3.動き出す運命
午前の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋の中を淡く照らしていた。
薄いカーテン越しの陽射しは柔らかいはずなのに、今朝はどこか冷たい。
優人はまぶたをゆっくり持ち上げ、天井を見つめた。昨夜、寝落ちする寸前まで見ていた夢の中の男の残像が、まだ視界の奥にこびりついている気がした。
右手に視線を移す。
指輪は、黒い光を宿したまま静かに輝いていた。
触れると、かすかに脈を打つような感触がある。皮膚ではなく、骨に直接響くような――そんな生々しい鼓動。
何度か指をひねってみたが、やはり動かない。
金属が固着しているのではなく、もう肉体の一部になっているみたいだ。
――夢じゃなかった。
その確信が胸を締めつける。昨夜の戦い、あのステータス画面、そして“九つの扉を攻略せよ”というミッション。
どれも現実離れしていたのに、指輪の冷たさがすべてを真実に変えていた。
ピンポーン、とチャイムが鳴る。
優人は布団から身を起こし、無意識に深呼吸をした。空気が妙に重く感じる。
寝起きのぼんやりとした頭を振って、玄関へ向かう。
「おせーぞ、優人!」
ドアを開けた瞬間、いつもの調子の隼人の声が飛び込んできた。
寝ぐせのついた髪を掻き上げながらも、笑顔は健在――だが、右耳のピアスがやけに鋭く光を放っている。
光というより、むしろ脈動。生きているような輝きだった。
「やっぱりお前も外れないのか、それ」
「ん? ああ、これな。外れねーよ。なんか、身体の一部みてーだ」
隼人が軽く耳たぶをつまむが、ピアスはびくともしない。
金属なのに柔らかく、皮膚と同化しているように見える。
……俺と同じだ。雪菜も、きっと。
「てか優人、聞いてくれよ! 俺ここに来るまで何分かかったと思う?」
「はぁ? なんだよ急に。そうだな、いつも通り十分くらいじゃないのか?」
「それがさ、三分もかかってねぇんだよ!」
「なんだって?」
隼人の顔は冗談じゃなかった。興奮というより、まだ信じきれていないような顔だ。
隼人の顔は冗談じゃなかった。興奮というより、まだ信じきれていないような顔だ。
「お前もそのうち分かるけど、俺ら……身体がもう“人間”じゃねぇ。作りから変わってる」
その言葉に、優人は息をのむ。
確かに、昨夜――空中から剣を錬成したあの感覚。そして、平凡な高校生だった俺があの剣士と対等に渡り合えた事実。
あれを説明する言葉なんて、人間の辞書にはない。
と、そのとき。
「ごめん、遅れた」
軽い息を整えながら、雪菜がやってきた。
長い髪の先が朝日に透け、わずかに霜のような光を帯びている。
それが彼女のスキルの影響なのか、それとも単なる錯覚なのか――判別できない。
「珍しいな、雪菜が遅刻なんて」
「ちょっとね……」
短く答えるが、その声はどこか掠れていた。
何か言いかけて、やめたような沈黙。
だが俺も隼人も深くは聞かない。何となくはわかるからだ。
「ところで今、何の話してた?」
「ああ、俺たちの身体に起きてる変化についてだ」
「そうだ!スキルについても話し合おうぜ」
隼人が手を叩くように言い出した。
雪菜も来たので改めて3人で昨夜から今朝にかけて起きたことを確認。そしてスキルに関しての調査をした。その結果判明したことは
①ステータス画面は開こうと意識すると現れる
②スキルは現実世界でも発動可能
③使用時にはマナを消費する
④マナが減ると疲労が現れる
この四つだ。
「うーん、やっぱり実感わかないな」
雪菜が掌を広げると、空気が一瞬で冷えた。
吐息が白くなり、指先に薄い氷の結晶が浮かぶ。
その光景に本人すら戸惑っているようだった。
「それは当然だ。数日前まで普通の人間だった俺らが、今じゃ異能持ちだ」
優人が言うと、隼人はにやりと笑った。
「そういやお前ら、“ステータスの割り振り”ってした?」
「え? なにそれ」
「いや、まだだな」
優人と雪菜が同時に答えると、隼人は驚いたように目を丸くした。
「マジかよ~。俺、速攻で“パワー”と“スピード”に全振りしちまったぞ!」
「脳筋すぎる……」
「私は家に帰ってすぐ寝ちゃったから、そんな機能があるなんて知らなかったわ」
「俺は様子見だな。まだこの“力”が何のためにあるのか分からないし」
「真面目かよ。……ま、らしいっちゃらしいけどな」
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三人で一通りの検証や情報共有を終えると、部屋の中に小さな沈黙が落ちた。
空気が妙に重い。
ほんの数日前までは、平凡な日常がが送られていた。
けれど今は――世界中で、何かが確実に“狂い始めている”。
その感覚だけが、胸の奥に鈍く居座っている。
「……で、どうする? 行くのか、扉のところまで」
隼人の声が静寂を破る。
軽く笑っているが、その目は真剣だった。
「行くしかない。放っといても状況がなにも分からないしな」
優人は短く答えると、カーテンを引いた。
窓の外、街の遠くに薄く黒い雲のような影がかかっており、その下には巨大な扉が見える。
テレビのニュースでも連日報じられていた――
「富士山麓に出現した、高さ五百メートル
横幅三百メートルの“巨大な扉”」。
専門家は「見確認の自然現象」などと苦しい説明をしていたが、
映像に映るあの黒光りする表面を見れば、誰の目にも“異常”と分かる。
しかも、同様の“扉”が日本各地で九か所同時に現れている。
「……俺たちの住む場所の近く、富士山の山麓のゲート。自転車で十五分もあれば着く距離だ」
「行く前に準備しよう。異常が起きてるなら、無防備で行くのは危険すぎる」
「了解。じゃあ一旦解散、三時にもう一度集合な」
二人が頷き、それぞれ家路についた。
優人も深く息をつき、階段を降りて一階のリビングへ向かう。
テレビからはニュースキャスターの張りつめた声が流れていた。
『――現在も政府は警戒レベルを引き上げており、周辺地域の住民に避難勧告を――』
画面の隅には、黒い“扉”が映し出されている。
地表からそびえ立ち、無音のまま空気を歪めているようだった。
まるで異世界そのものが、この世界の皮膚を突き破って現れたかのように。
「ゆうと~、隼人くんと雪花ちゃんもう帰るの?」
「うん。だけどまた集合するよ」
「そうなのね~」
母親の千尋は、キッチンから顔を出して微笑んだ。
その穏やかさが逆に怖い。世界が騒然としているのに、この家の中だけは、昨日と変わらぬ“日常”が息づいている。
優人は、右手を無意識に隠した。
指輪の黒光りを見せたら、どんな反応をされるか分からない。
だが、母の視線がふと彼の顔に向く。
次の瞬間、優人は息を止めた。
「あら、イメチェン? カラコンかっこいいわねぇ」
昨日の夜、試練のあと瞳の色が変わった。
燃え上がるような赤い眼。
それを“カラコン”と片づけてしまう母の鈍感さに、思わず苦笑が漏れた。
…天然だなぁ
再びインターホンが鳴る。
時計を見ると、まだ約束の時間より早い。
だが、胸の奥でざらついた感覚が広がる。
「……よし」
動きやすいシャツを羽織り、スニーカーを履く。
扉の方角を思い浮かべるだけで、心臓が強く鳴った。
正直、怖い。
けれど行かなければならない。
扉の謎、アクセサリーの正体、そして――なぜ自分たちに異能が宿ったのか。
玄関を開ける。外の空気は、どこか焦げた匂いがした。
優人は息を吸い込み、前を見据えた。
小さく呟く。
「――行くか」
黒の指輪が脈動する。
まるで、彼の決意に応えるように。




