第2話 あれは幼馴染ですけども
日のあるうちに出発したいって言われたんですけど、たいした荷物もないのであっという間に準備が終わりました。
さっきは気付かなかったけど屋敷の前にはたくさんの騎士さまが待っていて、狼の紋章がついたぴかぴかの馬車が停まってます。これが公爵家の馬車……!
すごーいって馬車を見上げていたら、屋敷の中から癇癪を起こしたらしい妹の叫び声が聞こえて来ました。
「どうしてアタシじゃないのよ! アタシこそ正統な伯爵令嬢なのよっ?」
確かになんで……って思ったんですけど、美人の騎士さまが「詳しくは道中に彼から説明するねー」と言ったので、とりあえず馬車に乗ることにします。
藍色髪さんが手を差し出してくれて、ぴかぴかの馬車に乗るのを手伝ってくれました。わぁすごい! これ、すっごくお姫様っぽいですね!
美人の騎士さまが叔父さまと何やらお話をしている間に、藍色髪さんも馬車へ乗って私の前に座りました。相変わらず仏頂面なので怒ってるのかしらって思って、窓から外を眺めます。触らぬ神にうんぬんかんぬん。
門の開く音がして、ゆっくりと馬車が動き始めました。
ああ、私はこれからダスティーユ領へ行くんですね。一生このカツーハで生きて行くんだと思っていたのに、人生って何があるかわからないものだわ。
しばらく流れる景色を眺めていたのだけど、そういえば藍色髪さんが説明してくれるんだっけと思って正面を向いたんです。そしたら太陽みたいな瞳が訝しげに眇められて、「なんだ」とでも言いたげに首を傾げられました。その動きひとつさえ芸術品みたいに素敵! なんだけど……。
「えっと」
何を話せばいいのかわからなくて、会話の切り口を探しながら口を開いたときでした。
「エリスーっ!」
どこかで私を呼ぶ声がありました。
窓に額をぶつけるようにして外を見ると、なんとペパンが走って追いかけて来たのです。確かに馬車は人間が小走りするくらいの速度で動いてますけど、まさか追いかけて来るなんて。
馬に乗って馬車と並走する騎士さまがペパンを追い払おうとしています。
「エリス! どこ行くんだよ!」
ペパンの叫び声。どこって言われても……、この窓開けていいのかしら?
私が戸惑っていると、藍色髪さんが御者席に繋がる戸を叩いて何か言いました。そして馬車が停まり、彼が窓を開けます。
美人の騎士さまが馬から降りて、ペパンを馬車のそばへ連れて来てくれました。
鼻の上のそばかすを撫でるペパンの手は震え、茶色の瞳は不安そうに揺れています。
「どこ行くの……」
「ダスティーユ領だって」
「なんで」
なんでと言われても私自身ちょっとまだ理解できていません。説明もまだだし。口ごもっていると、藍色髪さんが口を開きました。
「結婚するからだ……俺と」
「えっ?」
「はっ?」
私とペパンが同時に声をあげました。えっ、公爵子息って聞いてましたけどこの仏頂面の藍色髪さんが公爵子息だったんですか、えっ?
「言ってなかったか? 俺がセルシュティアンだ」
「初耳!」
「結婚……オレ以外の奴と……。エリスはそれでいいのかよ」
「貴族とはそういうものだ」
ペパンが唇を噛むのと、セルシュティアンさまが窓を閉めるのとは同時でした。窓の向こうでペパンが騎士さまによって馬車から引き離されます。
カツーハ家で私の意思が尊重されたことなんてないから、いつものように言われたとおりにしていたけど……確かに、貴族ってそういうものなんですよね。このセルシュティアンさまだって別に私のことが好きなわけじゃない。
再びゆっくりと馬車が動き出して、セルシュティアンさまが小さく息をつきました。
「さて、どこから話したもんか……」
「せりゅ、せりゅしゅちあんさま」
大きな溜め息。
「ルーシュでいい。皆そう呼ぶ」
「ルーシュしゃ、さま。どうして妹じゃなくて私なんですか。私は養女だし貴族としてデビューもしてないし」
「君の親に頼まれたらしい。亡きカツーハ伯爵と俺の父は親友だったそうだ。友の願いを聞き入れるべく、嫁に迎えたいと。代理当主である伯爵の弟は、持参金の用意が不要であると伝えたら二つ返事で了承した。ただで公爵家と縁続きになれるんだから、願ってもないことだろうな」
「お父様がそんなことを。でもルーシュさまはそれでいいんですか」
だって私ほぼ平民だし。
そう続けると、彼の口からは大きな大きなため息が漏れました。
「貴族とはそういうものだと言ったはずだが。それに父は二年ほど前に大怪我を負い、もう長くない。今際の頼みくらいきいてやるべきだろう。父が亡くなれば、俺は君を自由にしてやるつもりだ」
「え?」
「離婚してやると言ってる。もちろん、身分や生活費などはこちらで用意するから安心していい」
「期間限定の結婚?」
「まぁそういうことになるな。だからさっきの男と一緒になりたければそうするがいい。ただ、父が存命のうちは大人しくしておいてくれ」
ペパンはただの幼馴染だし、そういう目で見たことはないです。でもそれを伝える意味もないかと思って、とりあえず頷いておきました。
公爵さまを安心させるための一時的な結婚がいいことなのか、私にはわかんないけど……それを知るためにもまずはダスティーユに行かないと。
その後、しばらく続いた沈黙を先に破ったのはルーシュさまです。
「ほかに聞きたいことは?」
「たくさんあるはずですけど、今はよくわかりません。……あ、王の犬さんは」
「犬さん」
「はい。騎士さまたちは王の犬さんだって聞きました。どうして犬なんですか?」
ルーシュさまは肩に触れるくらいの長さの髪をかき上げて、もう一度ため息。
「正しくは『王の番犬』だ。そもそも蔑称だから本人を前に言っていい言葉じゃない」
「あ、ごめんなさい」
「ダスティーユ領のさらに北に何があるかは?」
「えと、ずっと日の当たらない真っ暗な森が広がってるって聞いたことがあります。魔物がたくさんいるって」
「そうだ。どこの国にも属さないその森を俺たちは『暗い森』と呼んでいるが――そこには吸血鬼を中心に魔物がはびこっている。俺たち『銀の暁光騎士団』は王の命により、北方を中心に国内の吸血鬼を狩るハンターというわけだ」
ルーシュさまの瞳が鋭く煌めきました。