4.太古の森
「……着いたな」
「ああ」
俺たちは、富士山の麓――世界中のニュースを騒がせている“ゲート”の前に立っていた。
張りつめた空気が肌を刺し、風の流れすら鈍く感じる。
地の底で何かが蠢いているような、低い振動が足元から伝わってきた。
目の前の“それ”は、この世界の理をねじ曲げたような存在だった。
漆黒の巨壁。高さはビル十数階分。黒曜石のように光を吸い込みながら、うっすらと赤い脈動を放つ。
表面には紋様のような文字列が浮かび上がっては消え、そのたびに空気が波打つ。
まるで――呼吸しているかのようだった。
周囲は厳重な警備線に囲まれ、警備ドローンが低空を旋回している。
地上では警察、自衛隊、報道クルー、そして好奇心に突き動かされた野次馬たちがごった返していた。
この“門”が出現してから、まだ三日。だが世界の注目も、恐怖も、すでに頂点に達している。
「……人、多いね」
雪菜が小さく呟く。その声には、わずかな震えがあった。
「まあ、こういうのはな。災害でも事件でも、“現場”を見たがるやつは必ずいる」
「とにかくさ、聞き込みでもしてみようぜ。俺ら以外にも“ミッション”を受けてるやつ、いるかもしれねぇし」
隼人が腕を組みながら答える。
その目は興奮と緊張の間を彷徨っていた。怖がるより、先に確かめたい――そんな性分らしい。
「……そうだな。何か掴めるかもしれない」
俺たちは三手に分かれ、人混みの中へ散った。
だが、返ってくるのはどれも断片的な噂ばかりだった。
「中に入ったら死ぬらしい」「政府が隠してるってよ」「怪物が出るって話もある」
憶測ばかりで、確かな情報はひとつもない。
焦りを覚えたそのとき、群衆の中から怒鳴り声が響いた。
「俺はミッションを受けに来たんだ! どけッ!」
人々が驚いて道を開ける。
怒号の主――二十代後半ほどの男が、警備員に掴みかかろうとしていた。
右の手の甲には焼き印のような赤い紋章。
――異能者だ。
迷っている暇はなかった。
俺はすぐに男へ歩み寄り、声をかけた。
「すみません、少しお話、いいですか?」
男がこちらを振り向いた瞬間、右目を見て一瞬驚いたように目を細めた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「……お前、その眼……」
「はい。俺も、“ミッション”を」
その一言に、男の表情がわずかに緩んだ。
「……なるほどな。ここじゃ落ち着かねぇ。場所を変えよう」
そう言って、俺たちは群衆の中から離れた、近くの喫茶店へと移動した。少し遅れて隼人と雪菜も合流する。
店内は静まり返っていた。
テレビではキャスターが必死にゲートの映像を解説していたが、その声は遠く霞んで聞こえる。
「いるとは思っていたが……本当に他の異能者に会うとはな」
男はブラックコーヒーをすすりながら、低く笑った。
「俺は本郷柊。元・自衛官だ。お前たちも“ゲート”の調査で来たのか?」
「はい。俺が創馬優人。こっちは高坂隼人、篠原雪菜です」
隼人と雪菜が軽く会釈する。
本郷は腕を組み、しばし俺たちを観察するように見つめた。
「……創馬に高坂、篠原、ね。覚えておく。そうだ、お互いのステータス画面を見せてみようぜ。何か分かるかもしれねぇ」
「了解です」
俺は頷き、意識を集中させた。
視界の奥に淡く光るウィンドウが浮かび上がる。ステータス、スキル、ミッション。
昨夜見たものと同じ――だが、ひとつだけ違和感があった。
「……ん? なんだこれ」
ミッション欄の隅に、小さな数字が浮かんでいる。
47/50。
「……この数字、なんだ?」
本郷が顎に手を当て、低く答えた。
「ああ、それか。おそらく扉の付近にいる“異能者”の数だ。昨日、俺がここに来たときは“1/50”だった」
「え、あの場所にそんな数の異能持ちがいたの!?」
「俺たち異能者は目立つ。騒ぎになるのを嫌って隠れて見ていたのかもな」
「というか……この50人が揃ったら…?」
「ああ、全員が揃ったとき――何かが始まる。そういう仕掛けだろうな」
その言葉に、背筋が冷たくなった。
扉が開いたとき、何が起きるのか――想像がつかない。その「分からない」という事実が、何よりも恐ろしい。
それと、同時に疑問も浮かぶ。
ひとつのゲートにつき50人。
日本には9つも扉があるのだから、異能者が50人しかいないはずがない。実際、テレビやsnsで異能を披露している者は多い。
では――今この国には、いったい何人の“異能者”が存在しているのか。
そんな思考の渦に沈んでいたとき、視界の端で数字が点滅した。
47/50 → 48/50 → 49/50
「……増えてる」
雪菜の声が震える。
俺たちは画面を食い入るように見つめた。
そして――。
50/50
表示が切り替わった瞬間、世界が鳴った。
ゴゴゴゴゴッ……!!
店の床が揺れ、コーヒーカップが倒れる。
外から轟音と悲鳴が混ざり合う。
俺たちは顔を見合わせ、同時に立ち上がった。
「……開くのか!」
外へ飛び出すと、空が血のように赤く染まっていた。
富士山の裾野にそびえる“ゲート”が、まるで巨大な生物が息を吸うようにゆっくりと開いていく。
裂け目の奥から、赤い光が世界を染め上げた。
警報が鳴り響き、人々が逃げ惑う。
風が唸り、空気が歪む。
俺の指輪が激しく脈打ち始めた。
――そのとき、頭の奥に声が響いた。
:規定人数に達しました 参加者は30秒後、自動的に転送されます。
感情の欠片もない、無機質な声。
だが、不思議と“人間の囁き”にも似ていた。
鼓膜ではなく、魂の奥底に直接流れ込んでくる。
脳裏で数字が刻まれる。
30……29……28……
視界が白く染まり、意識が溶けていく。
重力も、身体の輪郭も曖昧になる中、“何か”に引きずられていく感覚だけが残った。
誰かの叫びが聞こえた気がした。
隼人か、雪菜か、それとも本郷さんか――もう分からない。
そして――最後に感じたのは、
“何か”がこちらを見ているという、得体の知れない視線だった。
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目を開いた瞬間、息を呑んだ。
全身を包み込む湿気。肌にまとわりつく重い空気。鼻を突く、濃密な草の匂い。
試練のときに異界へ飛ばされた経験がある。だからある程度の覚悟はしていた。
それでも――目に映る光景は、現実として受け入れるにはあまりに異質すぎた。
視界のすべてを覆うのは、濃い緑。
絡み合う蔦、天を突く巨木、足元では見たこともない植物が呼吸するように脈動している。
遠くからは獣の唸り声のような音が、風に乗って響いてきた。
「……ここは、扉の中なのか?」
思わず漏れた呟きに、すぐ背後から低い声が返る。
「ああ、そうだろうな」
「……! 本郷さん!」
振り向くと、蔦をかき分けて本郷さんが現れた。
その顔にはいつになく緊張が走り、腰のナイフに手をかけている。
「こんな現実離れした場所、扉関係以外にあるわけがねぇ。……それより高坂と篠原は?」
その言葉に、ハッとした。
慌てて辺りを見渡すが、隼人と雪菜の姿はどこにもない。
木々の隙間から差し込む光がちらつく。
だが、その光の中に人影はなく――代わりに、風もないのに木々がざわりと揺れた。
森そのものが、生きているかのように。
「……くそ、別の場所に飛ばされたか」
「扉をくぐった瞬間に、転送先が分断されたんだろうな」
本郷さんが吐き捨てるように言った、そのとき。
俺たちの視界の前に、淡い光を放つウィンドウがふわりと浮かび上がった。
【QUEST】
任務:太古の森に現れる“モンスター”を討伐せよ
進行状況 0/30 BOSS 0/1
「……“太古の森”?」
俺が呟くと、ウィンドウの光がわずかに脈打った。
「まるでゲームのクエストみたいだな……でも、
“0/30”ってのはまさか――」
「敵の数、だろうな。……しかも“1”が別枠ってことは、ボスみてーなのがいる」
本郷さんの目が細くなる。
その声に混じる緊張と覚悟が、空気をさらに張り詰めさせた。
と、そのとき――地面がかすかに震えた。
ズズ……ッ。
遠くの樹海の奥で、何か巨大なものが動く音が響く。
鳥たちが一斉に飛び立ち、空を黒く塗りつぶした。
「ッ! 何か来る!」
本郷さんが叫び、俺も反射的に構える。
茂みを突き破って現れたのは――黒くざらついた皮膚、鋭い牙を持つ獣。
その姿は小型だが、まるで古代の恐竜のようだった。
牙の間から滴る液体が、俺たちを“獲物”としか見ていないことを物語っている。
「……冗談だろ」
「ようこそ、“太古の森”へってか。皮肉な歓迎だな」
本郷さんが苦笑し、ナイフを抜く。
あれが彼の神器なのだろうか。
俺も右手に意識を集中させると、指輪が淡く輝いた。
脈打つ力が手の中で形を取り、闇の中にひと筋の刃が現れる。
――黒刃が、音もなく生まれた。
「行くぞ、創馬」
「ッ……はい!」
鬱蒼とした森の中で、最初の戦いが幕を開けた。




