第34話 人間のような、人間じゃないような
少々残酷なシーンがあります
苦手な方は薄目でお読みください
私の腕を掴む吸血鬼はもう一方の手を喉元に差し入れ、私の胸元を力任せに引っ張りました。コートを留めるボタンが弾け、その下のドレスも裂けて首が露になります。
飢えてる。
カツーハに飢えた吸血鬼はいませんでした。だからこんな目を私は知らない。獰猛な獣のような目。
でもその目は一発の銃声で私から逸らされました。頬から血を流す彼は私の背後、少し下のほうを見てる。きっと騎士団が来たんだと思います。みんなバケモノの私ごと殺そうとしないといいんだけど!
とはいえ吸血鬼の意識が私に向いてない今がチャンス。ポッケから銃を取り出して彼の心臓を至近距離で狙います。撃鉄を起こすガチっという音に震えちゃうけど、落ち着いてやればきっと大丈夫。
……あとは引き金を引くだけ。それだけなんです。なのに、指が動かない。わかってる、さっきもわざと外したんだって。
これは吸血鬼で、人を殺そうとしてて、今なお私を殺そうとしてる悪い奴です。わかってます。だけど。
吸血鬼であることは死ぬ理由にならないじゃないですか!
それに彼はまだ誰も殺してないじゃないですか、少なくとも私は見てない。
撃たなくちゃって焦るばかりで、銃口が震え始めました。撃てない……どうしよう、撃てないよ!
「エリス」
優しい声でした。大好きな声でした。
どこからか突然現れた大きな影は、目の前で銀の刃を煌めかせて。
「それは俺の仕事だ。お前は大人しくしていろ」
彼の剣はバターをカットするみたいに吸血鬼の腕を切断したかと思うと、私を抱きかかえて建物の屋根に降りました。
「ルーシュさま」
「すぐ終わる、目をつぶってろ」
そう言って吸血鬼を振り返るなり一閃。さっきまで血を求めて人間を追いかけまわしていた吸血鬼は、自分の身に何が起きたかも理解できないまま首を転がされました。その首も身体も、溶けるように灰となって消えていきます。
再びこちらにやって来たルーシュさまの目はすごく悲しげで。
「ルーシュさま……」
「遅くなって悪かった。ちゃんと見つけてやれなかった」
言いながら私の首元でコートの襟をぎゅっと重ねて、私の手をとってそれを持たせました。なるほどボタンがないですからね、なるほど。
「私を捕まえるんですか」
「違う」
「ころす?」
「やめろ」
私の背に両腕をまわしてぎゅっと抱きしめて、「そんなこと言うな」と言いました。でもだって騎士団の人、殺そうとしたんじゃん。
ルーシュさまは反論しようとした私を抱き上げて軽やかに屋根を降りて行きます。
「本当に無事でよかった。もう誰もお前を傷つけない。傷つけさせない」
地上に降りるとひときわ強く抱きしめてくれました。よくわかんないし恥ずかしいんだけど、でもやっぱりホッとします。まだ私の居場所あるのかな。
騎士団の人たちも集まって来て私たちを囲みました。確かに彼らに敵意はないみたい。
そこに馬の足音がしてベルの姿が。
「ルーシュ――。あっ、エリス嬢だ。なんだか久しぶりだね!」
「まだ一日ですけど」
「すごく長く感じたよ。とにかく無事みたいでよかった」
ベルが私の肩をぽんと叩いて頷き、ルーシュさまに目配せをしました。ルーシュさまは私をそっと下へおろして、数歩離れたところでベルと何か難しそうな話をし始めます。
その間、騎士団の人たちは口々に私の無事を喜んでくれたり、騎士団で一体何があったのかを説明しようとしてくれました。みんな一斉に喋るものだから全然わかんなかったけど!
「エリスはここでこいつらと待機しておけ。ベランジェも置いて行く」
「ルーシュさまは?」
「少々、野暮用だ。すぐ戻る。吸血鬼が他にもまだ残っているかもしれない。こいつらから離れないように」
「ふぁい」
ルーシュさまは騎士団のひとりが連れて来たお馬にまたがって、こちらに背を向けたまま片手を振って走って行ってしまいました。
「ねぇベル――」
どこに行ったのって聞こうとしたら、ベルはベルで他の騎士団の人たちにいろいろ指示を出しています。忙しい人だ……。
騎士団の人たちはベルの指示を受けてそれぞれ警戒態勢に入りました。なんだか物々しい空気に感じられて不安な気持ちがむくむく湧いてきますね。
しばらくして指示を終えたベルがこっちへ戻って来ると苦笑を浮かべながら肩をすくめました。
「本当はすぐにも城に連れ戻りたいんだけどね、いま門前の橋を渡るのはちょっと危険じゃないかって」
確かに、ベッカ夫人の家にいたときは七体くらいの気配を感じましたからね。逃げ場もない橋の上で一斉に攻撃されたらちょっと厳しそう。
あ、でもさっきより吸血鬼の気配を感じないような? 騎士団のみんなが頑張って倒したのか、森に帰ったのかはわかんないけど……。
ベルは周囲の屋根の上を警戒してるようでした。まぁね、吸血鬼なぜか屋根に上りがちですもんね。って釣られるようにして私も天を仰ぎましたら。
目が合った。と思う。たぶん。
ここは高級住宅街で、教会や高い建物が並ぶ中心部はそう遠くありません。とはいえ教会の高い塔の上に人が立っていても、豆粒にしか見えないです。それくらいの距離はあります。
なのに、私は今、教会のあの塔の先端に立つ誰かと目が合ったのだと理解しました。刹那、相手は動き出したんです。飛び降りるがごとくに塔から身を投げて、近くの高い建物の屋上へ。
あれ、吸血鬼だ。
「やば!」
「え?」
「こっち来てる、吸血鬼!」
「えっ、どこだい」
ベルが腰から銃を抜きました。同様に私も銃を構えつつ再び上空を確認したのだけど、一瞬目を離した隙に姿を見失ってしまいました。
でも吸血鬼の気配はぐんぐん近づいて来てて……。あっ!
「ベル、上!」
って言った矢先に、私たちの足元に大きな物体が落ちて来ました。それはもう、どーんって。
人間くらいの大きさの物体です。人間にしては歪だけど。だって干からびてるみたいにかさかさの肌で、手足はへんな方向に折れ曲がってて。
「見るな!」
ベルが私の頭を胸に抱え、肩をぐっと押して後ろを向かせます。
「ベル、ねぇ、いまの」
「違うよ」
「え、だってブリテさんじゃなかった……?」
「……っ! 静かに」
私を壁のほうへと押しやって、ベルが慎重に一歩、私から離れました。




