転生したら瓦礫の中でした
新人、という札を貼られた一年目。最初は良かった。ミスしても『新人はミスして育つもんだ』と温かく接してくれた先輩。
風向きが変わってきたのはいつからだろう。二年目になって、仕事を少し覚えてきて、後輩と呼べる子が入ってきて。
そして、ミスして、頭を下げて、またミスして。先輩の目は冷たく、後輩からは笑われる。
西嶋沙耶の一日は、大体そんな繰り返しで終わる。
カツ、カツ、とヒールの音が夜の歩道に響く。ぬるい風が頬を撫で、溜め息が漏れた。
「……明日、がんばろ」
誰に言うでもなく呟いて、顔を上げる。そうやって無理やり気持ちを切り替えるのが、いつの間にか癖になっていた。
その時、ふと視界の端に違和感を覚えた。
いつも通る遊歩道の脇。公園の入り口。そこに、あまりにも大きな、見慣れないものがあった。
黒曜石を削り出したような、艶のある黒。有機的な曲線と、無機的な直線が組み合わさった非対称なデザイン。高さはビル3階に届くくらいだろうか。街灯の光を鈍く反射するそれは、前衛的なオブジェのように見えたが、あまりにも大きすぎてとても奇妙だ。
「……昨日まで、こんなのあったっけ」
昼間の疲れも忘れ、沙耶はふらふらとそれに引き寄せられる。芸術には疎いが、その奇妙な存在感に心惹かれた。
一体どうやってあの巨体を支えているのか。
支えているのは昆虫にあるような細い足と腹。よく見ればスズメバチみたいだ、と思う。
「世界は広いなあ。こんなものを作れる人がいるんだから」
他に支えている物がないのだから、あれだけで立っているのだと思うと、芸術も馬鹿に出来ないとしみじみ思う。同時に、自分もいつか何かを為せる人になれるのだろうかと、つい自己啓発セミナーでやった人生プロファイルの内容を思い出してしまう。
いかんいかん、仕事が人生になっているぞ私。
オブジェまではあと数歩、という距離。
今の私には届かない、憧れに似た感情を持って表面に刻まれた幾何学模様に指を伸ばしかけた、その瞬間。
黒いオブジェが、動いた。
——その時は何が起きたのか、理解できなかった。
風圧で尻もちをついた私の眼前を掠めた何か。
高速で何かが横切ったのだ。
いや、それよりもさらに明確なものがあった。
蜂の頭だ。頭が上から私を見下ろしていて、顎をカチカチと鳴らしているのだ。
瞬きの間。私の視界は夜空の月、流れる地面、そして、カチカチと鳴るハチの口を見た。
——首を切られたと、どうしてだか理解できた。
しかし熱も、痛みも、衝撃すら感じない。ただ、意識が急速に閉じていく。流れる視界の隅で、座ったままの姿勢で血しぶきをあげる自分の体を見た。
——なんで?
それが、西嶋沙耶の最期だった。
翌日のニュースは、都内の公園で若い女性の変死体が見つかったと小さく報じた。遺体は頭部が無い以外、争った形跡も、犯人に繋がる遺留品も一切発見されなかった、と。
◇
意識は、轟音と共に引きずり出された。
最初に感じたのは、全身を揺さぶる衝撃と、埃っぽさ、そして錆びた鉄のような匂い。
いや、それよりも。
「く、くびくびっ!つつつ、つながってるぅぅぅ!うげ、げほっ!」
自分で自分の首を絞めせき込む。
そこまでしてようやく、私は自分が生きていることを実感できた。安堵感に包まれると同時、先の情景が脳裏にフラッシュバックし、体が強張る。
あれはなんだったの?
夢だったのか現実だったのか。いや、現実ならこうして首が繋がっているわけもないか。となればあれは夢だったんだろう。
そう思えば幾分心が落ち着ついた。
さて、次の問題だ。
「ここ、どこ?」
そこは暗闇だったが、すぐ近くで何かが激しくぶつかり合う閃光が走り、一瞬だけ周囲を照らした。自分は、崩れた建物の瓦礫の隙間に倒れているらしい。
なぜ?と思うが、こうも埃っぽくては目も喉も痛い。とにかく外へ出ないと。
瓦礫は折り重なってはいたが、頑張れば通れるくらいは隙間がある。
狭い隙間だったのでこの時ばかりは小さい胸でよかったと安心し、いやいやそれとこれとは話が違うだろうと一人漫才をしていた矢先のこと。
——閃光。轟音。衝撃。
「うわあああ!」
反射的に頭を抱えて小さくなる。すぐ横をビュン!と過ぎる何か。頭をあげていたままだったら確実にその何かに抉られていただろう。
(小学校の秋元先生ありがとうございます!あなたが避難訓練をまじめにしなかった私を叱ってくれなかったら、今ここで死んでました!)
気が動転してかそんなことを思いながら、衝撃が後ろに抜けて幾分落ち着ついたので、一体何が起きているのか知りたくて、恐る恐る頭をあげた。
そして、見てしまった。
巨大なロボットが、一匹の「化け物」と戦っていた。
ロボットはアニメで出てくるような人型だった。だけど私の視線はそのロボットをすぐに離れ、化け物にくぎ付けになった。
黒曜石のような外殻。昆虫じみた多関節の脚。そして、鎌のように鋭い口元。見間違えるはずがない。
それは数分前、真夜中の公園でみた、アレだ。
全身から汗という汗が噴きでて、怖気が体を支配した。
(ゆ、夢じゃない!?)
全身の血が凍りつく。
恐怖と、そしてなぜだか胸の奥から燃え上がるような激しい怒りが沸き上がってきた。私じゃない私が、目の前の化け物を「敵」だと叫んでいるような、そんな不可解な気持ち。
『お、やっとお目覚めかいな、お嬢ちゃん』
不意に、すぐ側から能天気な声がした。
見れば、蛍のように淡い光を放つ玉が、顔の横に浮かんでいる。
「……へ?」
『「へ?」やないで。派手な目覚ましやったやろ?』
光は楽しげにくるりと回る。目の前の戦闘と、この世ならざる光の玉を交互に見て、私は混乱のままに口走った。
「な、なんなの、あなたも、あれも…!」
『そらこっちのセリフや。俺の相棒であるサーシャの身体に入っとるアンタこそ、誰やねん』
「さーしゃ?からだ?」
『ま、ええわ。その話は後や。ワイはホロ。今はあいつをどうにかせんと、お嬢ちゃんもっかい死ぬで?』
ホロと自己紹介した光がそう言った直後だった。
眼前で繰り広げられていた戦闘が突如として終わりを迎えたのだ。化け物の鋭い一撃が、ロボットの装甲を貫く。火花が散り、巨体は力なく膝をつく。そして、追撃の刃が、コックピットと思わしき胸部を深々と抉った。
ロボットは、完全に沈黙した。
巨体はバランスを崩し、私が隠れている瓦礫の山に向かって、ゆっくりと倒れてきた。
『うおっ、やっば!』
ホロの焦った声が響く。だが、私にはもう、動くことも叫ぶこともできなかった。
巨大な鉄の腕が、すぐそこまで迫っていた。