第42話 吸血鬼の王の目的
オーギュストと名乗った吸血鬼はエリスの祖父にあたるらしい。エリスを迎えに来たのかと身構えたが、彼は庭の東屋を指してひとり歩いて行く。
吸血鬼が相手であれば問答無用で切り伏せる我々であっても、エリスの血縁と知っては動けない。だが何より、オーギュストが無警戒だからこそ手が出せずにいるとも言えるだろう。
彼は恐らく相当強い。新月でなくとも銀など効かないのではなかろうか。無策で手を出せば死ぬのは俺たちだ。
オーギュストは東屋に到着するなり椅子に掛け、俺とエリスにも座るよう言った。それは上に立つ者の所作そのものだった。
「今日はお主らと少々世間話でもしようかと思ってな……まずはセルシュティアンよ。ヴィクトーの件、あらためて礼を言う」
「な、んで俺の名を」
「年を取ると時を分かたず微睡みの中で過ごすようになる。しかしながら最低限の情報は耳に入れるようにしているのだ」
部下たちは剣を手にしたままオーギュストの背後を囲んでいるが、彼の表情はまるで動かない。むしろ楽し気でさえある。
「仲間を殺されたのに礼を言うのか?」
「セルシュティアンよ。敵対する者同士であっても礼儀は失するな。わたしは会話をしに来たと言ったはずだ」
「……失礼した」
剣を下ろすように言って部下を下がらせる。横にエリスが座り、背後にベランジェが立つのみとなってやっとオーギュストは笑みを浮かべた。
なんだこの試されているような感覚は?
「森の主だ最古の吸血鬼だと言っても、配下の者の統率さえうまくゆかぬものだ。普通どのような共同体であれルールがあり、それを犯せば罰をくだすのが常。そうだろう。だが我々には掟はあっても罰という罰がない」
「ない、と言うと」
「例えば寝床である棺を地中深くに埋め、定められた期間をそこで過ごすという罰がある。食事はもちろん与えられぬまま、十数年だ。が、若い吸血鬼であれば良いが老いた者にとってそれは少々の睡眠と変わらぬのだ。罰になり得ない」
オーギュストの言わんとすることは理解できた。永遠を生きる者にとっての十年は人間ならどれくらいに感じるのだろう。数日か、数時間か?
エリスも「なんかわかるー」と頷く。
「たとえば痛みを与えたとしても、すぐに治っちゃうから痛いのその瞬間だけなんですよねー。罰にはならないだろうなー」
「抑止力として機能しないのか……」
「左様。我が思想に賛同する者はいい。が、そうでない者は縛れぬ。極刑として死を……つまり日に焼くというものもあるが、多用すれば森が荒れるだろう」
「締め付けすぎれば人心が荒れるのは人間も吸血鬼も変わらないか」
「その通り。だから、お主らがいる」
エリスが首を傾げた。コイツはいつもあまり話を理解してない節があるが……まぁいいか。そう見えるだけで重要な部分は分かっているような気もするしな。
「俺たち?」
「うむ。お主の祖先と約したのだ。暴走する者あらば切って捨てよと。その代わり、わたしは森を出ぬと」
「いま出てるじゃん!」
「エリス、こういうのは行間を読むんだ」
「ぎょうかん」
オーギュストがちらっとエリスを見た。やめろ、そんな目で見るんじゃない。お前が思うほどバカじゃない……はずだ。
「言葉が足りなかったな。死ぬことが明らかな者に安息を与え、そうでない者には手を出さぬ。また、必要のないときには人前に出ぬ、というのが正しい約定だ。とはいえ好きなだけ食事をしたい者や自分と言う存在を主張したい者は後を絶たない」
「迷惑な話だ」
「持ちつ持たれつだよ。口減らしに森に捨てられた子を育てるのは我々だし、人狼を中心に増えすぎた森の魔物を間引いてもいる。暗い森の横に位置しながら、脅威がはみ出し者の吸血鬼だけだという事実から目を逸らさぬことだな」
返す言葉はない。確かに、暗い森に入ればあらゆる脅威を覚悟しろと言われるが、しかし領地に降りてくる魔物はほとんどが吸血鬼なのだ。それが彼ら吸血鬼によってもたらされた平穏とは考えもしなかったが。
腕を組んで考え込む素振りを見せていたエリスが口を開いた。
「ところで、おじいさまがここに来た真意はなんですか?」
「えっ」
いや待て落ち着け。行間についてずっと考えてるのかと思ったら、言うに事を欠いてそれか? オーギュストは孫に会いに来た、対話しに来たと言っていたのではなかったか?
エリスは何を気にする様子もなく続ける。
「おじいさまの気配はすごく強大だった。でもこんな近くに来るまで気づかせなかったってことは、気配を消せるんだと思う。んで、これはただの予想というか勘なんだけど、おじいさまってお城の中に入れますよね?」
「何を言って――」
そもそも敷地内に吸血鬼がいることさえ俺には信じられないというのに。ただエリスやブリテが城から姿を消した以上、侵入できる吸血鬼は存在するのだろうとそう考えていたが。よもや城内にまで入れるだと。
「私に会うだけなら直接私のとこに来ればよかったのに。本当はルーシュさまに会いたかったんでしょう?」
「アッハッハッハッハ! なかなかどうして鋭いな、エリスよ。そうだ、わたしはセルシュティアンと話がしたかった。お前の未来の夫であろう? この目で確かめておこうと思ってな」
この男は一体どこまで知ってるんだ?
どうやって情報を得ている? この婚約、結婚は期間の定めがあるということについては?
これもしかして、部下たちがたまにする「結婚の承諾を得ようと相手の父を訪ねる」話そのものじゃないのか……? この気まずさ、相手の目の鋭さ、絶対それだろ!
公爵家に生まれた俺には無関係の話だと思ってたのに!
オーギュストは居住まいを正してこちらに向き直った。
「やるんだろう、披露目を? わたしはそれに出席したいのだ。昼間に執り行われる結婚式では参列が難しいのだから、それくらいは融通してもらえるのだろう?」
吸血鬼狩りを生業にする騎士団長の婚約お披露目パーティーに、吸血鬼の王を招待しろと? 正気か?




