第79話 聖女襲来1~波乱の知らせ~
王都サンクリッドに、今年も白い季節が訪れた。
この地は内陸故に積雪量はさほど多くはないが、気温が低いために舞い降りた雪はほとんど解ける事は無かった。
聖歴1624年に入り、新年の祝いムードも終わりかけた一月七日。
ノアは自室で、アリスとレベッカと共に、魔術の教本の執筆に取り組んでいた。
外は小雪が舞っているが、部屋の中は柔らかな暖炉の炎によってとても暖かかった。
時折薪が『パチッ!』と弾ける音が聞こえる。
エジェリーとアイリは朝から王宮へ、二週間後に控えた王太子を定める式典の準備のために出かけている。
リーフェは隣の四号室で、弟子たちとコンサルタントの仕事中であった。
その代わりと言ってはなんだが、イルムヒルデが当然の如くソファーでくつろいでいる。
そんな時、ノアの自室の扉は突然ノックされた。
応対に出たメイド服のマゼンダが、ノアに王宮より典礼庁の官吏が面会を求めている事を告げた。
「入ってもらいなさい」
いつの間にかマゼンダも、この部屋のメイドとして機能してしまっているのは、実に不思議な現象である。
現れたのは厚手のコートに身を包んだ、いかにも役人といった中年の紳士だった。
「わたくしは典礼庁より国王陛下、王妃殿下の使いとして参りました。ご相談したき議があり、至急登城をお願いしたい……との仰せであります」
ノアは何事だろう⁈ と少し首を捻ったが。
「わかりました。支度を整えますので、しばらくお待ちください」
「かしこまりました。それでは馬車でお待ちしております」
用件が済むと典礼庁の官吏は、深く一礼してから部屋を後にしていった。
「さてレベッカ、一緒に行きますか?」
「合点承知!」
「ノア様! 私も是非お供させてください」
意外にもアリスが笑顔で同行を願い出た。
「構いませんよ、一緒に行きましょう」
ふと視線を感じ、イルムヒルデを見ると、期待に満ちた眼差しを送って来ている。
「わかりました……。イルムヒルデさんも一緒に行きましょう」
「ノア様! 喜んでお供いたしますわ!」
「みんな、外は寒いですから、しっかり着込んで下さいね」
女性に冷えは大敵であるからね。
ノア達を乗せた王家の馬車は、いつものように跳ね橋を渡り、楓の門をくぐった先の宮殿玄関に着けられた。
案内された先は国王の執務室だった。
扉の両脇を守るのは新米の近衛兵だろうか、少し寒そうにしている。
ノア達が現れると、慌てて姿勢を正してから扉を開けた。
国王の執務室とあって、装飾はやはり豪華だった。
壁際には大きな王家の紋章が描かれた旗が誇らしげに吊り下げられていた。
歴代国王の肖像画もずらりと飾られている。
窓際の重厚な執務机には国王陛下が座り、両脇には王妃殿下と宰相の姿があった。
「ノア殿……。今日の供は随分と変わった嗜好であるな」
開口一番、国王が呆れたように言った。
王妃アンネマリーは口許を扇子で隠し、すでにクスクスと笑い始めていた。
「国王陛下、王妃殿下、宰相閣下、新年おめでとうございます」
イルムヒルデが先陣を切って華麗な挨拶を披露する。
「うむ、おめでとう。しかしイルムヒルデよ。おまえまでか……」
「ハイ陛下。わたくしもノア様にはとても親しくして頂いておりますのよ!」
「国王陛下、王妃殿下、宰相閣下、新年おめでとうございます」
アリスが続く。
「アリスよ、おまえもか……。しかし年が釣り合わないぞ」
「わたくしはノア様を心から尊敬する師匠と仰いでおります」
「国王陛下、王妃殿下、宰相閣下、新年おめでとうございます」
「ああレベッカ……おまえにはいまさら何も驚かん……」
「…………」
そしてノア達は、来客用のソファーに座る様に進められた。
すぐに部屋付きのメイドによって香りの良いお茶がつがれる。
「突然呼び出してすまぬな、ノア殿。実はな……」
そう切り出して国王は語り始めた。
「二週間後の王太子の成聖式は知っての通りだが、その許可を頂くために神聖シャ―ル国の教皇庁へ使いを送っていたのよ。それをお耳に入れられた聖女様が、なんと急遽祝福を授けにこちらに下向されると言うのだ」
『ブッ――!』
ノアは口にしていた紅茶を噴き出してしまった。
「師匠! 大丈夫?」
「ノア様、いかが致しました!」
対面に座っていたアリスとレベッカが慌てて立ち上がった。
「あらあら!」と言いながら、隣に座るイルムヒルデがノアの口許をハンカチでぬぐった。
「申し訳ございません……」
傍に控えるメイドが慌ててテーブルの上を掃除した。
「その時の様子を詳しく聞かせてやってくれ」
宰相が教皇庁に出向いた官吏に説明を求めた。
「はい。わたくしがセントレイシアの教皇庁に到着し諸々の手続きをしていますと、あろうことか教皇様に呼び出されたのです。教皇様の執務室には、教皇様をはじめ六名の枢機卿様、そして聖女様と次期聖女様がお待ちでした」
各王家の王位継承は、教皇庁の承認が必要だった。
最もそれは形式的なものではあったが。
「そしてわたくしは次期聖女様から尋ねられたのです。『レ―ヴァン王国でウワサの若き賢者様のお名前とは、ノア・アルヴェーン様ですか?』と」
当時の状況を説明する官吏はノアの方を向いた。
「わたくしは『はい、その通りにございます』と答えました。すると皆様一様に頷かれまして、何やらにわかに相談を始めました。そしてその場で聖女様お二人の下向が決まったのです」
官吏は一通り説明を終え、ほっとした表情をし、額の汗をハンカチでぬぐった。
「ノア殿。わが王家にはたいへんな栄誉であるが、神聖教会の教皇庁とはどのような関係があるのかね? 聞かせてもらえぬか」
国王の問にノア小さく首をふりながら、左手で頭をボリボリとかいた。
「実はぼくは、ここレ―ヴァン王国に入る前に、教皇庁に半年ほど滞在しておりました。その時に、まあ、面倒事がありまして……。それでみなさんと知り合いになりました」
国王と王妃と宰相は呆れ顔で納得したようだ。
「ウフフ……なるほど……。いろいろあったのですね!」
王妃殿下がまたまた扇子で口許を隠しながら笑っている。
「ノア殿はすでに教皇庁とも深いつながりがあるのか……」
笑顔の王妃とは裏腹に、国王はいたって真面目顔だった。
「ねえねえ、次期聖女様って、いくつ位の方なの?」
レベッカが鋭い女のカンを働かせてしまう。
「年の頃は十五・十六歳と言ったところでしょうか。正に聖女様と言うべきか、それはお美しい方でございました」
「あ~、やっぱりそう言う事ね……」
こんどはイルムヒルデとアリスとレベッカが妙に納得し、そろってノアをジト目で見た。
痛い視線に耐え切れず、ノアはがっくりと頭を落とした。
――まずいよ、マズイよ、絶~対マズイよ、これは……。
――もちろんテレージアには逢いたい。でもまさか彼女がこちらに来るなんて夢にも思わなかった。
――テレージアめ、上手く口実を作りやがったな! ローゼマリーさんも人が悪い。便乗する気だよ、まったく。
――いずれにしてもぼくが板挟みに遭う事は目に見えている。ああ、創造主よ、ぼくがなにか悪い事をしたのでしょうか……。
ノアは波乱の予感に震えるのであった。




