第22話 笑っていてほしいんだもん
目が覚めると朝でした。
ううん、本当は夜に一度起きたんです。カーテンは閉じられてて暖炉の火がちろちろと燃えて、ランプの灯りが揺れていて。
さっきまで森にいたのにって思って、それで慌てて飛び起きようとしたんですけど、私の手を強く握る人がいたから上手に起きられなくて。
よく見たらそれはルーシュさまでした。どこから持って来たのかわかんない固そうな椅子に座って、ベッドに上体を乗せて寝てた。彼が無事だったことが嬉しくて、空いたほうの手で藍色の髪を撫でたら「すまない」って寝言を言うから可笑しくなっちゃって。一体なにに謝ってるんだか。
彼を眺めてるうちにまた眠ってしまって、そして今に至るというわけ。
いつの間にか閉じられてた天蓋の隙間から外を覗くと、窓から外を眺めていたルーシュさまが振り返りました。
「おはよう、よく寝たな」
「ルーシュさま、おはよう!」
「は、ずいぶん元気なことだ」
「いつ起きてもルーシュさまがいるから」
そう言うと、ルーシュさまは一瞬だけ目を丸くしてからふわっと笑いました。それがちょっとだけ泣いてるようにも見えたんだけど、そんなことより差し出された水のほうが大事。のど渇いたー!
飲み終わって口を袖で拭こうとしたら、タオルで拭われました。子どもみたい。はい、すみません。
「昨日はどうやって帰って――」
「昨日じゃない、一昨日だ」
「え、そんなに寝てた? えー、全然気づかなかったなー。みんな無事でしたか? 怪我してた人は……」
「エリスのおかげで全員無事だった」
「よかったぁー!」
いやー、これで今日もご飯が美味しく食べれますね!
ずっと寝てたせいかお腹すいちゃったなーってベッドから出ようとしたら、ぜんぜん足が身体を支えられなくて。
「わっわっわっ」
「お前はいつになったら自分の足でちゃんと立てるようになるんだ」
力強い腕が支えてくれました。なんか、懐かしいな。
いったんベッドの端に座りなおしたところでノックの音。返事をすると、入って来たのはなんとペパンでした! わぁ! 本当に懐かしい人だ!
「ペパン! なんでいるの?」
「それよりほら、飲めよ」
彼が差し出したのは紫色の液体で満たされたグラス。ぶどうの甘い香りが漂ってますが、私にだけ感じ取れるくらい微かに鉄っぽい匂いも。
そっと見上げると、ルーシュさまは暖炉の火を見つめてました。いえ、火はほとんど残ってなくて、赤い炭がちょっとずつ黒くなろうとしているところですけど。その横顔を見て察してしまいました。
ルーシュさまはこのグラスに何が混じってるのか、知ってるんだなって。
「ごめん、なさい。ルーシュさま……ちょっと外に出てもらえたら嬉しい、な」
「……ああ」
すごく静かな優しい音で扉が閉まって。部屋には私とペパンだけになりました。
「なんで正直に言わなかったんだよ、死ぬ気か?」
「だって。どれくらい飲まないでも平気なのか知らなかったし。ここの人たちは吸血鬼が大っ嫌いだから」
「まぁ、カツーハとは違うよな」
昨夜ルーシュさまが座っていたベッド脇の椅子にペパンが腰を下ろしました。
ペパンのお家はしょっちゅう私を食事に誘ってくれて、そしてたまにこうして血液の混じった何かを飲ませてくれるの。ペパンのお家には家畜が……。
「ね、その包帯なに? 切ったの? まさか、これ」
「しゃーねーだろ、お前死にかけてたんだぞ! 他にどっから血を持ってこれるっつーんだよ」
「もおおおおおおっ、私のために痛いことしないでって言ってるじゃん!」
ぶどうジュースを一口飲むと、確かに人間の血の味。悔しいけどまろやかで美味しい。
「それに、あのお貴族さまがムカつくから」
「は? まさかルーシュさま、他の動物の血でいいって知らないまま? え、嘘でしょ、信じらんない!」
「いいんだよ!」
珍しくペパンが大きな声を出しました。
いっつも優しいから驚いちゃった。
「ペパン?」
「ごめん。でも、いいんだよ。アイツお前の体調が悪いの気づかなかったじゃん。何が必要なのか聞いてくれなかったんだろ」
「違うよ。私が言わなかっただけ。顔色悪いって心配してくれたし」
沈黙。暖炉で炭が崩れる音がしました。
飲み干したら呼吸が楽になった気がする。もう万全の体調と言っていいと思います。吸血鬼と違って、たまにちょっと飲めれば十分だし。家畜の血はあんまり美味しくないんだけど、生きるための薬と思えば、まぁそれなりに。
ペパンは私の手からグラスをとってテーブルへ。
「ごめんね、私のためにやってくれたのに文句言っちゃって。ありがとうね」
「アイツのこと好きなの?」
「は? あ、いや、わかんない。ルーシュさまはね、すごく強くて、すごく優しくて。いつも怖い顔してるんだけど笑ったらちょっと若く見えてね、不器用で、真面目で。すごく大きなものをひとりで抱えてるから、それをちょっとだけでいいから私も持てたらいいのにって」
「好きじゃん、それ、もう」
「そうなの?」
好きの気持ちってどういうものかよくわかんないです。また笑ってくれたらって思うことが好きってこと?
ペパンはため息をついて立ち上がりました。
「ま、俺そろそろ帰るわ」
「え」
「ダスティーユに行くっつうからさ。ここ王の番犬の本拠地だろ、血が必要だって言い出せないかもと思って追いかけてさ……ほんとに死にかけててびっくりしたけど、間に合ってよかった。もう大丈夫だろ、だから帰る」
「お家の仕事、忙しい?」
「そういうわけじゃねぇけど」
ルーシュさまには笑っててほしいんです。まぁ、滅多に笑わないけど。
吸血鬼を憎んでるあの人に、血を飲んでる姿なんて見せたくない。家畜の血を調達するのだって誰かの協力が必要で。それってダスティーユの民にあらぬ誤解を与えるかもしれなくて。あ、いや誤解じゃないんだけど。つまりルーシュさまを困らせるってことで。
「もう少し、ここにいてくれないかな」
可能なら、私がこの城を出る日まで。




