プロローグ
わたしの世界に、綺麗じゃないものなどひとつもない。
その中で特に綺麗だと思った者たちへ、わたしは名前をあげた。
わたしの大切な綺麗は六つある。
一番綺麗なのは一つ目。
彼が居なければ、わたしはここに居ないし、居続けることも出来なかった。
わたしの一番大切な綺麗。
わたしの、一番特別な綺麗。
愛して止まない永劫に特別であり続ける人。
流れる時の中で、彼だけは常にとなりに居続けることが許される。
彼をそうしたのは、わたしだ。
許したのはわたしだ。
その証を与えたのもわたしだ。
そしてわたしをここに留まり続けさせてくれるのは、彼だ。
彼はただの人だった。わたしはただの人ではなかった。人であって人でないわたしを選んでくれたから、わたしは彼に名前をあげた。
あの人は「変化」があまり好きじゃない。いつだって、至極淡々とした営みを好み、自分に正直に時代を流離う。
「変化」していく時代に順応しながら、「変化」しない自分で在り続ける彼は、時としてわたしの救いとなる。
その微笑みは、わたしの一番好きな綺麗で、この世界に留まり続けることしかできないわたしを遍く愛してくれる。
何処にいても、わたしはわたし。彼が居てくれるから、わたしはわたしで在り続けられる。
けれども彼と寄り添いつづけることで、わたしの中にある種の願いが生まれてしまった。
わたしには「変化」が訪れない。
彼のせいでも、誰のせいでもない。彼の為だけでもなければ、わたしの為だけでもない。
互いに求め合った結果だ。
わたしは、ただの人間と在り続ける彼と同じように生きてみたいと、いつか思いはじめた。
その方法を模索しなくてはならなくなった。
恋しさと淋しさを覚えつつも、わたしはわたしというただの人の道を歩きだす道を見つけ、それを選ぶ決心をした。
新しいことに出会う瞬間は胸がときめく。世界がきらめく。
だからわたしは、この世界が遍く好きだ。
遠い遠い昔の彼との出会い、彼と過ごした長い時を、今のわたしは知らない。
彼が今、どこに居て、何を思って、何をしているのかも知らない。
今のわたしはわたしを覚えていない。
わたしはただの人になりたいたくて、記憶という大きな対価を差し出した。
忘れてしまっても、彼が覚えている。その事実さえあれば充分だった。
わたしたちは常に出会う宿運。
その定めを彼に与えたのはわたしである。
彼と心からそばに居たいと願ったから、わたしはこの選択を選んだ。
何よりも大切だから、その選択は間違いなどではないはず。
ずっと思っていた。
彼と同じように、彼と共に歩んでみたい。
見つけたその一度きりの希望に縋り、わたしは記憶を手放した。
長い未来が永遠のように待っていても、永遠のように彼のそばに居つづけることができると知っていても、わたしは知りたかった。
常にとなりに在る彼がどうやって生きてきたのか。
知りたい。
ただの人という生き物が、どんな風に世界を見つめて、どんな生を選ぶのか、その果てにどんな幸せが待っているのか。
儚いことはわかっている。誰よりも長く生きているからその儚さを恐ろしいほどに知っている。
そしてその儚さが過ぎても、わたしはわたしとして生き続ける。
だから選んだ。
終わりのないわたしは、終わりというものがどういうことか、知りたいのかもしれない。