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伯爵家の離れに追いやられていた黄昏の姫君は、公爵令息の期限つき婚約者になりました。  作者: 伊賀海栗


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閑話:名も知らぬ人


 わたくしはレベッカ・ド・フェデイン。フェデイン伯爵家の末女でございます。行儀見習いとしてダスティーユ公爵夫人に仕えるようになって半年が経ちました。

 父に従い、夫に従い、息子に従う。それが貴族の女の人生であると父に言われて育ったわたくしにとって、女性である公爵夫人に従う生活は少しだけ楽しい。


 けれど息苦しい面もありました。この地は絶えず吸血鬼と争っており、日が沈めば誰もが家に籠って外には出ません。わたくしもそれは同じで、一日の半分以上を城の中で過ごすのはどうにも性に合わないのです。


 そんな土地でも騎士団だけは自由に外出できるそうです。

 ダスティーユ公爵家は代々、吸血鬼から領地、ひいては国家を守るため戦っています。私兵の規模は膨れ、いまや王国騎士団に次ぐ大きさの騎士団が形成されているのです。

 彼らは夜な夜な領地の安全を守るため外へ出ます。また、公爵家のどなたがお出掛けなさる際にも必ずついていらっしゃいます。


 今日も奥様とともに救貧院を訪れるのに五人の騎士が同行してくれました。と言っても、騎士団というのは世の女性にとっては憧れの職業だそうで、道中は若い女性の声がひっきりなしに聞こえて来てうるさいったら!


「嵐が来そうっすねー」


 救貧院を慰問なさる奥様を離れたところから見つめていると、いつの間にか隣に騎士がひとり立っていました。

 彼はグレーの瞳を眇めて窓から外の様子を眺めています。癖のある茶色の髪は短めに切りそろえられているけれど、耳の上で小さく跳ねてるのが可愛らしい。


「嵐、でございますか。それなら早く帰らないと。奥様にご進言を――」


「や、もう遅いっすよ。立ち往生するよりは、部屋数があるここで世話になった方がいいんじゃないすかね」


「そんな!」


 公爵夫人にここで一晩を過ごせと?

 なんてことを言うのかしら、この騎士は。


 と思った瞬間、建物のどこかでバタンとすごい音がしました。何事かと思っていたら、強風で開け放していた扉が閉まったのだとの説明が院長のほうからありましたのですが、なるほど強風……。帰れませんね。

 ちょっとだけわくわくしてしまったのは内緒です。


 その後降り出した雨は夜になってもひどくなるばかり。風も当たり前のように勢いを増し、ベッドに横になったところでまるで寝付けませんでした。階下から何か唸るような声が聞こえた気がして、様子を見に行くことに。だって不審者でも入っていたら奥様の身に危険が。そうでしょう?


 手燭の小さな灯りを頼りに下へ向かい、唸り声のする部屋の扉を押し開けました。そこは病人が多く横になっている部屋で。

 彼らは一日のほとんどを苦しんでいて、眠りのみが彼らの唯一の安息でした。その安息を風が邪魔しているのです。


 どうせ眠れないのだからと、足をさすれと言われればさすってやり、苦しいと言われれば体の向きを横にしてやって、気を紛らわしたいという者と会話などしていましたら。

 誰かが部屋にいました。いつ入って来たのかわからないけれど、確かに誰かの気配がするのです。


 そっと振り返るとそこには、この世のものと思えない美しい女性がいました。彼女はこの室内で最も経過の悪い男性の半身を軽々と抱き上げ、囁くように話しかけています。


「ごめんなさい。でも大丈夫よ、痛くないからね。もう大丈夫」


 そう言ってゆっくりと首筋にキスをしました。いえ、キスじゃないことはわかっているのです。わかっているのですが、それは女神が与える慈悲のキスにしか見えませんでした。

 彼女の腕の中で次第に脱力していく男性の安堵に満ちた表情といったら!


 まるで宝物を置くように男性の身体をベッドに横たえ、彼女は扉の方へと音もなく移動しました。その途中、彼女はわたくしを振り返って笑みを浮かべたのです。


「その綺麗な心を大切に」


 嵐の中、わたくしは彼女の背を追って外へと飛び出しました。

 なぜ彼を選んだのか、なぜわたくしを襲わなかったのか、あなたは女神なのか悪魔なのか、聞きたいことはたくさんあったけれど、もしかしたら魅入られていただけかもしれません。または、踊るように外に出る彼女が羨ましかったのかもしれません。


 叩きつけるような雨で全身はすぐにびしょ濡れになって、煙る雨の中に彼女の姿は消えて。

 微かに聞こえるヒューという風の音が彼女の歌声のような気がして歩いていたら。


「どこ行くんすか、レベッカさん!」


 温かな腕がわたくしを抱き締めました。聞き覚えのある声に顔を上げたら、それは昼にお喋りをした騎士でした。


「夜の外に出てみたかったの」


 吸血鬼を狩ることを生業にする騎士に、女神の話はできません。

 わたくしがそう言うと、彼はお腹を抱えて笑い出しました。


「アハハハハ! どうせやるなら天気は選んだほうがいいッスよ!」


 ひとしきり笑ったあと、彼は剣を構えて周囲を警戒しながら私を連れて建物の中へと入りました。

 部屋まで送ると言ってゆっくり歩きながら、彼が囁きました。


「また夜に外に出たくなったら言ってください、レベッカさん。俺が連れてってやりますよ。でもできれば、嵐じゃない夜に」


「なんでわたくしの名前をご存じなの?」


 わたくしがダスティーユの城へ来てまだ半年です。奥様の侍女は他にも数人いるし、それにわたくしは騎士の人と接点がほとんどありませんから。


「そりゃ……気になる子のことは知りたくなるのが普通でしょ」


 拗ねたように口を尖らせた彼に名前を尋ねると、彼は野の花みたいに小さく笑いました。 





本編31話はのちほど更新します

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