第28話 居場所を失ってしまいました
首を傾げるヴィクトーが何を考えているのかはわかりません。読み合いという意味では、永きを生きる吸血鬼に勝てるはずもないし。
「なんとなく。吸血鬼たちがなんでそんなことをするのか知りたいし、やめさせたいの」
「つまり、人間の肩を持つと? 人間は我々の食糧です。あなた方が豚を食べるのと同じで」
「豚と人間、どっちの命が尊いとかそういう難しいことはわかんないよ。でも笑い合った人が死ぬのは嫌だ」
「ではレイデやアルードの民とお喋りに興じたことが?」
「ないけど。でもその人たちが死ぬと、私が大事に思う人たちが悲しむから嫌だ。てかなんでその地名を知ってるの、やっぱり最近の事件は――」
ヴィクトーが突然私の前に跪きました。満月の夜、私にプロポーズしたときみたいに。
「エリス様。わたしは貴女がほしい。ばらばらになった同胞たちをまとめたいのです」
「人を殺すなら、私はその手は取れない」
ヴィクトーが冷ややかな笑みを浮かべました。
「そう思うのは貴女が混血だからですよ」
「えっ――」
一瞬の出来事でした。
彼が私の手を強く掴んで。近くの赤茶の屋根の家からバラバラと人間が出て来て、振り返ったら背後にも人間たちがいて。そしてそれは全て、銀の暁光騎士団でした。
「ほらご覧になって! あのバケモノは吸血鬼と密会してるでしょう!」
赤茶の屋根の家の前にはブリテさんが。勝ち誇った顔で私を指さしています。
彼女が叫んだのが合図だったかのように、いくつもの松明に火が点されました。夜目が利く私にとって、いえヴィクトーもそうかもしれないけれど、闇の中に浮かぶ火は眩しくて好きじゃない。
それが私は人間じゃないと言われているみたいで。
ヴィクトーが立ち上がって私の背中に両腕を回します。
「ほら、これで帰る場所がなくなりました。人間がどうやったら吸血鬼になるかはご存知でしょうか。そしてそれが混血にも有効であることは?」
そう囁いて、まるでダンスをするみたいに私の身体ごとくるっとまわりました。その瞬間、肩と脇腹に鋭い痛みが。
「痛っ……!」
「おお、酷い人間だ。共に笑い合った貴女に矢を射かけるなんて!」
「やめて……」
ヴィクトーの言葉で、私の肩と脇腹に刺さっているのが矢であることを知りました。ベル、じゃないよね?
「ほら、まだ次の矢がきますよ。人間って、恐ろしいですね。貴女は吸血鬼じゃないのに!」
ヴィクトーから離れたくても、私の力ではびくともしません。そうこうしているうちに三本目の矢が背に刺さり、剣を握った人たちがにじり寄って来る気配がします。
「やめろっ! 一体何をしてる、俺はなんの指示も――」
馬の駆ける音と、ルーシュさまの声。
低くて偉そうで大好きな声。だけど、今は聞きたくなかった、見られたくなかった。
ヴィクトーの腕の中で頭だけで振り返ると、太陽のような瞳と目が合いました。そんな悲しそうな顔、絶対にしてほしくなかったのに。
泣きたくないのに涙があふれて、そのふたつの太陽はすぐにぼやけてしまったけれど。
「行きましょう。我々は貴女を歓迎しますよ。貴女もどうか我々の仲間に」
ヴィクトーが私を腕に抱えたまま地を蹴りました。騎士たちが追いかけようとしますが、吸血鬼にそう簡単に追いつくことはできません。しかも彼は数歩目には高く飛んで屋根の上を縦横無尽に走り始めてしまったし。
どこまでもついて来ようとする一頭の馬も、ついには諦めざるを得なかったみたいで。
「エリス!」
遠くでルーシュさまが私を呼びました。ごめんなさい、迷惑かけるつもりはなかったんです、ごめんなさい。
「ああ、やっと貴女が手に入る。王の血、王の血統」
口の端に牙を覗かせて笑ったヴィクトーの瞳が赤く光りました。
「いやっ!」
「ぎゃぁっ!」
ガウンのポケットに放り込んでいた聖水をぶち撒けたら、ヴィクトーの肌が火傷したみたいにぶくぶくっと爛れました。
その隙に身をよじればすぐに彼の腕から出られたけれど、タイミング悪く屋根から転げ落ちてしまいました。
いえ、ヴィクトーから逃げるなら好都合です。
「あーくそっ!」
上からはヴィクトーが悪態をつく声。細い道を選びながらヴィクトーから離れ、歯を食いしばって三本の矢を抜きました。
抜いては放り投げ、抜いては放り投げ。
「エリス? 逃げても無駄ですよ、エリス」
ヴィクトーの声は着実にこちらに近づいて来ます。吸血鬼は獲物の気配に敏感だから、怪我のせいで息が荒くなってる私を見つけるのは容易いと思う。
深呼吸。淑女は深呼吸が大事なの。
ダメ元ですぐ近くの家の扉を開けたら、鍵がかかっていませんでした。ああ神様、ありがとう。
そっと中に入って小さく丸まります。怪我はもうほぼ治ってるけど、すごく寒いから。住人は二階で眠ってるみたいです。夜明けとともに出て行くから、どうかそれまで起きて来ないで。
「エリス、私と一緒に森へ帰りましょう? おじいさまに会いたくはありませんか?」
扉の向こうから優しく囁く声。
それはしばらく続いてたけど、そのうち聞こえなくなりました。
ママンのお父さまにはいつか会ってみたいと思ってました。でも、人間の血を失ってまでではないです。
人間になりたいと思うことはあっても、吸血鬼になりたいと思ったことはないの。ママンもそう言ってた。お父さまと一緒に年を取りたかったって。
両親が描かれた肖像画を見て、私もその意味がわかりました。自分だけ時間が止まったままなんて悲しすぎる。結婚できなくたってルーシュさまと同じペースで年を取りたいもの!
ヴィクトーの気配がなくなってからも、壁に寄りかかって両膝を抱きながらずっと泣いてました。泣いたってどうにもならないけど、泣くほかにできることがないから。




