初陣
狭い。鉄と、血の匂いがする。
『いくで、お嬢ちゃん! ロゼとの神経接続、開始や!』
ホロの快活な声が響いた直後、後頭部に柔らかな圧力がかかった。
次の瞬間、私の意識は奔流に呑み込まれる。
光。情報。熱量。五感が拡張され、引き伸ばされ、再構築されていく。まるで、自分の身体が溶けて、巨大な鉄の器と一つになるような、不思議な感覚。
——そして、視界が開けた。
目の前に広がるのは、砂礫と煙が舞う市街地。
さっきまで隠れていた瓦礫の山が、今は遥か下に見える。手足を動かせば、三百六十度を映し出すモニターの隅で、巨大な鋼の腕と脚が、寸分の狂いなく同じ動きをした。
これが、ロゼの視界。これが、ロゼの身体。
初めてなのに、懐かしい。不思議な感覚。
『どや? 血まみれのコックピットにいるよりかは、なんぼかマシやろ?』
「……うん」
ホロの言葉に、私は素直に頷いた。恐怖はある。けれど、あの暗くて狭いコックピットに比べれば、この巨人と化した今の方が確かにマシではある。
その時、復活したロゼに気づいたソラバチが、甲高い咆哮を上げ、ガチガチッと顎を打ち鳴らした。
『おっと、ご挨拶が来たで!』
ソラバチが地を蹴り、弾丸のように突進してくる。私が悲鳴を上げるより早く、ホロが叫ぶ。
『ちょいと揺れるで、しっかり掴まっとき!』
背中のスラスターが、凄まじいGと共に点火。私の身体——ロゼの巨体は、ソラバチの突撃を紙一重で躱し、空へと舞い上がった。
『ええか、お嬢ちゃん。俺はあくまでサポートや。こいつを動かすんは、アンタ自身やで』
高度を安定させながら、ホロが言う。
確かに、私のなかの私でない私がホロのサポートの限界について教えてくれる。ホロが出来る事はスラスター制御と飛行制御程度。
そして、そのことはソラバチとは、私が戦わなければならないことを示していた。
その事実に気付くと同時、ホロのどこか抜けた声が聞こえた。
『まずは景気づけに、あれを拾おか』
視界の隅にマーカーが表示された。
それは地上に突き刺さる、ロゼの身長ほどもある巨大な長剣。おそらくこのロゼが先ほどまで使っていたものだろう。
同時、警報音が響く。
ソラバチが翼を広げ、こちらへと突撃を仕掛けて来ていたのだ。
「き、来てる…!」
顎を広げ、こちらを喰い破ろうと、ソラバチの今度こそ息の根を止めてやるといった感情が見えた気がした。
速い。怖い。手足が、思考が、恐怖で固まる。
『しっかりせぇ! アンタなら出来る! 思い出せや!』
ホロの檄が飛ぶ。その声が、引き金になった。
——世界のすべてが、スローモーションになる。
猛スピードで迫っていたソラバチの動きが、まるで水の中を進むように緩慢に見えた。鳴り響いていた警報音が、遠くなる。脳だけが異常な速度で回転し、身体の隅々まで意識が通っていくのが分かった。
『……ええ感じや。まずは避けることだけに集中せぇ』
ホロの声が、冷静に響く。
言われるがままに、スラスターを吹かす。
思考するより早く、身体が動く。
初めて見る、ソラバチが口から放つ光弾を、最小限の動きで、的確に回避していく。自分の身体なのに、自分の身体じゃないみたいだ。
——躱した。
『今や!』
困惑しながらも、私は一直線に長剣へと飛んだ。
しかし背後ではソラバチが急展開し、こちらへと再度突撃をしてくるのがわかる。
スローモーションの世界のはずなのに、ソラバチの動きはどんどん早くなってきている気がした。
『あかん、追いつかれる!』
ホロの悲鳴。ソラバチはすぐ背後まで迫っていた。
長剣の柄に、ロゼの指がかかる。——抜く時間は、ない。
(なら、このまま!)
私は剣を地面から抜かなかった。柄を両手で強く、強く握りしめ、地面に突き立ったままの剣に機体の全体重をかけて固定する。
直後、背中に凄まじい衝撃。突っ込んできたソラバチの巨体が、自らの勢いで黒く光る体を両断したのだ。
「——ぁ」
時が、再び動き出す。
2つとなったソラバチは断末魔の叫びを上げる間もなく後方へと転がり、内部から爆ぜ、閃光と化した。
爆風がロゼの機体を揺らす。やがて、全てが終わり、静寂が訪れた。
『……ようやったな、お嬢ちゃん』
ホロが、どこか感心したように言った。
私は、ただモニターに映る炎を見つめることしかできない。
すると、ロゼのメインカメラが、ふいと空を見上げた。
人工的な空の、さらに上。
宇宙空間だと、私でない私の記憶が教えてくれる。
そこでは、無数の光が激しくぶつかり合っていた。この船を守る、ロゼ部隊とソラバチの群れの、本当の戦場。
ホロが、ぽつりと呟いた。
『せやけど……まだまだ、助かったとは程遠いなぁ』




