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一章 探偵に午睡は遠く.一節

 まず目につくのは瓦礫だった。

 周囲を埋め尽くす瓦礫の群れ。つい数瞬の間までそこには住居があり、数多くの日常があったはずだ。

 しかし今、俺の視界は火災による紅蓮に染まり、灰色の地平がどこまでも続いている。

 雨粒が地面に落ち、湿った痕を残していく。


 俺の顔を伝う雫は雨か、それとも抉れた額から垂れる血液だろうか。

 うつぶせの状態から上体を起こし、地面から立ち上がろうとするも、経験したこともないような凄まじい激痛に襲われ、苦悶の声をあげる。

 恐る恐る視線を背後に向けると、瓦礫の一つが右足を押し潰していた。

 赤い染みがコンクリートの下から広がり、水溜まりを作っている。

 己の肉体の状態を想像すると背筋が凍る。意識を取り戻したばかりだというのに、また気を失いそうだ。


 いったい何が起こったのか、全くわからない。

 今日起こった出来事を思い出す。

 朝、珍しくお母さんに言われるより早く起きることができた。それをほめられ、少し誇らしい気持ちになったことを覚えている。

 その後、普段通り小学校に行き、授業そっちのけで友達と笑いあい、はしゃぎながら通学路を歩いた。

 帰ってからは嬉しそうなお母さんに、何故喜んでいるのかを聞き、お父さんの昇進を知った。

 今日はお父さんの昇進祝いに豪勢な料理にしよう、と言い近所のスーパーに買い物に行くお母さんを見送った。

 そして今は、妹と一緒に二人の帰りを待っていた、そのはずだ。


 突然爆発音が響き、家が揺れた。

 地震かと思い、慌てながら机の下に隠れる、その時に。

 窓の外に巨大な化け物を見た。


 それは、人間のようにも見えた。

 やせ細った肉体に、腹だけが突き出した体形。手足が妙に長く、ねじ曲がった背骨をさらに猫背気味にし、前傾姿勢で住宅街を練り歩いている。

 背中や手足の一部がピンク色の肉片に覆われ、身体全体に醜い吹き出物が生えていた。

 何よりも異形だったのはその頭部。そいつには頭が二つ付いていた。

 片方は人間。毛は生えておらず、赤い顔には皺がびっしりと刻まれている。老人のようにも赤子のようにも見て取れ、その歪さが不気味だった。

 口は半開きで、すり減った乱杭歯がびっしりと生えそろっている。灰色に濁った眼は左右それぞれが尋常ならざる方角を向いており、何かを探しているようにも思えた。

 もう片方の頭部は様々な動物の寄せ集めだった。いや、表現としては煮凝りが近い。

 猿や牛、蝶や蝿、魚や鳥。統一性は全くなく、ただそこにあったものを混ぜ合わせたというような感じだ。

 顔面に付いた夥しい数の口が、パクパクと開閉している。


 その化け物が、こちらを見ていた。

 次の瞬間、凄まじい衝撃が発生し、家ごと腕で薙ぎ払われたのだと気付いた時には、俺の身体は吹き飛んでいた。


 そして気を失い、瓦礫に紛れていたのか。

 全身が痛いのは落下したときのダメージだろう。落下死しなかったのは運が良かったとしか言えない。


 状況を理解すると、先刻より続いていた耳鳴りが薄れ、周囲の環境音が代わりに流れ込んでくる。

 破砕音、倒壊音、爆破音、そして、声。

 男性の悲鳴、女性の叫び、子供の泣き喚く声、誰かの怒号、ナニカの鳴き声。


 見知った町は、いつの間にか地獄に変わり果てていた。

 大小様々な怪物が、人間を蹂躙している。

 その姿形はバラバラ。だが全員が人間に対する強い敵意を抱いているように感じた。

 どこを見渡しても怪物がおり、人間の血飛沫がそれに続く。

 


 恐怖で震える。いつ俺の番が来てもおかしくない。

 すぐにでも逃げ出したいが、足が抜けない。抜いたところで潰れているのだから使い物にはならないだろうが。


 だがいつになっても俺に爪牙が襲いかかることはなく、俺は屍山血河の中の孤島であることを余儀なくされた。


 人体が裂ける音、手足が捥がれる音、内臓が潰れる音、血飛沫の散る音、肉を咀嚼する音、頭蓋が砕ける音、心が折れる音、切断する音、抉れる音、圧縮する音、破裂する音、吹き飛ぶ音、落下する音、身近な誰かが弾ける音、友人だったものが焼ける音、妹が半分になる音、人が死ぬ音、殺される音、音、音、音、音。


 残酷なオーケストラが止むことはなく、俺は観客席に縛り付けられたかのように同じ場所から動けなかった。

 いっそ舞台に上がれた方が楽だっただろうか。

 そんな思いが浮き出る度に、誰かの絶叫が響いて霧散する。

 

 聞きたくない。

                                         聞いてしまった。


 見たくない。

                                        見てしまった。


 死にたくない。

                                     生き残ってしまった。



 何のために?

                                     責任を果たすために。



 何を成す?

                                            それは──────


 


【陰陽省 記録課 2024.7.28】

 12年前、■■県■■市で発生した百鬼夜行。

 人妖戦争以来、妖怪による未曽有の大量虐殺として有名なこの事件による死傷者は、延べ■■■■人にも及ぶとされる。

 僅かばかりの生存者もほとんどが社会復帰不可能なほどの肉体的・精神的な後遺症を受け、自殺した者も少なくない。


【備考】

 うち一名、事件より3年後に陰陽省に就職。

 その2年後、退職。現在行方不明となっている。

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