一章 探偵に午睡は遠く.三節
屈辱的な一幕こそあれ、業務は依然進行中である。
片桐は凝りに凝った首を回し、手首を振る。
ジャケットの襟を正し、緩んでいた神経を研ぎ澄ませた。
冷静になった所で脳内を整理する。
今回の依頼内容は、噂の調査のようなものだ。
天埜市内で最近話題になっている『ろくろ首』の噂。
曰く、人気の無い街道で不気味な人影を見た。それは首が異様に長く、全身がぷらぷらと不規則に揺れていたという。
まるで古典怪談のような話だが、いやに目撃証言が多いのが気になった。コンビニの駐車場、普通の道路、インターネットカフェの個室内、学校の教室。
現れる場所に一貫性はなく、複数回遭遇してしまった不運な依頼主によると、一回目と二回目では姿形が異なっていたらしい。
性別、服装、出現場所。その全ての属性がバラバラで関連性が見出だせない。
巷ではろくろ首は群れで行動する説、ろくろ首は自分を見た人間を仲間にして増殖する説など、様々な与太話がまことしやかに囁かれている。
そんな中、事実として信頼できる情報もある。
それは、奴らに遭遇しても何をしてくるでもなく、ただ不規則に揺れている、というもの。これは全ての目撃証言に共通している。
そしてもう一つ。奴らは首を天井や窓枠、看板などの遮蔽物まで伸ばしているので顔を確認することができない、という情報もある。
そして怪異の世界に身を浸した自分たちからすると、別のことが気にかかる。
「轆轤首がこんな街にいるわけがない。しかも二人も三人も……それ以上なら尚更だ。もしそんなことがあれば、ウチの界隈は馬鹿みたいな騒ぎになってるハズだろ」
妖怪という区分は大別すると二種に分けられる。
一つはもともとそこにいたナニカに、姿と名を与えたもの。これは神や自然霊の類いに分類される。
もう一つは、人々の伝承によって生み出されたもの。普通の事象が、恐怖や憎しみなどの感情によって認知を歪ませ、それが霊力や泥濘と結び付いてカタチを得る。基本的に多くの妖怪や怪異はこれに属する。伝承が薄れればその輪郭も溶け行き、やがて霧散するが、逆に語り継がれるほど認知が伝播し、存在強度は確固たるものになっていく。
このタイプの特筆すべき点として、霊力で肉体を形成しているものと生身の肉体を持っているものに、更に枝分けされる。肉体を持つものはこの世の事象に縛られ、いつかその寿命を失うことになるが、その分種を残す機能を備えている。
轆轤首も当然後者に分類される妖怪だ。しかし、その背景はやや複雑である。
中国に飛頭蛮という妖怪がいる。平時は人間と変わらない姿をしており、普通の人間と同じ思考や生態をしている。
しかし、夜になると首筋に赤い痣が現れ、そこから首が分割される。しかも首だけで飛行し、虫や蟹などの生き物を食らって、朝になると戻ってくるという。
彼らはその最中の記憶を失い、自分が妖怪である自覚を持たない。古代では自分の意思で首を飛ばしたり、肉体をバラバラに分割させることもできたというが、今の彼等はほとんど人間と言ってもいいほど劣化している。
現在飛頭蛮とされている種族の九割は、飛頭蛮と人間の混血なのだ。これが彼らの区別を難しくしている原因である。
妖怪としての性質は時代を移り、血を交わらせるほど薄れ、希釈されている。ある学者は既に飛頭蛮という妖怪は絶滅しており、現在の飛頭蛮はただ夜に首が飛ぶだけの人間であるという結論を出したほどだ。
話を轆轤首に戻す。古来より轆轤首はしばしば飛頭蛮と同一視されてきた。
江戸時代、ある陰陽師が夜な夜な首が伸びる女に話を聞くと、自分の父親は首が飛行していたと言ったという。
それ以降、轆轤首とはなんなのか、という議論が至るところで交わされた。
独立した妖怪説、飛頭蛮の親戚説、嫉妬などの情念によって首が伸びるようになる怪奇現象説、首を伸ばす異能力者、などの意見が激しくぶつかり合ったが、当時の陰陽師たちは我が強く、共通した分類手段もなかったため、結論が出ることはなかった。
また、狐や狸が愉快犯として変化することもあり、混乱を加速させたという。
しかし、陰陽省が設立された明治時代、人妖律令法が施行される際に、公式では史上初となる大規模な分類調査が行われた。
多数の陰陽師や学者が協力して、ついに出た結論は『轆轤首とは飛頭蛮と呼称される妖怪の亜種、或いはそれを原種とした妖怪と人間との混血種である』というものだった。
大陸から日本に流れ着いた飛頭蛮が日本の環境に適応するために変異し、次第に分割した首と胴体を霊力で繋ぐようになっていった。その霊力が、周囲からは首が伸びているように見えるという。
そして大元の飛頭蛮と同じく、轆轤首も人間と交わり、種族を残す代わりにその血を薄めていった。
個体数も明治時点からかなり減少しており、首を伸ばす能力も徐々に退化している。
自覚のないまま人間として暮らしている個体が、ふとした瞬間に首が伸びてしまい、それが理由で苛めや排斥の対象になるという事件も多い。
そういった対象は、本人の同意を取った上で陰陽省管轄の霊地で生活をさせるという保護手段を取っている。
現在の轆轤首は妖怪ではなく異能を持った人間である、というのが既に定説と化してきており、彼ら彼女らを妖怪扱いすることは人権侵害ではないか、と議論が起こったこともある。
………長々と述べてきたが、つまりは────
「轆轤首は自覚の有無を問わず、その存在が認識された時点で陰陽省の管理下に入る。逆説的に、今陰陽省の介入がない以上、ソイツらは轆轤首じゃない」
轆轤首の大家族が引っ越してきたとか、種族限定お見合いパーティーでもない限り、市内で噂の『ろくろ首』は全く別の怪異だ。
「化け狐や狸の類いによる変化の可能性も捨て切れないですが、狐は自治区域の獲得のために面倒事は起こしたくないでしょうし、狸は淡路でのやらかしで処罰されたばかりですからね」
所長の意見に頷く。
狐や狸に課せられた生妖人化法は、陰陽省の許可無しでの人間への変化を禁止するという法律だ。
かなり厳しい審査があり、許可されたとしても一般的な人体構造の遵守を余儀なくされる。首が伸びるなんてビックリギミックは、審査時点で通らないだろう。
ふと、携帯電話を耳元から離し、画面を見る。
通話中〈所長様〉22分13秒の文字。時間は16時35分を指している。
そろそろ標的が通りかかる頃合いだろう。
そしてその予感は過たず、僅か数分が経過した後に茶色いコートを羽織った中年の男が現れた。癖のあるもじゃもじゃした髪の毛は、遠目から見ても脂ぎっており、清潔とは言い難い。
丸渕眼鏡の下にある瞳はたるんだ瞼の重みに敗北して細められていた。
今野と呼ばれる情報屋。彼こそが片桐が待ち望んでいた相手であった。