侍女の手、街の音
丹念にテーブルを拭いてまわり、テーブルのカド同士が結ぶ直線をキッチリ揃え、それに伴って椅子も並べ直す。
流れるように食堂のテーブル周りを整えていく一連の流れは、彼女のメイドとしての格の高さを見せつけられているようだった。
「ホント、これが昨日の騒ぎの犯人とは思えないねぇ……」
宿の女将がため息混じりに呟く。
無理もない。ある貴族の屋敷で暴力を働いたという"鉄の侍女"サマが、女将が切り盛りするこの宿の食堂を整えているのだから。
「……ただ、その装備だけはどうにかならんのかねえ。はっきり言って物騒だよ」
女将は、"鉄の侍女"と呼ばれていたミルティシアに近づきながら言う。
「申し訳ありません。私が仕えていた頃もこうしておりましたし、何よりここでは何が起きるのかわかりませんので」
いやこの店で暴力沙汰なんて起こさせたことなんかないよ! と女将は言いそうになったが、ミルティシアはおそらく街全体のことを話しているのだろうと時間差で冷静になる。
「まあ冗談だよ。半分だけね。できるならそんな格好してほしくないけど、ここまでやってもらってる以上はあんまり言えないよ」
そう。ミルティシアはこの宿を使うにあたって、わざわざ手伝いを申し出たのだ。
最初は女将も断った。単なる客に、そういうことをさせるわけにはいかないと。
しかしミルティシアもそこは退かなかった。「客として振る舞われるだけなのは、どうしても落ち着かないのです」と答える。
これだけ格の高いメイドとしての動きを見せられたら納得するしかない。あまりにも、振る舞う者として完璧すぎたのだ。
実際、女将もこの宿を始めてからそれなりに時間を重ねている。だが、女将よりも若いミルティシアが、振る舞う者として先の地点にいる。
女将は直感で、この子はあたしよりも長生きだ、と結論付けた。それに竜人は人間よりも寿命が長い、いわゆる長命種であるということも知っていた。
今までのミルティシアの行動を見て、そりゃあ「手伝わせてくれ」と言うわけだ。女将も今になって十分納得している。
「奥様。これで食卓の整備は整いました。次は如何いたしましょう?」
「あ、ああ……ご苦労さん」
ミルティシアの声で思考の海から戻ってくる。
「そうだね……じゃあ、折角だから買い出しも頼んじゃっていいかい? 今から買ってきてほしいもの、書くからさ」
それに、まだこの街のことあんまり見てないでしょう? そう付け加えて、女将は台所の奥へと入っていった。
女将が手渡してくれた"買い出し一覧"と手提げの大きいバスケットを両手に、ミルティシアは市場を歩いていた。
あらゆる方向から店の呼び込み、客同士の会話、値下げ交渉といった、活きた様子を感じ取れる。ここまで活気のある市場は、ミルティシアも久しぶりだった。
「次は、この穀物……」
すれ違う人を避けながら、メモに目線を落とす。その動作にも寸分の無駄はなく、危うさも一切感じさせなかった。
「すみません、こちらの穀物なんですが」
「おやっ! これはこれはウワサの"鉄の侍女"サマじゃあないか!」
自身のことを認知されていて、ミルティシアは驚いた。だがその表情は微塵も動かない。
より正確には、驚きはした。しかし、その顔には一切の変化が現れなかった。
彼女の表情筋は、感情よりも遅れて動く。あるいは、ほとんど動かないのが常だった。
「あいにく、そこまで言われるような自覚はないのですが……」
「なに言ってんだい! あんさんが黙らせたあの貴族。俺達からしたらとんでもねえ奴だったんだぜ!」
店主の声が大きくなる。ミルティシアは小さく手を上げて、軽く首を振った。
「ええと、それで。穀物の一袋。こちらをある宿へと届けていただきたいのですが」
「ほぉー! 侍女らしい一面もしっかりあるじゃないの。ってことはあの女将さんに頼まれてんだな?」
どうやら女将と面識があったようだ。だからこの品物は店の指定がしっかりなされていたのだと、納得した。
「代金は女将さんからもらっとくから、しっかり伝えろよ!」
市場の活気に背を向け、ミルティシアは静かに歩き出す。
「おっとおっと、これはこれは……まさか噂の"鉄の侍女"様でしょうか?」
人の出入りが薄くなってきた箇所で、横から呼び止められる。
「……あいにく、そのような」
「えぇえぇ。結構結構。ちょっとお話が聞きたいだけなんですよ」
声の主へ顔を向ける。そこには、地味な配色の外套を羽織り、手には手記と筆記具を握っている男の姿があった。
「もしや、貴方様が私の評判を?」
「まさか! こんなに早く噂を広げられるほど、こっちは筆が早くないんですよ」
どうにも信用しきれないが、無碍にもできない。ミルティシアは、彼の促すまま人通りの少ない路地へと入っていった。
お読みいただきありがとうございます。
第三話以降については、おおよそ1~2日おきの更新を目指しています。
少しずつ、言葉と風景の中に、彼女という人の輪郭が浮かび上がってくるかと思います。
静かな日々のなかで、なにかひとつでも心に留まるものがあれば――
それをどうか、大切にしていただければ幸いです。