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雷がもたらした特別

 少女は何をしていても端麗に人の目に映る。

 生きることに柔軟で知ることに従順な駿河するが天音(あまね)という少女は、その内側に、目に見える全てのことに興味を持つ性質を持っていた。

 世界は鮮やかだと言わんばかりに生きる彼女の姿は、人の目に華麗な印象を与える。     

 彼女は知らない物事に触れるたびに心をときめかせるものの、時々よくわからない感覚に苛まれることがあった。その知らない感覚はいつまでも正体がわからないままで、彼女を無性に不安にさせた。

 勝気な彼女は、そんな自分を他人に晒すことを恐れる。

 天音は、他人がどんな世界を見つめて生きているのか、興味に惹かれて止まない。

 彼女に出会う者はそんな彼女に惹かれ、彼女への興味が尽きない。そんな魅力を持っている。

 単純だったり複雑だったりする彼女の言動には爛漫さが満ちている。

 自分と他人はどんなに似ていても違う。だから人は興味深い。

 どうしてそんな風に自分が感じるのかを彼女は知らなければ、考えたこともない。

 それは考えたところで、知ることは出来ないだろう。


 しかし、思い出してほしいと願って彼女を待っている者は何処かにいた。


 天音は高校一年の春から一人暮らしを始めるまで、母と二人きりで暮らしてきた。

 母と二人きりであること、家のどこにもそれ以外の家族の痕跡がないことを疑問に思ったことがないくらい、母の花純かすみはとにかく良く出来た親だ。

 天音は父親の顔も名前も知らなければ、生きているのか死んでいるのかさえ知らない。

小学生の頃に一応聞いてみたことがあるが、花純は高笑いで「小さいことを気にしていたら大成出来ないわ!」と「そんなことは些細なことで気にする必要のないこと」だと言った。

 存外にあたしのお腹から生まれてこれたという事実だけじゃ満足できないのかと言われているようで、それ以降、自分の父親というのがどうでもよくなった。


「お父さんが欲しいの? 考えておいてあげる」


 いつだかそう言った花純は、天音が高校生になる年に彼女の全く知らない男性と結婚し、海外へと行ってしまった。

 花純らしいとしか思わなかった天音は、まだ会うことが叶わない家族との出会いに心を躍らせつづけている。



「天音ってさ、教師とか向いてるんじゃない?」

 ファーストフードでテスト勉強をしている時、ふと親友の栗山くりやま小夜(さよ)が言った。

 「いいかもね」と満更でも無さそうに天音が言うと、「向いてるんじゃない?」と言った本人、小夜がくすくす笑い出した。

「でもー、星は浪漫、空も浪漫な天音ちゃんだからなあ」

 教師も向いてそうだけれど、研究者という道も天音には向いてそうだと小夜は思う。向かいに座る小林こばやし柚葉(ゆずは)も同じことを思っている。

 地学がしっかりと授業に組まれている学校は少ない。教師となったら理科全般を教える必要がある。

 この話になると、ふたりはいつも、目をきらきらさせながら物理の授業をする天音を想像してしまう。

「うちに入ってよかった。地学の授業って、ちゃんとしてるところは珍しいんでしょ?」

 天音はとなりに座っていた篠崎しのさき(こう)に尋ねた。天音たち三人と洸は学校が違う。

「そうだね、うちは一応やるらしいよって程度」

「天音! ここ教えて!」

 突然、黙々と問題を解いていた北野きたの(しゅん)が顔を上げて天音にねだった。

「じゃあ、舜、あたしはここ」

 数学を教えてほしいと頼んだ舜に、天音は引っ掛け問題のような歴史の問題を教えてもらうことにした。

 天音は理数系が得意だ。文系の科目の中で、彼女は社会科のうち歴史があまり得意ではなかった。どんなに努力をしても、テストで一番点数が稼げないのが歴史だった。

「ふたりって、苦手なものが真逆だよな」

 可笑しそうに呟いた朝河あさかわ真沙美(まさみ)は女の子ぽい名前だがれっきとした男子だ。

 女子三人は共学の学校で、男子三人は男子校に通っている。どちらも県内屈指の進学校であり、全員ともに成績はそれなりに上位を占めている。

 同じ教科書も多いが、中には出版元が違う。同じ内容でも言葉使いが異なることがある。舜と天音がわからないと言っ箇所は結局、教科書の交換で済んでしまった。

「天音ー、ここの文法、間違ってる」

 天音と舜が教科書と睨めっこしている間に、広げっぱなしだった天音のノートを真沙美が覗き込んでいた。

「え? ほんとだ! 絶対にここ出る。ありがとう、真沙美」

 このメンバーで勉強会をすると、何故かいつも天音は忙しい。

 六人の出会いは合コン。あと数人の面子がいたが、恋愛抜きにこのメンバーで仲良くなった不思議な縁だ。

 全員が借り出された口であり、それなりに容姿が整っている彼女らは普段から人の目を惹く。

 集まっていれば尚更である。

 どちらの学校も有名だから、制服が目立つ。その上、賑やかに勉強道具を広げていれば、目に留めて行く人も多い。

 そろそろ疲れたとまちまちに言いはじめた。

「さてお前ら、この中間の後、何が待っているか覚えてるか?」

 楽しそうな笑みを浮かべた真沙美が言った。

「ぎゃー、模試だわー!」

 小夜は心底嫌だ。

 学校がちがうから、学内のテストでは競争が出来ない。代わりに、模試の際に勝負をする。最下位者には面白い罰ゲームが待っていたり、一番になった者が遊びの行き先を選ぶ決定権を得るなど、様々な方法で競い合いを楽しんでいる。

 実際はどんぐりの背比べで、誰が最下位になるか毎回わからない。

 トータルした結果、全員が同じ順位だったこともある。その時は罰ゲームは流された。

 小夜がこれだけ嫌がるのは誰よりも多く罰ゲームをくらっているからだ。

「やる気が湧くわー。中間テストなんかよりも」

 負けず嫌いな天音も、真沙美と同様に楽しそうだ。彼女は今のところ罰ゲームをしたことがない。

 じとりとみんなの視線が天音に集まる。

「天音ちゃんはね、時々計算してるのかと思うよ」

 洸がそんな冗談を言った。

 その後、学校の男子が子供じみた馬鹿なことを言っていたとか、男子勢が合コンに行ったらめちゃくちゃ可愛い女子が居たとか、取り留めもない話をして、帰路に着いた。



 天音と洸は家が同じ方向のため、洸が天音を送っていくのが常だ。

 歩きながら、ふたりはあまりみんなではしない話もする。

 みんなでいるのはもちろん楽しいけれども、穏やかな洸と歩くゆったりとした時間も天音は好きだ。

 洸の普段見えない一面を垣間見ることが楽しい。

 出会った時から、天音は洸のことだけは呼び捨てではなく「洸くん」と呼び、洸も天音のことを「天音ちゃん」と呼ぶ。

 互いにそれが心地よい。そこには特別な好きは存在していないけれど、お互いに特別ではあった。

 その感覚を現す言葉は何かと問われると、きっと互いに首を傾げるだろう。友情、よりは愛情に近い気もするけれども、愛情にも種類がある。恋愛の情でないことは確かだった。

「天音ちゃんてさ、誰にも甘えないよね」

 天音は少し考えてから言った。

「言われてみれば、そうかも?」

「女の子なんだから、そういうことしたっていいんじゃない?」

「……どうやってすればいいのかわからない」

 天音がそう言うと、洸は「天音ちゃんらしいね」と笑ったけれど、彼女は本当にわからなかった。しっかりし過ぎている天音は甘えるということがどういうことなのか、よくわからない。

「じゃあ、俺が天音ちゃんの練習台になってあげるよ」

 洸がそう言うと、天音がからからと笑う。

 笑ってみたものの、天音の心に不安が過った。

 雲行きが怪しい。少し早いが、今年の気候は変だから夕立が来てもおかしくなかった。

「……洸くんだから言うわ」

「うん、なに?」

「あたし、雷がとても苦手なの」

 見方によっては完璧にも見えてしまう天音に苦手なものがあることを知った洸は、無性にほっとした。


 揃って見上げた空に小さな稲妻が走った。


「あ、あたし……本当に雷が怖いの」

 天音の声は少し震えていて、洸は驚いた。

 途端に、まだ遠いと思っていた雷が鳴った。

 ひどく怯えた天音が、泣き叫びそうな顔を必死に堪えて肩を震わせている。


 洸が天音の手を握りしめるとやたらと冷たかった。


 落ち着けるわけがないから、大丈夫だよ、落ち着いてなどと言えない。

 洸が言葉を探しているうちに、ざあと大雨が降り出し、あっという間にふたりはびしょ濡れだ。

「こ、洸くん。うち、行こう……」

 青ざめた顔で天音が言ったから、洸はもう近くまで来ている彼女が暮らすマンションまで手を引いて送っていくことにした。



 雷は少し治ったけれど、天音の様子はやはりおかしいままだ。このまま、ひとりで居させられないと洸は思った。

「びしょ濡れ……気持ち悪い」

 そう言いながら天音は部屋に上がり、洸も促した。

「洸くんに貸せる服がないわ」

 怖そうにしているのに、そんな風に気遣った天音に、洸は彼女らしいなと思った。そして先ほどの甘え方がわからないという彼女の言葉が脳裏に思い出された。

「天音ちゃん、シャワー入った方がいいよ。俺は平気」

「だめ、洸くんが風邪引いちゃう」


 その瞬間、治まりかけていた雷が、特大の音を立ててどこかに落ちた。


 天音は堪らず、耳を抑えて蹲るしか出来なかった。震えが止まらなくて、息が出来なくなりそうだった。

 洸は他に術が思いつかなく、床に膝をつき、天音を抱きしめた。

 雨に濡れたブラウスのせいで、冷たくなっていた天音の身体が更に冷えている。

 洸の体温など感じられない動揺の最中、無意識に天音は呟いていた。

「洸くん、怖い……助けて」

言葉は無駄だと思った洸が強く天音を抱きしめると、伝わった彼の体温に安堵した彼女の身体に血が通いはじめたようだった。


 治りかけていた雷は、酷くなる一方だ。


 天音の恐怖が治るくらいのぬくもりを洸は与えてあげたかった。

 どうすればいいだろうかと考えた挙句、洸は胸の内に包んでいた天音を少し離して、彼女の唇に自分の唇を重ねた。 

 冷たかった天音の唇が少しずつ熱をとり戻していく。

 安心した洸は重ねていた唇を離し、天音の瞳を覗き混んだ。

 天音の身体はまだ震えている。

「洸くん……」

 天音が洸の背中へ腕を回し、彼の肩へ顔を埋めた。助けてほしいと懇願するように。

 どんな風に助けてほしいのか、そんなことはわからなくて、天音はどうしようもない恐怖と震えを今目の前にいる洸にどうにかしてほしかった。

 洸は「こっち向いて」と天音に優しく囁くと、再び唇を重ねた。何度も何度も向きを変えて重ね合わせ、いつしか夢中になるまで続けた。

 絡めた天音の手が少しだけ温かくなった。

 この夕立の中で一際大きな雷が落ちた。口付けを交わしたまま、びくりと天音の身体が震える。 

 この雷の恐怖をもっと忘れさせてあげたい。塞ぐべきは唇ではないと洸は気付いた。

 洸はそっと天音を押し倒した。

 雷の音が天音に届かなくなればいいと願いながら。

「天音ちゃん」

 洸は天音の耳元で囁いた。

「俺が聞こえなくする……目、瞑っていて」

 言われた通り目を瞑ると温かな感触が天音を包んだ。徐々に雷が去っていくようではあった。

 洸は天音の耳を塞いで口付けを落としつづけた。洸の柔らかな唇や熱い舌の心地、微かな吐息に、いつしか天音の耳元から雷の音は消えていて、甘美な感覚が脳を支配しはじめた。



 雷は治ったが、雨はまだ降りしきっていた。

 天音が落ち着いたことを確認したくて、洸は彼女の顎に添えた手の指で彼女の唇をなぞった。

 形の良くて柔らかい唇が発していた少し艶やかな吐息が脳裏で残響を放つ。

 綺麗だ、そんなことを思いながら天音の唇をなぞったら、うっとりと瞳を開いた彼女の腕が洸へ伸びた。彼女は彼の手を取ると、彼の手の甲へ口付けを与えだした。艶かしくとろりと潤んだ上辺遣いの瞳で見つめながら、彼の手を舐めるように口付けていく。

 初めての底知れぬ感覚が洸を襲った。

「天音、ちゃん……?」 

 洸が呟くと、余韻を残すように洸の手から天音が離れた。

「雷、聞こえなくなったから」

「うん」

「洸くんの番……」

 洸は片手で天音の身体を抱き締め、再び唇を奪い、濃密な口付けを落としはじめた。

 雨に濡れて冷たくなっていた互いの制服は、身体が発する熱で生温くなっている。床の上で生温い布を通して身体が擦れ合う。

 手と手を絡ませたり、抱きしめ合ったりしながら、ひたすら口付けを交わす。 

 静かな部屋に、雨の音、擦れ合う布の音、互いに漏れる吐息だけが響く。

 ふたりは身体を起こし、向かい合い、生温くなった互いの制服を剥ぎ取った。ただ、触れてみたくなった。

 向かいに見た天音の身体は、透き通るような白さと細身なのに女性らしい凹凸を兼ね揃えており、その曲線美に洸は思わず息を飲む。

 なにもかも喰らいそうな黒い艶のある髪が、真っ白な綺麗な肌を際立たせる。

 天音は目鼻立ちの整った美しい顔つきをしている。美しいという形容が余りにもしっくりくる印象を常に周囲に与えていた。

 最近の高校生はおしゃれが好きなら化粧を施す者も多く、小夜や柚葉もお化粧を普段からしているが、天音は一切しない。

 整い過ぎた自身の顔を気に入ってはいるが、人目を惹き過ぎることは快くよく思っていない。化粧など以ての外だ。

 興味を持てない相手をばっさりと切り捨てつづけていた結果、高嶺の花と化している。

 これまで彼女のお眼鏡に叶った者はあまりいない。こんなにも他人へ興味を持っている天音なのに、恋愛という意味で興味を持てる相手は限りなく少なかった。

 いつも洸が見ている天音の白いきめ細やかな顔の印象は、彼女の勝気な性格から凛々しさを覚える。

 綺麗にも種類がある。天音のくっきりとした大きな瞳には、好奇のままに物事を捉えていくさまによって、凛とした美しさが滲む。

 その美しい瞳と肢体に洸の胸が高鳴った。

天音が言った上手く出来ない甘え方、こういう時、彼女はこんな風に甘えるのか。洸はいつもと違う顔の彼女をもう少しだけ知りたくなった。


 美しいものを壊すには、盛大な勇気と恐怖が伴う。


「天音ちゃん、どうしたい?」

 すると、天音が甘い声で答えた。

「洸くんが知りたい」

 そして「洸くんも知りたいでしょ?」と言った。

 知らない洸の姿に興味があった。好き、とはやりは違う。ただ、洸の本質に触れたから、もっと知りたくて仕方がなかった。



 互いの肌の体温だけを感じ合いながら長いこと口付けを交わしただけだったが余韻に浸るには充分だった。

 身体を起こした洸の眼下に見える天音の身体は、いっそう艶めかしく美しく瞳に焼き付いた。

 結局、勇気も恐怖も必要としなかった。壊す必要などないほどに彼女は美しい。

 起き上がった天音の綺麗な肢体の曲線に洸が見惚れていると、彼女の手が胸に触れた。そして前屈みに至近距離へ顔を近づけるかと思えば、再び口付けが始まる。


 それからというもの、幾度となく天音の部屋でふたりは口付けだけを交わすようになった。


 恋人でもない、恋愛でもない、遊びでもない。それはふたりの特別な時間。

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