触れてはならない名を掲げた男
男は後継者争いに疲弊していた。
それは跡継ぎなど興味がない、という理由ではなく、勝てる見込みのない戦いに参加させられていたからだ。
「邪魔なやつを全員、消しでもしない限り勝てないだろ……」
うだつの上がらない日々が繰り返される。男には特筆すべき美点や、家をまとめる能力などがない。
このままいけば無難に長男が跡継ぎとなるだろう。男もそう思っていたし、それでいいと思っていた。彼は三男だったからだ。
だが世間体……特に彼の周りの貴族階級たちは、それを許そうとしなかった。
この街の貴族たちは、自身の何かをアピールし、そしてそれでもって家内や他所の家と争うものである、という思考が根付いていた。
「何にもねえ俺が、一体どうやって戦えっていうんだよ……」
それでも戦わねば周りが許さない。男は、自らの出自を強く呪った。
あくる日、一つの噂話が街中に広がっていった。
鉄の侍女、あるいは、鎧のメイド。竜人のような特徴を持つ、一人の女。
なんでも少し離れた街で、そういった異様な装いをした冒険者でもない旅人が、ある貴族に喧嘩を売り、黙らせたのだという。
他にも、その女は住民に寄り添い、共に悩み、手を貸したとか。これではまるで、英雄のようではないか。
最初は男も半信半疑だった。だが、竜人の特徴が見られたという話が確証を持って彼の耳に入ったとき。
「……竜人のメイド?」
少し心当たりがあった。ここから遠く、南下した地域の名家に関わる話で、そのような記述があった気がした。
相当古い文献だったのは覚えているが、記憶が正しければかなり強い権力と影響力を持っていた家だった。
男はすぐさま、その家について調べた。こういった資料文献を探るのだけは得意だったのだ。
そして数日かけて、ようやく確証が取れた。エルグレイン家と呼ばれる名家にまつわる記述に、求めていた内容があった。
だが期待していた内容とはわずかに違った。
まずエルグレイン家は、とうに途絶えたという記述を見つけた。この内容は、逆に使える。
次に時代が違っていた。エルグレイン家の跡継ぎ争いがあった際、早々に争いから離脱した三男の話があった。この話は、彼の祖父が若かりし頃に読んだ文献の中でも、さらに昔の出来事として扱われている。
そしてその時代の三男が家を出て、遠く離れた郊外にひっそりと屋敷を構えて暮らしていた、と。
その傍らに、竜人のメイドがいた、と。
「……このメイド、もしかして……」
わずかに残された記述内容と一致する。側頭部から生えた一対の角。太く重くしなやかな尾。そして、胸当てと手甲だけは欠かさずつけていた、と。
すぐさまそのメイドの位置を調べさせた。もし、このメイドがその後継者争いの頃からまだ生きていて、今この街の近くにいるとするならば。
「俺が、エルグレイン家の末裔だと主張すれば……」
男の中に、じわりとした欲望が滲み出してきていた。
調べさせた情報によれば、竜人のメイドは文献の中にあった郊外の屋敷があったであろう地域を始点とし、大きく弧を描きながら北上していったとのこと。
そして、この街に彼女の存在が噂され始め、男がエルグレイン家について調べ始めた頃。唐突に、一直線に南下してきた、と。
つい先日、彼の住むこの街のすぐ北にある街で、彼女の姿を見たという情報も入ってきた。
男は運命を感じた。まるで、エルグレイン家の事を知った自身に仕えるために向かってきているような。そんな気がしてならなかった。
このままいけばおそらく彼女はこの街を訪れるはずだ。
それから、男はエルグレイン家について調べ漁った。周りの目など、もはやどうでもよかった。
全ては彼女が自身に仕えれば解決するからだ。邪魔な周りの貴族や、長男次男と、そういった人たちを排除できる。
それに加え、仕えた主が死ぬまで共にいたというのだ。その忠誠は、想像もできないぐらい大きいだろう。
鼓動が早くなる。すぐ目の前に、好きに使える力と、女体がぶら下がっていたのだから。
そうして文献を読み漁り続け、ついにエルグレイン家のメイドが街にやってきた。街中は噂で持ちきりだった。
「……よし。完璧だ。この情報をもとに、彼女に会い、そしてこれが真実だと告げれば……」
男はすぐさま、竜人のメイドがいるという場所へ一人で向かった。