こうなるのか」
本郷さんが腕を組み、低くつぶやく。
あの巨大な扉が静かに消えていく光景は、神聖でさえあった。
けれど、その“仕組み”を知る者は誰もいない。
報道陣の声が飛び交う。
「ゲートに入られた皆さん! 中で何があったんですか!?」
「負傷者は全員無事ですか!?」
「モンスターがいるというのは本当ですか!?」
サイレンの音、カメラのフラッシュ、押し寄せる野次馬。
混乱の中、俺たちは足止めを余儀なくされた。
眩しい照明に顔をしかめながら、ふと、頭の奥に浮かぶ。
(そういえば――)
ゲートから出る最後、俺の視界に映った彼女。
名前を聞きそびれたままだ。
気付けば、俺の足は勝手に動いていた。
群衆をかき分け、柵を越え、路地へと走る。
ステータスが上がったせいか、体が異様に軽い。息切れも少ない。
少し走ると、人通りの少ない通りに、一人の少女の背中を見つけた。
白いシャツ、黒いリュック。間違いない。
夕焼けの光が建物の隙間から差し込み、街路の影を長く伸ばしている。
あの洞窟の赤光とはまるで違う、穏やかなオレンジ。
戦いが終わり、ようやく現実の色が戻ってきた気がした。
「すみません!」
呼び止めると、少女がゆっくりと振り向いた。
無表情――だが、その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ驚きが走った。
「……そういえばこのシャツはあなたのものでしたね。ごめんなさい。今返します」
「いや、そんなことじゃなくて!」
慌てて手を振ると、彼女は小さく瞬きをして、わずかに眉を寄せた。
「なら、なんですか?」
淡々とした声。けれど、どこか気まずそうな響きが混ざっている。
拒絶ではなく、ただ距離の取り方を探っているような声音だった。
俺は息を整え、一歩、近づく。
「名前を……聞いてもいいですか?」
風が通り過ぎる。信号の音が遠くで鳴った。
沈黙ののち、彼女は小さく息を吐き、目線を合わせた。
「癒月 檸檬」
「え……?」
「私の名前です。年齢は16歳です」
「え、俺と同い年じゃないですか。まだ誕生日が来てないとか?」
「いえ。私が勝手に年上だと思っていただけで、実際は同い年でした」
「……そうだったのか」
「なんですか、その顔は」
ほんのわずかに唇の端が動いた気がした。
笑った、のかもしれない。
それだけで、胸の奥が不思議と温かくなる。
洞窟での戦闘の記憶――光、轟音、痛み、焦げた匂い。
それらが遠く霞んでいくような感覚に包まれた。
「あの、よかったら連絡先、交換しませんか?」
「別にもう敬語は使わなくていいですよ。同い年ですし」
「なら、癒月さんも……」
「私は誰に対してもこうですから」
「そっか。ちなみに連絡先は……?」
彼女は少し考え、リュックからスマホを取り出した。
ケースの角が少し擦れている。戦闘のとき、彼女も相当危険だったのだろう。
「はい、勝手に追加してください」
「ははっ、ありがとう」
ツンとした口調の奥に、柔らかい気遣いが見える。
そのギャップが妙に嬉しくて、頬が緩む。
「なんですか」
「いや、なんでもない」
「そうですか。……では私は帰ります」
「え、もう?」
「マスコミに夜まで囲まれるとか、嫌ですから」
彼女は小さく肩をすくめ、髪を揺らしながら歩き出した。
通りの先、街灯が順に灯り始める。
人のざわめき、車の音、遠くで誰かが笑う声――すべてが生の世界の音だった。
その背中が人混みに紛れる直前、彼女は振り返らずに小さく言った。
「――ありがとうございました、創馬さん」
風に乗ったその一言が、まるで最後の光のように届いた。
胸の奥がじんわりと熱くなる。
俺はしばらく立ち尽くしたまま、空を見上げた。
淡い雲の間から、夕日が沈みきる直前の光を放っている。
赤と橙が混ざり合い、世界が静かに終わりを告げるようだった。
――確かに、終わったんだ。
俺もその場を立ち去り、ゲートがあった場所へ戻る。
歩いていると、すでに仲間たちがこちらを探しているのが見えた。
隼人が手を振り、雪菜が少し呆れたように微笑んでいる。
本郷さんの声が響いた。
「おい、創馬! 事情聴取があるぞ!」
「はい、今行きます!」
俺は深呼吸をひとつし、足を前に出す。
新しいスキル、新しい出会い。
そして、“ゲート攻略完了 1/9”というウィンドウに表示された数字。
この物語は
――まだ、始まったばかり
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《クエスト進行状況:更新》
全プレイヤーデータに同期を開始します……
同期完了。情報を解禁します。
【警告】
指定期限内に《ゲート》が完全攻略されなかった場合、
封鎖領域内に存在するモンスター群は現実世界への侵出を開始します。
カウントダウンプロトコル:起動中
残存時間:580:44:08
――この通知は拒否できません。




