2章 コーヒー・ノン・ブレイク.2節
事務所は混沌と言い表すに相応しい様子で片桐を出迎えた。
木製の重厚なデスク、小さな机を挟む黒革張りのソファー、壁一面に並んだ本棚とスタンドに掛けられた中折れ帽。デスクの上には時代錯誤甚だしいタイプライターまで備えられている。
いかにも古典的な探偵像を醸し出す家具類。内装をレイアウトしたのは副所長だ。どうやら彼は1950年代のノワール映画に心を囚われているらしい。
そんな格調高い雰囲気を乱すように、いくつもの異物が散乱している。
先ず目につくのは机に山積みされた大量の本。古書、図鑑、小説、古文書、洋書、禁書……果てには事件の資料に至るまで、一切の分別なく積み上げられていた。一般の訪問客に見せてはならないシークレットのハズだが、そんなことは全く気にならないらしい。
そもそもの依頼人の少なさを考えると、そうなるのも宜なるかなといったところか。
これは我らが所長の仕業である。
次いでそこら中に捨て置かれた雑多な何か。キーホルダー、動物を模した陶器、木刀、格言が書かれたTシャツ、よく分からないペナント、仮面や人形などの呪物の類い。
足元にあった裏返し状態のシャツを拾う。胸元には『黒船来航』の大文字プリント。何故こんなものを買ったのか、小一時間問い質したい気持ちに駈られた。
これは旅行好きの事務員の土産物である。
他には……包帯や煙草の空き箱なんかが点々と散らばっていた。
これは片桐の出したゴミ。他二名と比べれば大したことはない、些事だ。一応回収しておくけども。
片桐は気持ち程度に事務所を整え、扉の前の少女を呼び込んだ。
事務所は土足厳禁、ではなく土足推奨となっている。片桐を含めた一般的な日本人の感覚からすれば、若干の抵抗があるシステムだ。
副所長の敷いた制度だが、そんなところまで英国準拠にしなくても良いと思う。
少女は緊張を表情に湛え、おずおずと敷居を跨ぐ。
ハンドサインで着座を指示すると、特に抵抗することなく従う。こんな場末のビルで男と二人きり、というのはなかなか危険な状況だと思うが、それを理解できているのか怪しい態度だ。
そういった状況に慣れているのか、単純に愚かなのか。
或いは、よほど切羽詰まった状況なのか。
「仕事の依頼、で良いんだな?」
片桐の問い掛けに少女は頷きで答える。そして、こちらを見据えて口を開いた。
「……宮本茉梨です。如月女学園高等学校に通っています。その、私、こういう……探偵さんに依頼するのとか、初めてで」
少女──宮本は自信なさげに言葉を紡ぐ。
多くの一般人にとって探偵の世話になる機会はそうそうあるまい。それが女学生なら尚更だ。
「別に緊張する必要はない。アンタは依頼内容を説明し、俺は依頼を受けるか否かを判断する。俺が受注すればアンタの悩みは消え失せる、シンプルだ」
片桐はできる限り目元に皺を寄せないよう意識しながら、机上にカップを二つ置く。
湯気と共に芳醇な香りが漂った。黒々とした水面が陶磁器の中で揺れる。
いつだったか、コーヒーにはかなりこだわっていると副所長が話していた。
「豆を変えたり温度を変えた程度で味が変化するんですか」と訊くと「実は、僕も何が変わってるのかよく分かんないんだよね。ただ、昨日より美味くなればいいなと思って色々試してる。雰囲気だよ、雰囲気。雰囲気でコーヒーを淹れてる」なんて答えが返ってきたので、それ以来副所長の言葉は聞き流すようにしている。
目元まで垂れた髪の毛を除け、苦々しいだけの液体を喉に流し込み、沈殿しかけた意識を切り替える。
前に座る宮本も同様の行動をとっていた。
一瞬の静寂。壁掛け時計が時刻を刻む。
やがて、彼女は口を開いた。
「ろくろ首を、退治してほしいんです」




