第15話 心配されるって嬉しいことなんだなって
ヴィクトーは返事を待たずに霧となって消えていきました。
フードを下ろして空を見上げると、まん丸の月が照らす中をパタパタと飛び去るコウモリの姿。
しばらくそれを見送ってからどうしたものかとため息をついたとき、パチっと小枝の折れる音がしました。
「エリス、どうしてこんなところに? 姿が見えないと騒ぎになり始めている」
振り返ると、ルーシュさまが。ついさっきもお喋りしていたのに、そのけだるげなお顔がひどく懐かしい気持ちです。
「あ……気分転換に」
「時間と場所をもっと考慮しろ」
「でも」
「いいか、昨日の騒ぎが一人歩きしてる。バカなことを言う者は見つけ次第対応しているが、この城の規模では全員の口を閉じさせるのは不可能だ。おまえの行動ひとつで――」
差し出された手を取ると、彼は目を丸くして口を噤みました。
「なんでこんな冷たくなるまで外にいたんだ」
「気分転換だってば」
眉をひそめて天を仰いだルーシュさまですが、すぐに自分のマントを私の身体に巻き付けてそのまま抱きしめました。まるで親鳥がヒナを温めるみたいに。
「風邪ひくぞ」
「大丈夫です」
「なわけあるか」
ルーシュさまのため息が私のつむじをくすぐります。
ほんとに風邪なんて引かないんだけど。でもその気持ちとマントがあったかくて、私も黙ってされるがままになっていました。
「あまり心配させるな」
しばらくしてそう言ったルーシュさまは、私の手を取って歩き出しました。ちょっと怒った顔なのもどうしてだか嬉しくて。なのにちょっと泣きたい気持ちで。
いつか私がこの城を離れるときが来て、もし私が吸血鬼と結婚をしたら、ルーシュさまはなんて言うんでしょうか。
怒るかな、絶対怒るよね。まず髪の毛をかきむしって、眉がくっつくくらい寄って、めちゃくちゃ不機嫌な顔で……。顔は思い浮かぶのに、なんて言うのか全然予想がつかないですね。
林を通り抜けて綺麗な庭に出ると、ルーシュさまが立ち止まりました。
「夜の散歩はどうだった」
「月が綺麗だった」
「そうか」
そのまま無言で部屋まで向かいました。
本当に私を探してたみたいで、お城の中はちょっとした騒ぎになってたので反省です。できるだけ同じことはしないように気を付けたいと思います、はい。
部屋に入って、改めておやすみなさいの挨拶をしようとしたときでした。ルーシュさまが少し口ごもりながら私の名を呼んで。
「気分転換が必要なら、俺が連れ出してやるから」
「ふふ。ありがとうございます」
「明後日の夜、出掛けよう。見せたいものがあるんだ。きっといい気分転換になる」
「はいっ!」
おやすみを言ってベッドに入ります。ルーシュさまに誘ってもらえたのが嬉しくて、ホクホクしながら丸まりました。
明後日の夜、一体何を見せてくれるのかしら。
翌朝、城中が大騒ぎになっていて早朝だというのに目が覚めました。いつものメイドさんに手伝ってもらいながら簡単に支度を済ませて、騒がしいほうへと向かいます。
そこにいたのは騎士団の人。泥と血で汚れています。どうやら昨夜の警備の中で人間を襲う吸血鬼に遭遇し、戦闘になったようでした。怪我人は宿舎の方へ運んだとか、事件がどこで起きて、吸血鬼がどうなったとか、そんな報告をしているのが途切れ途切れに聞こえて来ます。
「……でロシュ副隊……腕を……」
ロシュって言った。
どこかで聞いたことがある名前って思いましたけど、ルーシュさまを除いて最近聞いた名前と言えばベルくらいしかいません。ベル……そう、ベランジェ・ラ・ロシュ!
もう居ても立っても居られません。行きましょう、宿舎へ!
名も知らぬどこかの誰かじゃなくて、よく知る人が怪我をするのはとてもショックです。しかもそれが吸血鬼のせいだなんて、絶対信じたくない。
だけど私は現実を知っておかないといけないんだと思う。
「エリス!」
背後でルーシュさまの声が聞こえました。が、別に敷地から出るわけじゃないですから放っておきましょう。
以前ベルに案内してもらった騎士団の宿舎へ到着すると、医師と思われる装いの人をはじめ、たくさんの人が慌ただしく出入りしていました。どこに行けばいいのかわからないから、とりあえず医師らしき人を追いかけて建物の中へ。
むせかえるような血の匂いと、苦し気な声。怪我人はそう多くないように見えるのに、肝心のベルの姿が見当たらないんですけど!
その辺の人をつかまえてベルの居場所を聞いてみましょう。
「ベルはどこ? ベランジェ・ラ・ロシュは!」
「えっ、ベ……あー、ロシュ副隊長ですか……。あの方はここにはもういなくて、体の汚れを落とさないといけないから外の水場に――あっ、ちょっと!」
若い騎士団員の視線が宿舎の裏手のドアに向いたので、そっちに向かいました。
体の汚れを落とすっていうのはどういうこと? 療養すべき場所に「もういない」ってどういうこと?
待って待って、ベルはいいお友達になれると思ってたの。仲良くなるのはまだまだこれからなのに、いなくなっちゃうなんてイヤだよ。
不安ばかりが募る中、扉を開けるとそこには――。
突然、目の前が真っ暗になりました。
「そこまでだ、このじゃじゃ馬が」
真っ暗。物理的に。
誰かが私の目を覆ってます。誰かっていうかこの声は確実にルーシュさまなんですけど。
「見えない」
「見せないんだ」
「なんで」
私が文句を言おうとしたとき、聞きなれた笑い声が響き渡りました。
「あはははははっは! ずいぶん可愛い覗き魔じゃないか!」
「のぞきま」
私の頭の後ろでルーシュさまがため息をつく気配。のぞきまとはなんぞ。
「男しかいない宿舎の水場なんてのはな、大体全裸の男がうろついてるものだ。覚えておけ」
「わお! 僕はちゃんと下着を着用していると付け足しておいてくれるかな」
「似たようなもんだろう」
呆れかえったルーシュさまの声がベルを窘めました。
え、あれ? あっ、ベルの声!
「ベル! 生きてた!」
「あっ、おいこら!」
目を覆う手を振り払おうとして、一層がんじがらめに。ルーシュさま強いな……。
と、わたわたしてたらなんだかたくさん人が集まって来る気配です。周囲が騒々しくなってきました。
「まさか、団長の……?」
「婚約者だ……!」
「え、見たい!」
あれ。もしかして私、見世物になったっぽいです……?