第20話 どうか死なないで
暗い森へは小型の馬車でベルと一緒に向かいました。応援に向かう他の騎士の方は先に出発したそうです。馬車は二人乗りで、隣に座るベルが手綱を握っています。
「彼は……ルーシュはちょっと気の遣い方が独特なんだよね」
「独特」
「結婚するつもりはないってずっと言っていたんだけど、それは自分がいつ死ぬかわからないから、なんだ」
「なにそれ」
「遺された人の悲しみを知ってるから。公爵家は従弟かその子どもに譲るつもりでさ」
私は家族が欲しいけど、その気持ちもちょっとだけわかります。ママンが目の前でいなくなったとき、この世の終わりだと思ったもの。だけどさ……。
「遺されて悲しむのは家族だけじゃないじゃない」
「そう! さすがエリス嬢、よくわかってるね。だから僕らはなんとしても彼を救い出さないといけないってわけだ。 君の考えは間違ってるって伝えるためにね!」
ベルは努めて明るく振る舞ってるけど、鞭の入れ方に焦りが見えてる気がします。馬のことはよくわかんないけど。たぶん、きっと、そう。
私も手をぎゅっと握って前方を真っすぐ睨みつけました。まだ吸血鬼の気配はありません。
「ルーシュの考えを全部代弁することはできないけど、彼はなんていうか、気になる子の半分は憎むべき血でできてるって知ってどうすればいいかわからなくなってるんだよ」
「気になるとは」
聞いてもニッコリ笑われるだけで明確な回答はありませんでした。気になるとは?
前方に灯りが見えて、ベルが馬車のスピードを落としました。
先に到着していた騎士の人たちは私の顔を見るなりざわざわしてたけど、ベルはそれには触れないままみんなに指示を出して。私のほかに二人引き連れて森の中に入って行きました。
夜の暗い森は、夜目が利く私でさえ暗かったです。騎士さまたちは腰にぶら下げた灯りを頼りに歩いてるので、視界は相当狭いだろうと思います。
「なんでご令嬢がいるんスか……」
「愛する夫のピンチだからね」
騎士さまの当然の疑問を、ベルは適当に流しています。私は唇に人差し指をあてて静かにするようお願いしました。吸血鬼の気配を絶対に聞き逃したくないから。
どれくらい歩いたでしょうか。星明かりさえ入らない森の闇の中では、どうにも時間の感覚がブレてしまいます。どこかで「ホーウ」とフクロウが鳴いたとき、私の肌が吸血鬼の気配を感じ取りました。
まだ少し遠い。だけどルーシュさまを見つけるための大事なヒントです。
「こっち」
元々、道らしき道のない森です。少し方向を変えて西のほうを目指しました。狼狽する騎士さまを尻目に、ベルが私の横につきました。
「僕が絶対守るから、敵の居場所は早めに教えてくれると助かるな」
「射程とかわかんないから、なんて言えばいいのか……とりあえずこのまま真っ直ぐの方向にいる。ふたり」
「吸血鬼がふたり?」
「ん」
そこにルーシュさまたちがいるのかまではわからないけど。
さらに歩いて行くと、微かに人の声やもみ合うような音が聞こえてきました。戦ってる! ルーシュさまです、ちゃんと生きてた!
ベルがクロスボウを手にとり、背後の騎士さまたちも剣を抜きました。
◇ ◇ ◇
囮になるにあたって腕の立つ奴を選んだつもりだが、さすがに二人とも限界と見える。敵の攻撃を受け流すことさえままならないようだ。
それは俺も同じで、ここから生き延びる未来などまるで見えない。大体、最初から何かおかしかった。まるで俺たちが今日ここへ来ることが事前にわかっていたかのように、奴らは一斉に仕掛けて来た。
二匹まで減らしたが、こいつらがしぶとい上に仲間を呼んだりするのが厄介だ。せめて一匹を殺せれば、もう一匹を足止めしながら部下を逃がせるんだが。くそ、エリスはちゃんと寝てるだろうか……。
「ルーシュさま八時!」
「えっ――」
空耳のようなエリスの声に驚きつつも、反射的に振り向いた先には確かに新手の吸血鬼がいた。紙一重で敵の攻撃を避け、剣を構え直す。
そこに薄い灰色のローブを羽織ったエリスが駆け込んで来た。寒そうな恰好だ。じゃないんだよ、なんだってこんな場所に!
「なんでここにいるんだ」
「助けに来た」
「は? あのな、お前は――」
「前見て!」
そう言いながらエリスは背後に石を投げた。その石はしっかりヒットしたらしく小さな悲鳴があがる。容赦ないな……。
少し離れたところで疲労困憊の仲間と対峙していた吸血鬼が、ヒュッという風切り音とともに倒れた。視界の中に白髪の男が飛び込んでくる。
「仲間を呼ばれる前にやっちゃおう!」
「ベランジェ、お前か!」
そこからは早かった。
各々が持つランタンの照らす範囲しか視認できない俺たちにとって、的確なエリスの指示は勝利に導く鬨の声だし、ベランジェの援護は相変わらず完璧だ。新たにやって来た部下もしっかり負傷者を庇いながら応戦してくれた。
そして最後の一匹が舌打ちをして姿を消した。逃げるつもりなのだろう。疲れたのかエリスは指をさすだけで居場所を示した。
ベランジェの放った矢は敵の肩を貫き、近くにいた部下が敵の脇腹を刺す。倒れた敵に駆け寄って足で踏みつけ、心臓を貫くべく剣を構えたそのときだ。
「人間、は、混血に飯、も与えないのか……? あの、ま……死ぬ、ぞ。俺た、ちの姫……をかえ」
「うるせええええええええ!」
「おい!」
息も絶え絶えの言葉は聞き取りづらく、どういう意味かと問う間もなく部下が首を落としてしまった。
ぐずぐずと姿を失くしていく吸血鬼を確認し、部下が安堵したようにへたり込む。俺もやっと肩の力が抜けるかと息を吐いて、……いやまだ終わってないだろ!
「エリス!」
振り返ると、エリスは地に伏していた。全身の血がひいていく。
なんでだ、怪我をしたのか? なんで倒れてる?
駆け寄って抱き上げると、辛うじて息をしているのは確認できた。真っ青な顔で冷や汗をかき、きつく瞼を閉じた姿は決して無事と言えないだろうが。
ざっと全身を確認したが外傷の類は見つからない。と言ってもこんな暗い中でわかるわけがないじゃないか!
「ベランジェ、あとは頼む!」
抱え上げたエリスは驚くほど軽かった。
森の出口を目指して走る。途中で捜索隊の他のチームにすれ違えば、ベランジェたちのフォローを命じてさらに走った。
死ぬな、エリス……!




