第3話 なるほどこれが吸血鬼
カツーハを出発してから十日。もう日は沈みかけてるんだけど、日付が変わる前にお城には到着するからこのまま行っちゃうそうです。
まだ領都からは離れてるって聞いたけど、少ないながらも街灯があって驚きました。カツーハには領都にしかないもの。
「そんなに窓に張り付いても、暗くて見えやしないだろう」
「えっ? あ、はい。見えません!」
「は?」
私のお返事にルーシュさまは難しそうな書類から目だけこちらを向いて、眉をひそめました。その目が「こいつ大丈夫か」って感じの、なんて言うか、呆れてるみたいな。
さすがに十日も一緒に過ごすと少しは仲良くなってるはずなんですけど、あんまり笑ってくれません。嫌われてるっていうより面倒くさがられてる感じ。なんでかしら。
まぁそれはともかく、外はもう見えないくらい暗いらしいので窓から離れました。私、夜目が利くので普通の感覚がわからないんですよね。
なんでそんなに夜目が利くのかって言うと、ママンが吸血鬼で私が混血だからなんですけど――。
「あらっ?」
ぷるっと身体が震えるような感覚。それに微かに聞こえる鼓動の音。
すぐ近くに吸血鬼がいます。思わず声を出しちゃったけど、だってこの人たちは吸血鬼を狩る王の犬なのに、近づいて大丈夫なのかしらと思って。
この異常な共感覚は混血だけが持つ特殊能力で、吸血鬼の気配を察知したときに起こる現象です。この現象のおかげで、仮に相手が霧やコウモリなどに姿を変えていたとしても居場所がわかるんです。すごいでしょう。
ルーシュさまが顔を上げたんですけど、ほとんど同時に馬車の真上に何かが落ちて来たような衝撃。そして並走している騎士さまたちの叫ぶ声。
「伏せろ、エリス」
普通のお喋りするくらいの声量で、だけど有無を言わせない雰囲気で、ルーシュさまがそう言って私の腕を引っ張りながら座席に伏せさせました。
判断力も反射神経もすごくて、混血の私でさえ驚いちゃいます。普通の人間でもこんなに早く動けるんだ……って。
「このまま、俺がいいと言うまで丸くなっていろ」
私の耳元で囁いて、ルーシュさまは扉のほうを睨みながら腰からナイフを抜きました。真珠貝の柄に銀の刃のナイフ。間違いなく、対吸血鬼を想定した武器だわ。
大きく揺れながらも速やかに馬車が停車し、騎士さまたちが吸血鬼と争っているらしい声が聞こえて来ます。
どうしよう、どうしましょう。
彼らは吸血鬼を殺すのがお仕事だそうです。でも私、殺してほしくない!
カツーハには人間に紛れて多くの吸血鬼が生活してます。私を心配してくれたマダムもそのひとりだし、みんな優しくて、親切でした。人間に危害を加えるような吸血鬼は誰一人いなくて。ヒトはみんな吸血鬼を恐れるけど、吸血鬼が問題なく共存できるのを知らないだけなんです!
せめて対話することができれば分かり合えると思う。
「手こずってるな……」
外の様子にルーシュさまが舌打ちをしました。と、そのとき。馬車の扉が大きく開かれたのです。
そこに立っていたのは、真っ赤な瞳を爛々と輝かせた男の人。大きく笑う口の端から長い牙が覗いていました。お顔の真ん中、鼻梁を横切るように大きな傷痕があります。
「過ごしやすい夜ですね、ムシュー」
ルーシュさまがナイフを構えます。私は慌てて大きな声をあげました。
「入っちゃだめぇ!」
一瞬、ルーシュさまも吸血鬼も身体を強張らせます。その隙に私はナイフを握るルーシュさまの右腕を抱えて早口で「帰れ」と言いました。対話できるような雰囲気じゃないもの!
「こ、ここは私のだから、か、勝手に入んないで。もう帰って、早く、早く帰って!」
吸血鬼は他人の家屋に許可なく侵入できません。と言っても一般的に馬車がそれに該当するかというと否です。
でもね、誰かの管理下にあると宣言することで馬車にも同等の効果を得ることができるんです。マメ知識!
目の前の吸血鬼は私の顔を見るなり目を丸くしました。
「ミネット……様?」
ルーシュさまは吸血鬼のそんな油断を見逃しません。私の手を振り払って吸血鬼のほうへとナイフをきらめかせます。
「吸血鬼をみすみす帰すものか」
ナイフはすんでのところで避けた吸血鬼の胸元をかすめ、肉の焼ける匂いが漂いました。追い打ちをかけようとしたルーシュさまのジャケットの裾を慌てて掴んで引くと、吸血鬼はぱっと姿をコウモリに変えて距離を取ります。
「帰れと言われたので帰ります。またお会いしましょう、マドモアゼル!」
ルーシュさまが彼を追いかけて馬車を飛び出たものの、コウモリの姿はパタパタ揺れながら闇の中へと消えちゃいました。
ルーシュさまはゆっくりこちらを振り返ります。地獄の番人もかくやというくらい低いお声で。
「なんで逃がした」
ルーシュさまは握った拳を開いてとじて、深呼吸をひとつ。怒りのせいか声が震えています。
「ひ……ひとが死ぬところ見たくなくて?」
私が吸血鬼に詳しいってバレたらカツーハのみんなが疑われちゃうかしら。番犬であるルーシュさまはみんなのこと殺しちゃうかも。それだけは回避しなくちゃ!
「誰がどう見てもあれは吸血鬼だろうが」
「えっ! いまのひと、吸血鬼だったんですか? わぁ初めて会った!」
最終手段、知らんぷりです。
ルーシュさまはこめかみを揉みながら大きなため息をつきました。
「赤く光る目、鋭い牙、それにコウモリになったのも見ただろう」
「見てない!」
「ああクソッ……どうやらじっくり話をする必要があるらしい」
ルーシュさまが何か下等な生き物を見るみたいに目を眇めます。うう、男らしいイケメンさんに睨まれるのは悪くないけどちょっとだけ怖い。
馬車の扉を閉めちゃおうかしらって手を伸ばそうとしたら、美人の騎士さまがこっちに来てルーシュさまと内緒話をはじめました。
馬車から顔だけ出して外の様子を窺うと、馬車の前方で騎士さまがひとり腕を押さえて座り込んでいます。微かに血の香りが漂ったので、きっと怪我をしてるんだわ。
つまり、本当に吸血鬼が人間を襲ったってこと……?
美人の騎士さまはルーシュさまの元を離れるなり、他の騎士さまたちに指示を出しはじめました。ルーシュさまがこちらを振り返ります。
「顔色が悪いな。多少は反省したのか?」
ちょっと考えが追い付かなくて言葉が出ません。
ルーシュさまはゆっくりと馬車へと乗り込みました。
「たいした怪我は負ってないし、どこにも立ち寄らず真っ直ぐ城に戻ることになった。すぐ出発だ」
彼が扉を閉めるなり、馬車は動き始めたのでした。