第8話 ノア、無言の激怒!
一年の月日が過ぎ、ノアは冒険者ギルドで二度目の冬を迎えようとしていた。
ノアは七歳、セシルは二歳になっていた。
夕刻になるとセシルは玄関前に陣取り、冒険者たちの帰りを片言の会話で出迎えるのが日課となっていた。
その小さな胸には、ノアが作った熊のぬいぐるみが抱かれている。
「おかえり~、きょうはどうだった、フロウ」
「セシルちゃん、ただいま。魔結石が結構取れたよ。まずまずだ!」
「よかったね~」
「こら~、ウルス! ブーツがドロだらけでしょ。ちゃんとすなばできれいにしてきなさい。てもあらってくるのよ!」
「すまねえ、セシルちゃん。今やって来るよ」
こんなやりとりが、冒険者達を和ませてくれていた。
さらにギルド前の道行く人は皆、愛らしいセシルに声をかけた。
今やセシルは冒険者ギルドのみならず、フォレストゲートのマスコットとなっていた。
* * * * *
最近適当な依頼がなく森に入る事が無かったノアは、腰を据えて洗い場の整備に専念する事が出来た。
ギルドの建物の裏にやぐらを組んで、その上に大きな貯水タンクを作っていた。水は近くの沢から引き込んでくる。
その水を利用して、洗い場やトイレそれに風呂といった水回りを整備する計画だ。
ノアがやぐらに登り、貯水槽の固定の作業をしていると、下からミアンカの悲鳴の様な大声がした。
「ノア兄さん! 大変です! セシルちゃんが……」
間髪入れず、ノアはミアンカを飛び越し、地面に着地するや否やギルド内へ走った!
――その頃、ギルド内の酒場では――
北隣のエレン王国傭兵ギルドでも評判が良くない、クロウとトラップが酒に酔って暴れていた。
エレン王国は、国土のほとんどが山岳地帯で、農耕に適していなかった。
よってほとんどの働き手は、傭兵として出稼ぎに行くのである。
それは、単独であったり、血縁関係の単位であったり、村単位であったり、依頼によって様々だった。戦場において、知った顔同士が敵味方に分かれて戦う事など、珍しい事ではなかった。
この二人のならず者は、フォレストゲートの近くの村の出身であり、傭兵として稼ぎに出向いていた。
向こうで仕事が無くなると故郷に戻り、憂さ晴らしで暴れるのだ。
もともと腕っぷしが強く、仕事とはいえ普段から人殺しをやっている二人には、並みの冒険者では、全く太刀打ち出来なかった。
運悪く、たまたま二階から降りて来たセシルが捕まってしまった。
クロウはセシルを捕まえ、両足を持って逆さ吊りに持ち上げた。
「なんだ~、最近のこのギルドは小さなガキがうろついているのかい」
「ちょうど懐が寒くなって来たとこだ、こいつ売って酒代稼ぐか!」
「そりゃいい!」
二人は下品極まりなく笑った。
セシルは「兄さま~、たすけて~」と泣き叫んでいる。
遠巻きに見ていた酒場にいる冒険者たちもさすがに限度を超え、二人を取り囲んだ。
「おー、どうした、かかって来るか!」
トラップが冒険者たちを挑発する。こうなる事を初めから望んでいるのである。
「やめろ――! その子を放せ!」
最初に勇敢に立ち向かったのは、クリスとボルツだった。
クリスとボルツは突進するも、あえなく蹴り返され床を転げまわった。
二人は何度も向かって行くが、実力の差は歴然としていた。
クリスは床に頭を打って、朦朧とする意識の中で、ノアの姿を捉えた。
「ノアの兄貴……、すみません……」
目の前を静かに通り過ぎるノアに、チカラ不足の自分を詫びた。
ノアはそんなクリスに一瞬目をやり、コクリと一回だけ小さく頷いた。
ノアはゆっくりと、セシルをいたぶっているクロウに向かって歩みを進めた。
風も無いのにノアの髪は逆立ち、揺れている。
ノアはクロウの前に相対した。
廻りの冒険者はノアの登場に安堵し、とばっちりを避けるために輪を広げた。
これから繰り広げられるであろう惨劇を楽しみにしているようだ。
「おいおい、またまたガキの登場か、このギルドはどうしちまったんだ」
「このチビ、くし刺しにしちゃおうかな~」
短剣を抜いて、セシルのお腹に突き立てて、下品な笑いを浮かべる。
ノアはゆっくりとクロウの剣を持つ右手首をつかんだ。
そして氷結の魔力を流し込むとクロウの手首周辺は霜に覆われ始めた。
あっと言う間にクロウの握力は失われ、握っていた短剣は床に落ちた。
「このクソガキ、何しやがるんだ……」
そう言い終わる前にノアは、右手でクロウの腹へ小さく鋭いパンチを叩き込んだ。
「ゲフッ」と汚くうめき声を吐いてうずくまる。放たれたセシルをノアはしっかりと抱き留めた。
セシルは大泣きしながらノアにしがみついている。
セシルを右手でしっかりと抱くと、ノアは踵を返し、その場からゆっくりと離れた。
「このクソガキ! 絶対殺す!」
もう一人のトラップが怒り心頭、剣を抜いてノアに切りかかってきた。
ノアは振り返ると、左腕を上げ、かざした手のひらの前に、一瞬で圧縮した空気の塊を作り出した。影響を受け、酒場内の空気が大きく揺れた。
即座に発射された圧縮空気弾は、突進してくるトラップの腹に命中、反動でいくつものテーブルや椅子を巻き込みながら、後方へ吹っ飛ばされた。
トラップは変な姿勢で床に転がり、動く事はなかった。気絶したらしい。
クロウは腹に手を当てがいながら上体を起こし、剣を抜こうとした。
ノアは圧縮空気弾をはなった左手のひらをそのままクロウに向け、手のひらを勢いよく下に払った。
同時にクロウの上半身は床に叩きつけられ、下卑た悲鳴を発して気絶した。
酒場内は静寂に包まれた……。
廻りの冒険者達はノアが見せた瞬殺劇にあっけに取られていた。
「ウオー、やっぱりスゲーや、さすがノアさん!」
一呼吸おいてから酒場はノアを称える大歓声に包まれた。
ノアは上半身が床に張り付き、膝をついて尻を上げて気絶しているクロウを踏みつけ、足の裏からアンチグラビトンの魔術を流し込んだ。
質量が軽くなったクロウを蹴り飛ばし、ノアはギルドの外扉に向けて歩みを進めた。
セシルを抱いたまま、蹴り続ける。そのたびにクロウの身体は想像より遙か遠くまで転がっていった。
進行方向の冒険者たちは、左右に避けて進路を譲った。
出入り口まで来ると、近くの冒険者が扉を左右に大きく開けた。
ノアは外に向かって最後のひと蹴り、クロウは階段でワンバウンドした後、道路に転がった。
ノアは踵を返すと、もう一人のトラップのところへ向かった。
はじめはノアの活躍に大喝采の酒場だったが、やがてノアの容赦のなさに静まり返った。
ノアは床に変な姿勢で転がるトラップを踏みつけると、先ほど同様玄関に向かって蹴り転がしはじめた。
ゴミの掃除が終わると、ノアは静まり返った酒場に戻った。
「みなさん、ご心配をお掛けしました……」
丁寧に頭を下げてそれだけ言うと、ノアはセシルを抱いて静かに二階へ上がって行った。
三日後、『グローリー・ツヴァイ』の三人がノアの前に姿を見せた。
クルスとボルツの顔の青なじみが痛々しい。
「冬が近い。明日から森に入りますよ……」
ノアはソッポを向きながら、小さく呟いた。
その言葉に三人は顔を見合う。
そして満面の笑顔で「ハイ!」と返事をしたのだった。