第73話 ライマー貿易商会
「そういえばリーフェ、お父様に算術を見てもらったかい」
講師室で休憩中だったノアの一言から、今回の壮大な計画はスタートする。
「はい、ノア様。父は目を丸くしてビックリしていましたよ! 新しいお洋服もいっぱい作ってもらえました。それからノア様に是非お会いしたいと言っていましたっけ」
「リーフェ、そんな大事な事はもっと早く言わなくてはいけないよ」
「ごめんなさい、ノア様。忘れていました」
リーフェはペロッと舌を出して可愛らしく誤った。
「それではお父様とお会いする段取りをつけて下さいね」
「はい! かしこまりました、ノア様」
ノアは計画中の新有料街道建設のために、どうしてもリーフェの父親の協力を得る必要があると考えていた。
三日後、ノアはエジェリーとリーフェを連れて商業ギルド連合会館を訪ねた。
なんとライマーが入り口で待っているではないか。
それほど心待ちにしていたのだろう。
「これはこれは賢者様。お忙しいところ、わざわざ足を運んで頂きありがとうございます。バイエフェルト様もようこそいらっしゃいました。リーフェもご苦労様」
ライマーはそう言うと、受付には目もくれず、ノア達を自ら応接室に案内した。
ノアは受付嬢のカレンに軽く会釈して、ライマーの後に続いた。
応接室には、一人の青年が待っていた。
「賢者様、わが家の長男でございます」
小柄ではあるが、身なりの良い誠実そうな青年が、ソファーから立ち上がって挨拶した。
「お初にお目にかかります。クレメンス・ライマーと申します。お会い出来て光栄です。おうわさは父や妹から伺っております。本日は直にお話しをお聞き出来る事を楽しみにしておりました」
「クレメンスには、実質貿易商の仕事は任せております」
ライマーには自慢の息子であるようだ。
「ノア・アルヴェーンです。初めまして。父上には何事にも面倒を見てもらっているのですよ。リーフェ嬢にも世話をかけるばかりです」
ノアも第一印象でクレメンスには好感を持った。
「しかし、驚きましたぞ、賢者様。いったい何をどうすれば、あの魔法のような算術や計算書をリーフェが使えるようになったのですか」
豪華なソファーに着席するや否や、ライマーはノアに問いかけた。
「始まりは冬休みだったのですが、図書館でぼくが本を読んでいる間、リーフェさんが暇そうにしていたのです。時間がもったいないので、算術でも少し教えようかと思ったら、筋がとても良い。ぼくは失念していました。彼女がライマー貿易のご息女だった事を。それからコツコツと算術や商売の知識を教えていったわけですが……ぼく確信しました。これはライマー貿易の利益を上げるだろう……と」
「おっしゃる通りです。仕事の効率が格段に上がりました」
「そう、さすがはライマー会長。『効率』こそが満点の回答ですね。」
ノアはライマーの答えに満足し頷いた。
「効率とは、計測可能な概念です。百分率で答えを明確に示せますからね。だからぼくは、リーフェさんにその効率の概念と、計測に必要な算術も教えました」
そしてノアは自身の後ろに控えるリーフェを見た。
「さて、リーフェ。父上の仕事を少し覗いて見た訳だけど、何か困った事はなかったかい?」
「はい、ノア様。えーっと、長さとか、重さとか、距離とか、それぞれいろいろな種類があって、適当なところもあって困りました」
「うん、リーフェ、大正解! すべて貿易には重要な単位だよね」
「そこでぼくは王国府に相談して、すべての単位の統一・厳格化を実施する事を進言しています」
ソファーの向かいに座るライマー親子はそろって大きく頷いた。
「以前リーフェさんに質問したのですよ。『大きくなったら何になりたいの?』って。そうしたら、何と答えが返って来たと思います? ライマーさん」
ノアは上目遣いでライマーを覗き込んだ。
「父の仕事を手伝いたい! ですって」
「この娘にしてみれば、小さい時に流行り病で母親を亡くしまして……。屋敷に居ればよいものをいつも私の仕事についてきました。きっと寂しかったのでしょう」
ライマーはしみじみと娘の顔を眺めた。
秘書のフローラが香りの良い紅茶をテーブルの上に置いて行く。
ノアはそんなフローラに視線を合わせ軽く会釈すると、さっそく一口頂いた。
「さて、今日ぼくは、あなた方とビジネスの話をするために来ました。よろしいでしょうか」
「おう、これは嬉しい事を言って下さいますな!」
ライマーが身を乗り出して興味を示した。
「ぼくは今、いろいろ計画している事がありまして……。まずこの国の正確な地図を作ろうと思っています。それから手始めに、ここ王都サンクリッドと南の港湾都市ポルトアートとを新しい街道で結ぼうと考えています」
「それは我々商人にとっても、すばらしいお考えですが、現実性としては如何でしょうか」
ライマーは少し難しい顔をする。
「そう思われるのは当然です。しかしこの二つの計画は、現在王国府と調整の段階に入りました」
「な、なんですと!」
「財源はどうなさるのでしょうか……」
クレメンスが驚きの表情でノアに問うた。
「これからご説明しますので、誤解しないで頂きたいのですが、財源は結果的に商人の皆さんに負担して頂くことになります」
ライマー親子は顔を見合わせた。
「建設費は当然、王国府に捻出してもらいますが、王国府は新国道を有料として支出を回収します」
「それは通行税と言う事でしょうか」
「いえ、似てはいますが別物です。王国府は安全で快適な道路のサービスを提供します。当然、そのサービスがいらないと思う方は、今まで通りの旧道をと通れば良い。ライマーさん、現在荷馬車は王都とポルトアート間を何日かけて走破していますか?」
「おおむね十日と言ったところでしょうか」
「仮に新有料国道使用料が一日分の経費に相当するとしましょう。道路は真っすぐに伸び、道は平らで馬や馬車にも負荷が少ない、そして警備により襲撃を受ける心配もない。そして何より五日で走破出来る。さあ、どうです? ライマー貿易はどっちの道を選びますか?」
「なるほど、よくわかりました。サービスを提供して利益を得る。我々商人と同じ事ですな。
これが机上の空論ならば、実現不可能と笑い飛ばすところですが、賢者様はすでに王国府と話を進められていると伺いました。誠に賢者様はスケールが大きく恐ろしいお方だ。」
「ぼくがこの計画を急いでいるのは、いくつか理由があります。まずここサンクリッドは内陸に位置しすぎている。海から遠すぎるのです。多角から見て王都とポルトアート間のスピードアップは急務と考えています」
「これから国を発展させていくのは、あなた方商人です。そして海路に進出しなくてはならない。そうしなければ西側列強国に経済的に離されるばかりです」
ノアはティーカップを手に取り、一度喉を潤した。
「どうですライマーさん。ここまでの話は商売の参考になりましたでしょうか?」
「ライマー貿易は恐ろしい程の儲けの情報を、先に耳に入れてしまったわけですな……」
ノアは真顔で大きく頷いた。
「本来このような話を特定の人物の耳に入れる事は反則です。しかしこの国の経済は、まだ自由競争に任せるほど成熟していない。ぼくはあなたに、この王国の経済を牽引してもらいたいのです」
「これは……まさか私は、賢者様より大変な使命を与えられたのでしょうか……」
ライマーは姿勢を正し、冷や汗をハンカチで拭った。
「時として物事は、強力な指導者によって導かれる方が早く進む事が多いのです。もっとも必ず良い方向に進むとは限りませんが……」
ノアは鋭い眼差しでライマーを射抜いた。
ライマーは言葉を発する事が出来なかった。
「さて、もう一つ。ぼくはリーフェ嬢にコンサルティングの事務所を持ってもらおうと考えています」
「そのコンサルティングとはどういったものでしょうか」
「簡単に言えば、経営などについて相談を受け、診断や助言、そしてアドバイスをおこなう仕事の事です。まあ、いままでの商売を見直し、新たな戦略を一緒に練りましょう! といったところでしょうか。それによって報酬を得ます」
「う~む、やはり賢者様の視点は独特でいらっしゃる。私如きには、それが商売になるのか想像がつきませぬよ」
「とりあえず無料相談会の案内状を作りますので、この会館に置いて頂けないでしょうか」
「それはお安いご用ですが」
ライマーは困惑の表情を浮かべていた。
「それでは本日はこれにて失礼させて頂きましょう」
そう言ってノアは立ち上がり、ライマー親子に見送られ応接室を後にした。
* * * * *
ノアが去った応接室ではライマー親子がソファーに身を投げ出し、天井を見上げながら先ほどの話を思い出していた。
「しかし父上から話には聞いていましたが、あの賢者様は見かけとはかけ離れた、恐ろしい程の方ですね」
「解かるか、クレメンス。決してあの方とは敵対するなよ。わがライマー貿易とて、簡単に消し飛ぶぞ」
「承知しています、父上」
「それでクレメンス。おまえなら先ほどの話をどう生かす?」
ライマー親子はそれぞれソファーに座り直し、お互いを真顔で見合った。
「私は急ぎポルトアートに戻ります。まず大型の倉庫に適した土地を買いあさりましょう。
それから材木の買い取りにも力を入れたい。造船業者や船乗りにも情報網を張りましょう。優秀な業者や人材に近づいておきます」
「私なりに新しい街道を想像しながら帰ってみましょう。ひょっとしたら大きな宿場町が出来るかもしれない。いや、うちで造ってもいいくらいだ」
「さすがは我息子よ。それで十分だ。向こうはおまえに任せるとしよう。ただし賢者様にも釘を刺された通り、うちだけの利益にこだわるなよ。私もこの国で経済の牽引者となる夢を、あの方と共に見てみたい……」
「同感です。父上……。私は商売が、もっと楽しくなりそうですよ」
* * * * *
それからノアはリーフェに経済や経営といった商売に必要な知識を、じっくり時間をかけて教えていった。
リーフェはとても飲み込みが早く、父譲りの商売のセンスは抜群だった。
さらに折を見て、学院で実用算術と『そろばん』の講師をさせようとも考えていた。
これは一般庶民にも無料で開放するのが良いだろう……。
「いいかい、リーフェ。お金とは正確に数字で表すことができるよね。お金を自分の帳簿内や周りの世界で、グルグルと回して数字を大きくしていく。それこそが商売の本質なんだ」
「お金とは人類が営みを続け、豊かに発展していくために、もっとも優れたツールなんだね。
よく金儲けは汚い! という人がいるけどそれは間違いだ。汚いのはそんな手段を使う人間なのだから。お金に罪はない」
「だからリーフェ、君はお金が正しく回るように見てあげなさい。君にはその類まれな才能がある。君の算術はやがて人々を豊かにし、多くの命を救う事になるだろう……」
「ノアさま、それはちょっと大袈裟なんじゃ……」
リーフェの言葉を遮るように、ノアはゆっくりと顔を左右に振った。
「いずれ解かる時が、必ず来る……」
そしていよいよリーフェ・コンサルティングファームは始動する。




