刃を向ける理由
はじめまして。この作品に目を留めてくださり、ありがとうございます。
これは、誰かが生きたということ――
ただそれだけを描こうとした、静かな物語です。
もしよければ、彼女の歩みを見守っていただければ幸いです。
「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」
豪奢な椅子にもたれかかる小太りの男は、その言葉に眉をひそめた。彼に対峙するは、鉄の色を纏った侍女。前腕の鎧と袖のあいだから、白と黒の縫い目が、わずかに覗いていた。
彼女の姿には、確かな礼儀と静かな威圧が同居していた。
「どうか、刃の意味を見誤らぬように。私は自身の刃が向くべき先を、誤らぬよう努めているのです」
「おい……お前、自分が何を言ったか、わかっているのか?」
小太りな男の声は、すでに怒気を帯びていた。鉄の侍女は、ただ目を伏せる。
「ええ。十分理解しております」
指先一つ動かさずに彼女は答えた。
頭には、前へ傾くように生えた二本の角。腰のあたりからは、太く重たげな尾が伸びている。その尾のすぐ真下で、一対の曲剣が交差していた。
「むしろ貴方様こそ、その願いにどれほどの"誠意"をもっておられているのでしょうか」
部屋の壁際をなぞるように、武装した男たちが無言のまま立ち続けている。
彼らの視線は、苛立ちを募らせる男の方へと集まっていた。
「お前は腕が立つと聞いている。その格好だ、今はいなくても誰かに仕えていたんだろう」
苛立ちを隠せないままだが、男は目の前の女の佇まいに僅かな期待を見せていた。
「ならば、俺に仕えろ――とまではいかなくても、少しは忠義を見せようとするのが当然だろう」
「"忠義とは、人の形をしていれば誰にでも捧げていいものではない。"と。私の主がそう仰られていました」
その言葉を聞いた男が、背後に立っていた秘書らしき人物に合図を出す。ひとつの目録を広げ、見せつける。
「これは俺に対して忠義を見せなかった連中だ。……わかるな?」
少し間を置いて、侍女が「ふう」と、深く息をつく。
「強きに従うのは、獣の習い。私は、"敬いたい"と思える方にだけ、膝を折る者です」
「竜人のくせに人の真似事をして。あまつさえ自分は獣ではない、だと?」
男の顔が赤く染まっていく。手先から腕へと震えが伝わり、やがて全身が、ひときわ大きく跳ね上がった。
「おい! この女を絶対に帰すな!」
周囲に経っていた人物たちが得物を構えた。侍女がまた「ふう」と、今度は少し長く、喉奥から息を吐いた。
「誠意なき力に、膝は折れません」
静寂の中、金属の軋みが走る。
飛び込んでくる影――気配が走る。その瞬間、足元だけが風に揺れた。
鉄の侍女は屈み込んでいた。
恐怖に身を縮めたのではない。左右からの突きを、肩越しにいなすためだ。
彼女の両手には半身ほどの長さの曲剣が握られていた。
「刃とは、命を断つためのものではありません」
一対の曲剣の交点で、刃を支え、わずかに押し返す。
そのまま、支点をずらし――刃を跳ね上げた。
片方は天井へ突き刺さり、もう片方は踏み込めなかった男たちの足元へ転がる。
侍女などという肩書きに、到底似つかわしくない速さだった。
「女一人になに力負けしている! さっさと縛り上げろ!」
刃を弾かれた男が、片手を空にしたまま、彼女の背後へ回ろうとする。
もう一人は、既に壁際へ逃げてしまっていた。
男の動きを察知した彼女は、振り返りながら高く足を上げる。その踵が顎を捉え、男の体は流れるままに回転し、突っ伏した。
「こうして刃を交えるのは、私としても本意でありません。それでもなお、まだ続けようというのであれば」
柄を前に向けたまま右の剣を肩に担ぎ、その脇の下に左の剣を通す。
ぱしん、ぱしん、と。彼女の尾が絨毯を叩く。本人は気づいていなかった。
「それ相応の覚悟を見させていただきます」
「うあああっっ!!!」
彼女の背後から剣を担ぐようにして飛び込んでくる。右袈裟の動きなのは明確だった。
ならばと瞬時に向き直し、正面に据え、両手の剣を重ねる。双方の刃が交わり、しかし彼女は左方向へするりと抜けた。
その刹那、男の腹を彼女の尾が捉えていた。既に肺の空気は搾り取られており、そのまま絨毯へと全身を預けた。
「……これ以上ご自身の誇りに、泥を塗る真似はおやめくださいませ」
男が息を吸う前に、その場には沈黙だけが残されていた。
すでに投稿している第二話では、少々ゆっくりと、静かな展開が続きますが――
どうか、彼女の呼吸を感じ取っていただければ幸いです。
もしもここで読み進める手を止めることになったとしても――
「鉄の侍女とは、何者なのか」
ほんの少しでも、そんな問いが胸に残ってくれたなら。
作者として、それ以上の喜びはありません。