第1話 公爵子息と結婚ですって?
見切り発車で連載始めます
完走は必ずします。よろしくお願いします!
すっかり日の落ちた暗い道を歩いていると、背後を振り返り振り返り走るご婦人を街灯が照らし出していました。ご近所にお住いのマダムです。
「こんばんは、マダム。どうかしたの?」
マダムって呼ぶには若すぎる見た目だけど、マダムって呼んでって言われるの。
「あらエリスちゃんじゃないの。今夜もペパンの家に?」
「そうよ。おかげで今日も食事にありつけたわ!」
「ふふふ。ペパンのお母さんはエリスをペパンの嫁にしたくて必死だもんねぇ。伯爵令嬢と平民が結婚できるわけないってのに」
「えー。結婚とかわかんないけど、ご飯もろくにくれないのに伯爵令嬢が聞いて呆れちゃう。ところでマダム、誰かに追いかけられてた? お仕事は?」
「それがねぇ。さっきマスターから『今日はもう帰れ』って言われたのさ」
マダムは馬車で三十分くらいのところにあるバーで踊り子をしているの。
国の東側に位置するこのカツーハという領地には大きな街道が走ってて、旅人や商人がよく行き来するものだから、飲み屋や宿を中心にとっても栄えてるんだって聞いたことがあるわ。
それでも王都や北部のダスティーユ公爵さまの領地とは比べ物にならないみたいだけど。
「帰れ? 何かやらかしたの?」
「違う違う。来たんだよ、王の犬がさ」
「犬……?」
「アンタ、王の犬を知らないってかい。まぁ、物を知らないとこが可愛いんだけどねぇ、エリスは」
マダムの説明によると、王の犬というのは北部一帯に領地を持つダスティーユ公爵と、彼が持つダスティーユ家の騎士団を指すみたい。
「なんで犬さんがカツーハに?」
「あたしらの正体がバレたのかもね。さぁエリス、今夜か明日は少し騒がしくなるかもしれない。あんたも家から出ないほうがいいよぉ」
マダムは私の肩をぐいっと押すと、手を振りながら駆けて行きました。まるで逃げるみたいに。
いまいちお話は理解できなかったけど、マダムは怖がらせるような冗談を言う人じゃないし、言う通りにしようかな!
マダムと別れて帰って来たのはカツーハ伯爵家のお屋敷……の敷地の隅にある茶色い屋根の小屋。侍従用の古い裏口からお屋敷の裏庭に入って、馬小屋の脇を抜けて北の隅に行ったところにあるの。小さいけど、私がひとりで住むにはまぁ十分かな。
「ただいまー」
真っ暗な小屋から返事が返ってくるわけもなく、私はちゃちゃっと寝る準備をしてベッドにダイブです。
「きゃー」
ベッドはとってもひんやりしてて、思わず小さく悲鳴をあげちゃいました。毛布を頭まで被って丸くなりながら、温まるのを待って――。
――
――――ドンドン
扉を叩く音です。うっすら目を開ければ部屋の中は白く明るくて、朝だなってわかりました。寝坊しちゃったかしら。
「早く起きなさいよ!」
乱暴に扉を叩く人は屋敷のメイドだったみたい。この威圧的な声はお義母さまや腹違いの妹のお気に入りのメイドで、私のことを率先して苛めるの。きっと今日も水汲みをやれとか言われるんだと思います。とても寒いものね。
眠い目をこすりながら、ママンのお古のガウンを羽織って扉を開けました。
「おはようございます、何をやったらいいですか」
いつもよりちょっとだけお化粧の薄いメイドが苛立ちを隠さず舌打ちします。
「アンタに客が来てんだって。奥様がお呼びなんだからさっさと着替えなさい」
「おきゃくさま……?」
「早く!」
メイドが大きな声を出したから深く考えるのは後回しにして、急いで着替えました。髪をまとめたりする時間はくれません。そうですよね、はい。
でも私にお客様だなんて、全く心当たりがないのですけど……。
乱暴に腕を引っ張られながら連れて行かれたのは応接室でした。ここに入るのは久しぶりだけど、ふかふかの絨毯と立派な装飾の家具と、花柄の壁が本当に素敵!
だけどお部屋の真ん中でテーブルを囲むのは怖い顔の叔父様とお義母さまと妹。ぜんぜん素敵じゃないです。それに……お客様がふたり、こちらを振り返りました。
おひとりは真っ白な髪を後ろで三つ編みにした……たぶん男の人。柔らかく笑うお顔は女の人みたいに線の細い美人さんです。でも背が高くて服が騎士さまの制服だから……って、きっとマダムが言ってた「王の犬」だ!
もうおひとりも同じく騎士さまです。太陽みたいな琥珀の瞳が鋭いながらもキラキラしてて、夜空を思わせる藍色の髪は窓からの陽光を受けて白く輝いてる、イライラを隠そうともしない男の人。口角ってそんなに下がるんだってくらい下がってる。お隣の美人さんと比べたら男性的だけど、でもどこか目が離せない魅力が――。
「コホン」
ボケっとしてたらお義母さまが怖い顔で咳ばらいしました。慌てて頭を下げます。お義母さまや妹がやるような貴族のご挨拶はできないので!
「貴女がエリス……エリス・バダンデール?」
「エリス・ド・カツーハでございますよ、騎士様」
美人の騎士さまの言葉を叔父さまがすぐに訂正しました。バダンデールはママンの苗字で、私は伯爵家の養女になったので今はカツーハです。
「淑女教育を与えていないのかい?」
「とととっととんでもない! アレの覚えが悪いだけです。それに平民としての暮らしも短くはないので、昔の名残が消えんのでしょう」
叔父さまがそう説明すると、藍色の髪の騎士さまがすんと鼻を鳴らしました。
淑女教育なんてお父さまが生きてたときにしか受けさせてもらってないもの。細かいことは忘れちゃったし、それに貴族風の振る舞いをしたらお義母さまが怒るからできません。
それで、この人たちは一体何しにここへ来て、私に一体なんの用なのかしら? って首を傾げました。さっきからお義母さまや妹の視線が本当に痛くて痛くて。きっとあとで鞭で打たれるに違いないです。
「エリス、こちらへ来なさい」
叔父さまに呼ばれてみなさんの近くへ進み出ると、美人の騎士さまが立ち上がりました。
「エリス・ド・カツーハ。貴女とダスティーユ公爵がご子息、セルシュティアン・ニノ・ド・リュパン様との婚約が成立したんだ。急で悪いんだけど、ダスティーユ領へお連れしようと思ってね――」
「へ? 婚約、ですか?」
素っ頓狂な声をあげる私に叔父さまは深い溜め息をつき、お義母さまと妹は小さく舌打ちをしました。この雰囲気、冗談とか夢とかじゃないみたい。
マダム! 家でおとなしくしてても大変なことになったんですけどーっ!