SS―4 歌劇《妖女帝の魔宮》~序曲~
「はあ……。今日という一日をどのように過ごすべきか……」
スパソニア帝国、帝都アムリードのサウスブルグ城は、この世界初の覇権国家に相応しい荘厳さを見せる名城である。
時代と共に増築されたその姿は、正に地上に現れた迷宮だった。
その迷宮奥深く、玉座に坐すスパソニア帝国真の皇帝であるエリアドール=バイオレッテ=サウスブルグは、途方に暮れながらそう呟いた。
エリアドールは孤独だった。
――五百年の時を過ごせば、この世の快楽の全てを経験し尽くし、世界中全ての美食も味わい尽くしてしまった。
――もはや興味を引く事すら、ほとんど存在しない。
――妾が目をかけた人間も、すぐに寿命が尽きて死んでしまう。
――今までいったい如何程の別れの悲しみを味わったのだろうか。
――いつしかそれさえも面倒になってしまった……。
部屋の中を見渡しても、まったく代り映えがしない。
見飽きたメイドと侍従と親衛隊がいるだけ……。
つまらん……。
「んん……⁈」
今朝は何かが違うようだ。
廊下が何やら騒がしい。
親衛隊も剣を抜いたか。
扉が少し開くと、短剣を衛士の首に突き付け盾にした、薄汚れた賊が背中から侵入してきた。
すぐに十名ほどの衛士が包囲する。
四人の親衛隊もエリアドールの盾となった。
「エリアドール皇帝陛下、なんとかして下さいませ!」
意外にも賊は、玉座に向かって情けない声で助けを求めた。
「ザルベルトか!」
エリアドールは即座に、無粋な来訪者の拝謁の礼を待つまでも無く、玉座より立ち上がった。
「ザルベルト師匠!」
親衛隊隊長のケべリオスも驚きの声を上げた。
「おまえ達、剣を引け。この方は特別なお方であられるぞ!」
そう叫びながらケべリオスは騒ぎの場へと駆け寄った。
「おお、ザルベルト師匠、よくぞ、よくぞ帰って来て下さいました!」
そう言って片膝をついたケべリオスは、救われた様な眼差しでザルベルトを見上げていた。
衛士達は皆、困惑の表情を浮かべながらも後ろに下がり、剣を収めた。
ザルベルトもそれを見届けると、「すまぬな」と言って、盾にしていた衛士を開放した。
「参りましたぞ……。衛士に知った顔がおりませぬので、いくら説明しても入れてくれぬのですよ」
ザルベルトは『やれやれ』といった仕草をしながら玉座へと向かった。
「十年以上も顔を出さぬ貴様が悪いわ!」
エリアドールは両手を握りしめ、怒鳴りつけた。
ザルベルトは玉座の前に辿り着くと、静かに片膝をついた。
「エリアドール皇帝陛下、ザルベルト・シュトラウス、只今戻りました」
ザルベルトはエリアドールに優しい視線で見上げた後、深々と頭を下げた。
「貴様は妾をどれほど待たせれば気が済むのじゃ!」
エリアドールは怒りのあまり瞳を涙で潤ませながら、玉座の雛壇を乱暴に降りる。
そしてザルベルトの正面に立つと、ドレスの裾を大きく両手で持ち上げ、左足で蹴ろうとした。
ザルベルトは咄嗟に右腕を庇った。
それを見たエリアドールは『ハッ』とした表情を見せた後、今度は右足に変えてザルベルトを三度蹴り飛ばした。
「陛下、そのくらいで勘弁して下さいませ」
もちろん豪奢なドレスの内側から繰り出された華奢な女性の蹴りが痛いはずもなく、ザルベルトは笑みを浮かべながら立ち上がった。
「よく吾輩の右腕を蹴りませなんだな」
「フン! 貴様の右腕を蹴るほど、妾は罰当たり者ではないわ……」
エリアドールは声を震わせ、ソッポを向きながら吐き捨てた。
「今まで何処をほっつき歩いていたのじゃ! 十年に一度は妾の肖像を描くと約束したであろう」
エリアドールは涙をためた瞳で、ザルベルトを睨んだ。
「お許し下さいませ……。すべては陛下の恩為にございます故」
「ザルベルト……。少し老けたな……」
エリアドールはその身をザルベルトの胸に寄せた。
「陛下は、相変わらずお美しくございますな」
ザルベルトはエリアドールの涙をそっと指で拭う。
「ザルベルト、今宵は眠れる事など許されぬぞ」
「エリアドール陛下……。それは吾輩のセリフですぞ!」
ザルベルトはエリアドールを優しく抱きしめた。
* *
翌朝。
エリアドールとザルベルトは、共に朝食を済ませると、さっそく肖像画のデッサンに入った。
エリアドールは窓辺に立ち、自然に外の景色を眺めているポーズであった。
もちろん、一糸まとわぬ裸体である。
窓から差し込む光が、彼女の金色の髪を輝かせ、白い肌に影を作った。
「それでザルベルトよ。彼の少年はどうじゃ、それほどの器か?」
モデルのポーズを保ったままのエリアドールから発せられた一言に、イーゼルに向かうザルベルトは木炭の手を止めた。
「陛下は全てお見通しでございましたか……」
ザルベルトは、それは残念そうな表情になった。
「三年程前、おまえは妾の宮殿を素通りしたであろう。その時街で偶然、彼の少年と出会ったのよ」
エリアドールは窓の外の庭園を眺めたままである。
「ほーう、あの時でしたか……。エリアドール陛下の悪趣味も、時として役に立つのですな」
ザルベルトは再び木炭を走らせた。
「その時が傑作でな。そこの剣を振るうしか能がない連中を、全て不思議な術で吹き飛ばしたのじゃ。あやつらが転げ回る姿は、今思い出しても噴出してしまいそうじゃ!」
ザルベルトは呆れ顔で近くに控える親衛隊に視線を移した。
ケべリオス以下の親衛隊は、とても申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「少年の名は、ノア・アルヴェーンと申します。陛下やリフェンサー様と同じく、『転生者』でありましたぞ」
「やはり、そうであったか……。して彼はどれほど強い?」
「知力、魔力、体力。そのすべてが『創造主』が遣わしになった神子の力でございました。リフェンサー様では役不足でありましたが、彼ならば間違いありませぬよ」
「その少年、是非妾の傍におきたいものよ……」
ザルベルトは大きく首を振った。
「陛下、それでは彼が輝きませぬよ」
「そうであったな……」
ザルベルトは木炭を置き、イーゼルの前へ出た。
「陛下に捧げましょう。このザルベルトが描く、至高の芸術を!」
「いよいよか!」
エリアドールは喜びのあまり裸足のまま、ザルベルトの胸に飛び込んだ。
「おお、ザルベルト。そなたは誠、愛いヤツじゃ! 妾の帝国の全てを、思うがままに使うが良いぞ!」
エリアドールは恍惚の表情で、ザルベルトの胸に横顔を合わせた。
そしてザルベルトの声は荘厳な玉座の間に、歌劇の序章クライマックスの如く響きわたる。
「ご覧に入れましょうぞ! ザルベルト・シュトラウスとノア・アルヴェーンが命を賭けて描き切る、この世で最も壮大で、最も儚い、戦争と言う名の芸術を!」
ザルベルトはノアを探す長きの旅を終え、エリアドールの元へ帰って来ました。
そしてスパソニア帝国は惰眠から目を覚まし、その巨体を動かし始めます。
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