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越えてはならない境界線

その日の夜。ミルティシアは、空き部屋があるという民家へ寝床を借りることにした。

宿泊の礼として家事の手伝いは最大限行い、民家の人たちからの信頼は得られた。

「一晩泊めてあげるだけで、こんなにしてもらっちゃっていいのかい?」

民家では威圧感を与えないようにと、ミルティシアは装備類を外し、素のメイド服姿に戻っている。

「これが私の生き方ですから、お気になさらないでください。誰かに尽くすことで、私はあるべき姿になれる気がするのです」

寝具の整え方、台所の片付け、戸棚の立て付けの調整まで。

彼女が通った場所だけが妙に整って見えるのは、彼女のメイドとしての振る舞いの高さをうかがわせる。

「若いのにずいぶんと立派だねえ。でも、その服。そろそろ新しくしてもいいんじゃないかい?」

だが、その服はもう新品とは呼べなかった。

修繕の縫い跡はところどころ糸色が違っており、長い歳月の中で幾度となく手が入ってきたことがうかがえる。

布地のあちこちにはうっすらと擦れが生じており、彼女の丁寧すぎる振る舞いには、どこか不釣り合いにも見えた。

「これは……私の主が、贈ってくださった大事なものなのです。これを着ている限り、私はまだ、主に仕えることができている気がするのです」

「そりゃあ……そういうもんだろうね。簡単には替えられないってのは、わかるよ」

とはいえ、彼女がかつての屋敷を出てから季節が三巡している。いい加減、誤魔化し続けるには限界が近い。

「……一度、取りに戻るべきかもしれません」

屋敷に戻ればまだ新品はあるはず。ミルティシアは、次の目的地を静かに定めた。


翌朝。ミルティシアは村の誰よりも早く目覚め、装備類を静かに身につけていた。

尾が揺れ、金具が鳴る。胸鎧を締める手元に、無駄はなかった。

その時、彼女の角に異音が届く。人間よりも遥かに重量のある、足音。

「あれは……」

森の入口から、一本の道をゆっくりと。

昨日、傷を負っていたはずのミノタウロスが、まだ左足をかばいながら、まっすぐ村に向かっていた。

ミルティシアはすぐさま村長宅へ駆けた。無礼を承知で、扉を叩き、寝巻姿のままの村長を揺り起こす。

「申し訳ありません。どうしても、今、見ていただきたいものがあります」

村の全員が起きるまでミノタウロスは柵の外で、じっと村の様子を見つめていた。

「改めまして、皆様をこのような時間にお呼び立てしてしまい、申し訳ありません。ですがこれは、皆様自身の目で見ていただくべきだと、そう判断いたしました」

ミルティシアがミノタウロスを手先で指す。同時に、直接来るとは思っていなかった、と付け足した。

「ワレ、ワ……ニンゲン、ムラノ、ヒト、ニ……ケガヲ、サセタ」

ぽつり、ぽつりとミノタウロスが言葉を漏らしていく。角張った舌で、喉を絞るようにして発せられる音。

ミルティシアが、その言葉を拾い上げて、村人たちへ伝える。

「ワレガ、ワルカッタ……。ワレガ、ワルイ……」

彼の口から直接「ごめんなさい」という言葉は出なかった。その言葉は彼の文化になく、また、ミルティシアも教えていなかったからだ。

しかし、ミルティシアはあえて彼の「ごめんなさい」という意味を、代弁しなかった。

「いや……こちらこそ、悪かった。すまない。まさか、敵意のない魔物がいるとは、思っていなかったんだ……」

罠師が一歩前に出て、ミノタウロスに頭を下げた。それを見たミノタウロスは、合わせてかがみ込み、頭を垂らした。

「スマ、ナイ……」

人間と魔物が、お互いに頭を下げ合う。この光景は、前代未聞であった。

罠師とのやり取りを見た村人たちは、次第にミノタウロスへ向ける目線の意味を変えていった。

「なんだよ……なんだよッ、クソッ……!!」

だが、一人だけはどうしても、置いていかれてしまっていた。

「なんだよ……なんで……! どうしてあんなもんが、人間みたいに頭なんか下げてんだよ……!」

"敵"が"人"へ変わってしまう様子を、彼だけは素直に受け入れる事ができなかった。


ミノタウロスとのやり取りを経て、一度村長とミルティシアとミノタウロスだけを残して、解散となった。

離れていく村人たちの目には未だに疑念が拭い去れないが、同時にわずかながらも信頼の色は生じ始めていた。

「これは私からの提案なのですが」

ミルティシアが口を開いた。ここで一度、お互いに簡単な取り決めをしておいたほうが良いだろう、という内容のものだった。

「……つまり、我々と、魔物……ミノタウロスさんとの、境界線を作るという事ですな」

「キョウ、カイ、セン……?」

村長はすぐに理解したが、ミノタウロスにはまだこういった概念に疎い。ミルティシアが、丁寧に説明していく。

「簡単に言えば、村の方たちが用意した印。それよりも、村に近づいてはいけないというものです」

「ナワバリ、ダナ。ソレナラ、ワカル」

彼女の説明もあって、すんなりと理解できた様子だった。

「ですが、もしもお互いの"ナワバリ"に踏み入った場合についても、決めておくべきです」

村人たちはそう簡単に境界線を超えることはないだろうが、それでもお互いがその取り決めを破った際の事は決めておくべきだった。

「まず、こちらの村の方々が境界線を超えた場合。ミノタウロス様が、境界線を超えた人たちに対して何か危害を加えても、一切の異議を認めないものとしてください」

村町に向けて言葉を発し、続けてミノタウロスに顔を向けた。

「次に、ミノタウロス様が"ナワバリ"に入った場合。村の方たちに、然るべき場所へ依頼を出してもらうことにします。貴方様の命を狙う方を、呼んでいただきます」

つまり、お互いの命の保証をなくす。これが、ミルティシアの提案する取り決めだった。

「これは、お互いが何事もなく過ごすために必要なものです。共に生きるというのは、必ずしも顔を合わせなければならない、というわけではないと思うのです」

彼女の言葉を理解した二人は、その言葉に静かに頷いた。

お読みいただきありがとうございます。


人に寄り添い、尽くす彼女だからこそ、取れた選択肢。


次回も1日おいての更新になると思います。

どうかゆっくりと、お待ちいただけると幸いです。

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