名を揺らす風
南に向けて歩き始めてしばらく。昼過ぎ頃に村を発ったが、夕暮れ前には街に着いていた。
思ったよりも早い到着ではあったが、陽が傾きつつあるのは事実。そのままの足で宿の確保に向かった。
「すみません。どこか、空いている部屋はありませんか」
たまたま目に入った宿屋は酒場も兼ねているところだった。店主らしき男に、ミルティシアは聞いた。
「ああ、まだ空いてるが……その格好。もしかして、"鉄の侍女"とやらか?」
「……その通り名が、この街にまで届いているのですね」
一瞬だけ目を伏せ、やがて答える。
「そうかもしれません。ですが、それは外側だけの話、です」
「ああ、すまない。別に悪く言うつもりはなかったんだ」
男が少し佇まいを正す。安易に触れてはならない通り名なのかと、考えを改めたようだ。
「見ての通り、ここは酒場も兼ねてる。見ての通り、冒険者が多いのも特徴だ」
ミルティシアが改めて辺りを見回す。確かに、一般的な住民には程遠い見た目の客が多かった。
聞こえてくる会話の内容も、断片的ではあるが何やら世界情勢のような、そういった"よその話"が多いように感じる。
「――で、あの王国のお触れ。お前、どうすんだ? 中々いい話じゃないか?」
「とはいえなあ。新大陸の開拓だろ? なんかいいように使い捨てられそうでよお――」
あるテーブルでは発令されたお触れの話。
「――しかし、差別国家が崩壊ねえ」
「なんでも国王が、実の娘に殺されたとか――」
その一方で、遠くで起きた大問題について。
「ま、この街には冒険者が多く立ち寄るんでな。大々的に暴れたりとかしないなら、歓迎する」
「今の私にとっては、非常に助かります」
どうやら"悪い話"は削ぎ落とされていたようで、胸を撫で下ろす。
「あっ、すみませーーん!! もしや"鉄の侍女"さんだったりしませんかー!!?」
突如背後から、妙に通りが良くはつらつで透き通った声が届く。
「ああ、彼女はこの街のギルドの職員だ。よく問題を拾いに来てくれる」
「初めまして。……見た目だけなら、そういうことになります」
軽く会釈をして、ギルド職員を正面に据える。
「はじめまして! お話はあの村の方から伺っていますよ!」
「その件でしたら……出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした」
「いえいえいえいえ!! まさかとんでもない!」
ギルドの依頼を横取りしたような形になってしまっていた。それに対し、苦言を呈されるのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
「むしろこちらとしては魔物問題の解決と同時に、素行の悪い冒険者への処罰に踏み切る大きな一手になりましたから!」
「ああ……あの三人組、でしょうか」
村に訪れて早々に出会った、長剣、槍、短剣の三人を思い返す。
「以前からあの人達には手を焼いていまして……なまじ、実力はあるので困っていたんですよ」
この街のギルドの代表として、と前置きをしたうえで深々と頭を下げ、感謝を述べた。
「それにしても、それだけの力量があるのならば……わたし達と一緒に働いてみませんか? あっ、職員じゃなくて、冒険者として、ですよ!」
真っ直ぐな疑問が、ミルティシアに突き刺さる。
「それは、私にとって"誰に心を伏せるか"を選ぶことと同じ意味になります。……今は、その時ではありませんので」
「むう、それは残念です……ですが! 何かありましたら、こちらからお願いしちゃうかもしれませんね!」
それはギルドとして問題だろ、と店の男がこぼす。
「とにかく! ギルドとしては"鉄の侍女"さんに大きな感謝がありますので!」
「私は、私が成すべきことを成しただけに過ぎませんので」
「まあまあまあ! 折角ですから、こちらの感謝の印も受け取ってください!」
ギルド職員がミルティシアの手をやや強引に取り、何かを握らせた。
「あの、これは……」
「お前、それはやりすぎだろ」
「これはわたしのお金だからいーんです! それでは、失礼しましたー!」
手の中身を確認する間も、呼び止める間もなく、ギルド職員が飛び出していってしまった。
「……まあ、悪い奴じゃあないんだよ。悪い奴じゃあ……」
店の男が額に手を当て、首を横に振っていた。
「……そうですね。悪意のある方では、ないように思えました」
ようやく握らされた中身を確認する。そこには、数枚の銀貨と、銅貨があった。
結局ミルティシアはこの宿の世話になり、そして一日だけ給仕として動くこととなった。
たった一日だけの、完璧で美しい所作の"鉄の給仕"はしばらくの間、この宿で興味をさらう話題として冒険者の間で語られることになった。
翌朝。陽が高く昇る前にミルティシアは街を出た。
先日、村で村長から借りた地図に記された道筋を思い返しながら、南へ歩を進める。
早朝の風が裾をわずかに揺らし、腰の二振りの刃を静かに鳴らした。
そうして歩き続け、陽がほぼ真上から照らすようになった頃。彼女は次の街へ足を踏み入れた。
「……」
最初に感じたのは、視線。束ねたように、自分へと向けられる注視。
だがその視線は、刃のような敵意でも、嫉妬に濁ったものでもなかった。
漠然とした憧れ、羨望、噂の真偽を探ろうとする好奇心。
どこか遠くから聞こえてくる噂話が、今、目の前の現実として形になったかのような。
「もしかしたら、この街にもあの通り名が……」
とはいえ、人の足でしばらく歩けばたどり着ける距離。噂がここまで届いていてもおかしくはなかった。
多めの人通りを縫うように、彼女は次の宿へと向かった。
そうして宿を取り、ここからの旅路に向けて買い出しをしようと市場へ向かう。
途中刺さる視線は相変わらずだったが、気にしないようにした。
「失礼。貴女のその格好は、"鉄の侍女"さんですね?」
背後から声をかけられる。
「……見た目だけならば、そうですね」
「まさか、本当に貴女がご存命だとは思わなくて」
「それは……どういうことですか」
ミルティシアの言葉に緊張が走る。
「"鉄の侍女"……改め、お待ちしていました。ミルティシア・エルグレインさん」
「……なぜ、その家名を」
思わず大きく目を見開いた。
誰にも一度も伝えたことのない、彼女の家名を。この男は知っている。
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次回が最終回となります。
最後まで、もう少しだけお付き合いいただけると、幸いです。