第83話 王太子の成聖式
時は聖歴1624年1月21日。
この日、レ―ヴァン王国は祝日と定められた。
王室第一王子、ローランド・ブルクハルト・レ―ヴァンが、本日の九歳の誕生日を機に、神聖シャ―ル教会での成聖式がとり行われる。
この成聖式とは、神聖シャ―ル教会が正式に責務を負う王位継承者と認め、創造主に奉仕を誓わせるための儀式である。
王家もまたこの儀式によって、国の内外に王位継承を知らしめるのであった。
* *
午前十時。
宮殿正玄関より近衛騎士団副長、ヒューイ・エドワーズが掲げるレ―ヴァン王家の紋章旗が姿を現した。
礼装の近衛騎士団長モレット・スペンサーが先導する国王一家が続く。
その後を王家ゆかりの貴人が列をなした。
一行は徒歩で王宮を出て、東に隣接するセント・アレク大聖堂へと向かう。
参列者は白い礼装を基調に、高価な装飾を身に着けるのが特徴であった。
紋章旗に導かれた王家の行列は、いよいよ王宮正門をくぐり、王宮外にその高貴な姿を現した。
王宮前広場に詰めかけた市民たちは一瞬歓声を上げるが、すぐに皆膝をついて畏まった。
一行はゆっくりとセント・オルヴェ大聖堂へ向かって行く。
その道沿いには等間隔に正装の衛兵が直立不動で警備にあたっていた。
ノアも王家から列に加わるよう熱望されたが、王家との所縁がある訳では無いので、聖堂内での一参加者としての立場を取った。
その代わりと言っては何だが、タイラーとフーガが両殿下の護衛を兼ねて列に加わっている。
大聖堂正面を抜け聖堂内に入ると、聖歌隊の厳かで透明な讃美歌が、王家一行を出迎えた。
王家一行は祭壇前に用意された椅子に順番に着席していく。
やがて聖歌隊の歌声は止み、大聖堂内は静けさに包まれた。
祭壇前ではアンスバッハ司教によるミサが粛々と行われる。
このミサが通常と異なる点は、二人の聖女が祈りを捧げている事だろう。
聖堂内の参列者たちは、共に祈りを捧げられるこの機会に至福の喜びを感じていた。
「ローランド・ブルクハルト・レ―ヴァンよこちらへ」
司教は祭壇に背を向けると彼を呼び寄せた。
最前列に座っていた彼はひとり立ち上がり、祭壇へ上っていく。
母親である王妃がとても心配そうな視線で彼を追っていた。
「さあ、聖母を前に誓いなさい」
彼は聖母シャール像を前に跪き、両手を組んだ。
「次の国王となる、わたしローランド・ブルクハルト・レーヴァンは、全能なる創造主、そして聖母シャールの忠実なしもべとして、生涯奉仕する事をここに誓います」
宣誓が終わり立ち上がった王太子に、司教は聖杯に満たされた聖油を少し振りかけた。
「ローランド・ブルクハルト・レーヴァン。あなたに聖女の祝福を授けましょう」
そう呼びかけた聖女ローゼマリーは三十八歳。
間もなくテレージアと聖女の務めを交代する。
しかしその美しさ、神々しさは少しも損なわれてはいなかった。
「こちらへ」
ローゼマリーは王太子を優しく抱きしめた。
そして彼の耳元にささやいた。
「これはわたくしが聖女として授ける、最後の祝福となるでしょう……」
聖女ローゼマリーは慈悲深い微笑みを、そして少しだけ寂し気な微笑みを彼にみせた。
* *
午後六時
王宮迎賓の大広間において盛大な晩餐会が開催される。
ノアも国外王家と同等の国賓として招待されていた。
――晩餐会の準備は完璧だね。
テキパキと仕事をこなすスタッフを眺めながら、ノアは晩餐会の成功を確信していた。
――今夜は客観的に料理や雰囲気を堪能させてもらおう……。と、言いたいところだが、なにやら胸騒ぎがする。
――何事も起こらなければよいのだが……。
「さて、エジェリー嬢、レベッカ嬢。ぼくたちも入場しましょうか!」
ノアがエスコートするのは変則ではあるが、二人の伯爵家令嬢である。
両脇のエジェリーとレベッカは紅潮させた顔で頷いた。
瞳は潤み、大人の色気すら漂わせている。
なにやらノアを避けていたエジェリーだったが、今はそれどこではないようである。
三人はこの日の為に、フリージアに仕立ててもらった正装の夜会服に身を包んでいた。
その装いはノアの前世の記憶である、イブニングドレスコードを踏襲している。
この時代には少し早く奇抜に見えるかもしれないが、ノアはこの時代のデザインを纏う気にはなれなかったからだ。
ノアはスワローテールの黒いコートに白い蝶ネクタイといった装いである。
同伴の二人の淑女はエジェリーが黒、レベッカが赤を基調とした全く同デザインのイブニングドレスに身を包んでいる。
肩口や背中の露出度は高く、レースも多用した大胆なデザインだ。
二人とも髪をアップにまとめ、美しい項を惜しげもなく披露している。
改めてエジェリーとレベッカの美少女度の高さを再認識するノアだった。
大広間受付で指揮を執る給仕長が三人を認めると深く一礼し、目を細めて語りかけた。
「これは、賢者様、バイエフェルト様、スピルカ様。なんと素敵でお美しいのでしょう。天の国より舞い降りた様でございますよ」
「ご苦労様です、給仕長。いよいよですね。成功を願っています」
「ありがとうございます。それではお席にご案内致しましょう」
給仕長に先導され大広間に入る直前、ノアは突然足を止めた。
「申し訳ありません、少し待って頂けますか」
大広間を前に、ノアの表情は瞬時に曇った。
「レベッカ、警戒しなくてはいけない魔術士は何人いる?」
「そうね、嫌な感じがするのが……三人いるわ」
ノアはレベッカの答えに大きく頷いた。
「確かにそうだね。しかしあと一人、凄まじいのが魔力を隠しているよ」
レベッカは不思議そうな表情をノアに返した。
「給仕長、ぼく達とテーブルを共にする方はどなたですか?」
「はい、バークマン王国国王陛下ご夫妻とグラブフォルム王国国王陛下ご夫妻でいらっしゃいます。もっともグラブフォルム国王がお連れの女性は第三側妃と伺っております」
「そうですか……」
「ねえレベッカ、ぼくの魔力を感じるかい?」
「あれ? そう言えば師匠のデタラメな魔力を感じないわ!」
ノアはレベッカに得意げな笑顔を見せた。
「上手く隠せているだろ。練習したんだよ」
「さすがは師匠ね!」
「それでは給仕長、お願いします」
給仕長に導かれノア達が入場すると、広大な会場内は一瞬でどよめきに包まれた。
すでに正装に身を包んだ国内外の有力貴族によって満席に近い。
その数は二百人を超えているだろう。
ノア・アルヴェーンの華々しい、宮廷社交界デビューの瞬間だった。
ノアは既に身長では、エジェリーとレベッカを凌いでいる。
エスコートする少女二人の美しさもさることながら、斬新なイブニングコートに身を包んだ、神々しくさえある少年に会場すべての視線をくぎ付けにしていた。
『あの華麗なる少年少女は何者か?』
『あの方が今ウワサの若き賢者様よ。両脇のフロイラインはバイエフェルト伯爵家とスピルカ伯爵家のご令嬢だわ!』
いたるところで、このような内容の会話が囁かれている。
エジェリーとレベッカももうすぐ十五歳、ひとりの成人女性として社交界に姿を見せるのは初めての体験であった。
「ねえねえエジェリー。わたし達いつの間にか凄い事になっているのね」
「ええ、本当に……」
国内外の有力貴族達の視線をその身に浴び、二人の淑女は己の注目度の高さを再認識するのだった。
続いて注目されているのは、ノアの席次だった。
どこに案内されるかによって、王家からの待遇が示されるからである。
行きついた先は、最前列中央……この会場で最も上座に位置する席だった。
迎賓の大広間は瞬時に大きな歓声が上がる。
レ―ヴァン国内に新たな有力者が誕生した事が、この時、明確に示されたのであった。
その円卓にはすでに二組の王家がテーブルについていた。
「なるほど、最も上座に座るのは其方、いや失礼、貴殿か……。レ―ヴァン王家もしたたかになったものよ」
意外にも流暢なレ―ヴァン語で語りかけたのは、グラブフォルム王国国王だった。
歳の頃は三十歳前後だろうか、決して高身長ではないが、色鮮やかな民族衣装の下には引き締まった肉体が想像できる。
なによりその圧倒的な覇気は近寄る者を圧倒するであろう。
ノアとグラブフォルム国王の視線が一瞬鋭く交錯した。
――この人だ! レベッカは誤魔化せても、ぼくはそうはいかないよ。
――それにしても一体どれだけの魔力を隠しているのだ……。
――ぼくと同等、それ以上かもしれない……。
「お初にお目にかかります、ノア・アルヴェーンと申します。今宵はどうぞお付き合い下さいませ」
ノアは胸中を隠すように胸に手を添え真摯な挨拶を見せた。
両脇に控えるエジェリーとレベッカもノアに見事に同調させた美しい跪礼を披露する。
「余は既視感を味わっておるのか? あの時もレ―ヴァンを守護する賢者の傍らには、黒髪と赤髪の戦乙女が控えておったぞ……」
その言葉にノアは戦慄した。
しかし決して表情には出せない。
――ああ、この王も転生者だ!




