第66話 王妃殿下のショートケーキ
「エジェリー、君が冒険者修行をしている留守中に、王妃殿下から茶会の誘いがあった。今度は君も招待されている」
エジェリーは困惑の表情を浮かべ、紅茶のカップをテーブルに置いた。
八月の後半夏の暑さは盛りを越え、ノアの特別棟の自室には湖面上を吹きぬけて来る風が、爽やかな涼しさを届けてくれていた。
フレイヤの除呪によって破壊された大きな掃き出しの窓も、ライマーの手配した大工によって綺麗に修理が完了していた。
ついでに室内もプチリノベーションしてもらい、快適度が増している。
夏休みの間にノアが課した冒険者修行を終えたエジェリーは、少し日焼けして以前よりもたくましく見えた。
「大丈夫だよ、エジェリー。今度は国王陛下からではなく王妃様からの誘いになっている。あちら様も気を使っているのだろう」
「穏やかにすめばいいのだけれど……」
エジェリーは不安の様子を隠さない。
「今度は強力な武器を持ち込もうと思っているんだ。君にも協力して欲しい」
エジェリーはガクッと頭を落とした。
「そしてアイリ、今回のキープレーヤーは君だ!」
「わ、私ですか~!」
ノアの座るソファーの脇に、お盆を胸に控えていたアイリが驚きの声を上げた。
「今から作戦を説明するから、アイリもそこに座りなさい」
アイリはエジェリーの横に遠慮がちに腰をかけた。
「古今東西、女性は甘いモノには目が無い! と相場は決まっている。異論はあるかな⁈」
ノアの正面に座る二人の少女は、同時に首を左右に振った。
「そこで次の茶会には、ぼくが監修するショートケーキを王妃殿下に献上する。こいつはきっと凄い実弾になるよ!」
ノアは口許を緩ませて、エジェリーとアイリを交互に見た。
「あまり心配させないでよ! 強力な武器ってケーキの事なの?」
「その通り!」
「アイリがそのショートケーキを完成させるんだ。エジェリーは材料の調達と、寮の厨房と王宮の厨房が借りられる様に手配してほしい」
「そのショートケーキって、いったいどんなケーキなのでしょうか?」
アイリは不安そうにノアに質問した。
「ショートケーキは土台となるふわふわしたスポンジ生地と、デコレーションに欠かせない生クリームのクオリティがとても大切な、柔らかい食感のケーキなんだ」
ノアは腕を組み、目を閉じて想った。
――日本人がケーキといえば最初に連想するのはイチゴのショートケーキだ。しかしそのケーキはジャパンオリジナルだ。そいつをこの世界に持ち込めば、食べた人はきっと衝撃を受ける事は間違い無い!
――問題はイチゴだ。本来ならばイチゴのショートケーキが王道ではあるが、季節のフルーツでもショートケーキの定義からは外れないはずだ。この世界にも四季成りイチゴはあるが、酸っぱく見栄えが悪い。
――その他の材料はこの世界でも十分手に入る。エジェリーに頼めば極上の素材が手に入るだろう。そしてアイリならきっと完成してくれるに違いない。
――この勝負、もらった! フフフッ。
――それに久しぶりにショートケーキが食べられると思うと、ワクワクするね!
「ノア……。何をそんなにニヤニヤしているの。気持ち悪いわよ……」
ノアが目を開けると、エジェリーが怪しそうにノアを眺めていた。
咳払いをひとつ。ノアは再び語り始める。
「それではさっそく実行に移そう! ぼくが大体のレシピを書くから、アイリは行程をイメージしてくれ。エジェリーには材料と道具のリストを書くから、準備するように!」
エジェリーとアイリは困惑の表情を浮かべ顔を見合わせた。
* *
そして十日後、試行錯誤の上『季節のフルーツのショートケーキ』は完成した。
採算度外視、素材を吟味して造られた、その白き芸術品の味は素晴らしかった。
日本で普通に食べていたショートケーキなどは、遙かに凌駕していたのだ。
ノアは不覚にも感動してしまう……。
アイリとエジェリーのドヤ顔は可愛らしく、印象に残った。
――せっかく完成させたこのショートケーキ。この世界で活用しない手は無いね!
ノアの計画はさらに発展を見せる事なる。
* *
そして九月に入って最初の月曜日、ノアとエジェリーは再び王宮を訪れた。
前回と同じ若い近衛兵に案内された先は、やはり前回と同じ一室だった。
ただ一つだけ異なった点は、円卓で待つのは国王と王妃と宰相の三人だけだった。
無粋な近衛騎士たちがいないだけで、その部屋は前回よりもとても広く、明るく感じた。
ノアが御前に進むと、王妃が立ち上がり迎えてくれた。
そしてノアは、胸に手を添え深くお辞儀をした。
エジェリーもそれにならい淑女の挨拶をとった。
国王の御前であるにも関わらず、膝をつかなかったのだ。
その行為に対して、国王と宰相は特に触れなかった。
「賢者様、エジェリー嬢。ようこそいらっしゃいました」
王妃が少し首を傾げ、膝を少しだけ落として気品のある挨拶をした。
「どうぞ、お座りになって下さい」
王妃は優しく手を差し伸べ、着席を促した。
「本日のお招きを光栄に思い、そして深く感謝しております」
そう言ってノアは着席した。
エジェリーもそれに倣う。
すぐさまメイドによって、香りの良い紅茶がカップに注がれた。
「我々がこうして再びひとつのテーブルを囲む事が出来るのは、感慨深いものがあるな」
宰相の切り出した言葉に、ノアは大きく頷いて肯定を示した。
ノアは国王や宰相に、余計な気遣いをさせないためにも、早速作戦を開始した。
「本日は王妃殿下に献上したきモノがありまして、準備してまいりました。」
ノアはエジェリーに目配せすると彼女は頷き、用意してきたベルを優しく鳴らした。
すると衛兵によって扉が開かれ、アイリがワゴンを押しながら静かに歩いて来た。
アイリは国王陛下の御前に出るという栄誉の為に、両親に新調してもらった上質のメイド服を着ていた。明るい茶色の髪は後ろでコンパクトにまとめられ、とても清楚で可愛らしかった。
「まずはこの者を紹介致します。私の侍女のアイリ・フリンツァと申します」
アイリは一歩下がりスカートの脇をつまんで挨拶をこなした。
無理もないが、とても緊張しているようだ。
「そして先日の事件の被害者です」
国王、王妃、宰相はアイリをまじまじと見つめ、同様に深く頷いた。
「辛い思いをさせたのう……」国王が気遣った。
「怖かったでしょうに……」王妃が優しく語りかけた。
思いがけず言葉を頂いたアイリの緊張は、極限に達してしまったようだ。
エジェリーが小声で応援する。
「頑張りなさい、お礼を」
「……国王陛下様、王妃殿下様にお言葉を頂き、とても感激しています……先日は過分なお見舞いまで頂戴し……感謝の気持ちでいっぱいです」
アイリは涙を浮かべながらなんとかお礼を述べることができた。
「さて、これからお出しするものはアイリが心を込めて作った一品です。ちなみに考案者は私です!」
ノアが場を明るくするためにちょっとおどけて見せた。
「それではアイリ、お願いします」
アイリがワゴンの上に乗せられた、銀製の半球型の蓋を開けた。すると、白い冷気が広がりゆっくり下へ落ちていく。ノアが二酸化炭素を魔術で圧縮して作ったドライアイスを仕込んでおいたのだ。
「まあ!」王妃が感嘆の声を上げた。
三十センチほどの白いホールケーキが姿をあらわした。
ノアは王妃の上々の食いつきに満足した。
エジェリーが切り分ける様にアイリに目配せをする。
アイリはナイフを取り、ケーキを切ろうとするが、その手は小刻みに震えていた。
エジェリーが小声でささやく。
「大丈夫、私とノアを見て」
アイリは言う通りにエジェリーとノアを見た。
二人とも微笑んでアイリを応援した。
少し落ち着いたアイリはケーキにナイフを入れた。
『大丈夫、何度も練習した』と自分に言い聞かせるように……。
アイリはどうにかホールケーキを綺麗に八等分に切り分けることができた。
続いて小皿に取り分け、国王・王妃・宰相・ノア・エジェリーの順に給仕した。
「どうぞ、召し上がってみて下さい。紅茶によく合うと思います」
「純白のクリームに色とりどりのフルーツが……切り分けた断面もとても綺麗だわ」
王妃殿下がまずは目で楽しみ、すこしフォークで切り分け、口に運んだ。
「美味しい! 程よく上品に甘くて、柔らかくて! 今まで食した事のない食感だわ!」
王妃殿下が瞳を丸くして絶賛した。
ノアは想像通りの王妃の反応に手ごたえを感じた。
「この『季節のフルーツを添えたショートケーキ』を作ることが出来るのは、現在世界中で彼女ひとりです」
「このショートケーキを、王妃殿下が必要となさる時に、必要なだけご提供しようと思うのですが、お役に立ちますでしょうか」
ノアはニヤリと不敵な微笑みを浮かべて、王妃殿下の瞳を覗き込んだ。
王妃は扇で口元を隠し、瞳を上に向けた。
脳内ではすでにこのケーキを使った、婦人社交界での戦略が練り込まれ始めているのだろう!
しばらくすると王妃は下向いて笑いはじめた。そしてノアに告げる。
「あなた様は、いったいどこまで見えているのかしら。その知略、まさに賢者と称えられるにふさわしい。是非このケーキ、わたくしの武器として使わせていただきましょう!」
「お褒めにあずかり光栄です」
ノアが胸に手を当て大袈裟に振る舞う。
「その際ひとつお願いがあるのですが」
「いずれ時を見て、このケーキを一般にも販売したいと思っています。その際、『王妃殿下のショートケーキ』という販売名をお許し頂きたいのですが、いかがでしょう」
「それはかまいませんが……」
王妃は唇を尖らせて、やがて独占できなくなる事を残念がっているようだ。
「ご心配には及びません。王妃殿下には第二、第三の献上品をご用意いたしますゆえ」
ノアがわざと真顔で釈明した。
そんなノアをしばらく真顔で見つめ直してから、王妃は再度口元を扇で隠しながら、ついに大声で笑いはじめた。
「ああ、愉快だわ、もうダメ。わたくしはこの方の虜になってしまいましたわ」
「ねえ、賢者様。もうそう呼ぶのは堅苦しいわ。わたくしもノア様とお呼びしてよろしいかしら」
「それは身に余る光栄です」
予想以上の反応にちょっと引くノアだった。
「賢者殿はよほどの策士であられるな、まったく底が見えん。こわい、こわい」
宰相も首を振りながらつられて笑っていた。
「時に賢者殿……余には、その……何か無いのかね」
「国王陛下、申し訳ございません。本日は王妃殿下への、この一皿のみとなっております。レディーファーストと言う事で、お許しください」
「次回は国王陛下にお悦び頂けるよう、頑張ります!」
ノアはわざとらしく、ちょっと子供っぽく返答した。
「余もこれからは王妃にならいノア殿と呼びたいが……よろしいかな」
「もったいなきお言葉、光栄の至りです」
「ノア様、あと三切れ残っている様ですが、子供たちにも食べさせてあげたいの」
「王子様と王女様へでございますね。かしこまりました。」
「アイリ、よろしくお願いします」
「かしこまりました」
アイリは両手を前で組んで、深々と頭を下げた。
「あと一切れは……、私が頂いてもよろしいかしら……」
王妃は遠慮がちにお替りを要求した。
「王妃殿下……それは危険にございます」
一同が驚いてノアに視線を集中させる。
「このケーキはカロリーがとても高いので、一日一切れで我慢するのがよろしいかと……」
「なるほど……それは危険極まりない……」
王妃は真顔でゴクリと生唾を飲み込んだ。
エジェリーもケーキを見つめ、同様の反応をしていた。
それを見た国王と宰相は大笑いしていた。
本当はバイエフェルト卿にとっておきたかったとは言えないノアだった。
「それではアイリ。もう下がってよいですよ。後はよろしくお願いします。ご苦労様でした」
アイリは深々とお辞儀してから、ワゴンの方向を変え、出口の扉へ向かおうとした。
すると王妃が声をかけた。
「アイリ、とても美味しかったわ。これからもお願いしますね」
アイリは王妃から言葉を頂き感激し、再び向き直って勢いよく、そして深々とお辞儀をした。
アイリが退室した後、ショートケーキを食べながら、しばらく和やかな会話が続いた。
「さて賢者殿、そなたにはこの国がどのように見えている。少し聞かせてほしい」
綺麗に食べ終わった宰相がノアに語りかけた。
「私はこの国に入るまで、リフェンサー様に連れられ、西側列強諸国を二年ほど旅しながら見聞してきました。それらの国々に比べて、この国は美しく、社会的にも安定していています。これはひとえに代々王家の善政による奇跡と言えるでしょう。しかし伝統と格式を重んじる貴族社会は明らかな進歩の停滞を生んでいます。対して混乱と戦争の中、列強諸国は結果的に進歩していて、この国は相対的に弱体化していると指摘せずにはいられません」
ノアも真剣な表情で答える。
「今後世界は急速に発展していくでしょう。乗り遅れると例えレ―ヴァン王国とて、簡単に時代の潮流に飲み込まれてしまうことは明白です。まだ間に合います。私にはこの国の未来を握る皆様に、耳を傾けて頂きたい考えがたくさんございます」
「ウム、素晴らしき見識、まさに賢者よ。どうだろう叔父上。これから毎週月の曜日の午後はノア殿との茶会としたいものだが」
「ご予定をすべて組みなおす事になりますが、よろしいですかな」
「難しいか……」
「いいえ、わたくしも賢者殿との茶会は最優先すべきと考えますが」
笑いながら宰相が答えた。
「アンネマリーは如何かな」
「さすがは国王陛下、良きお考えだと思います。きっと月の曜日が待ち遠しくなることでしょう」
国王は満足気に頷き、今日の茶会を締めくくる。
「今日の茶会は実に楽しく有意義であった。また次回を楽しみにしておりますぞ」
国王はノアを対等の友人と扱い、頭を下げた。
「それでは国王陛下、王妃殿下、宰相閣下、本日はこれにて失礼いたします」
立ち上がったノアは胸に手を当て、深々とお辞儀をし、それに合わせてエジェリーもスカートを摘み、素敵なお辞儀を魅せた。
衛士が開いた扉の前で今一度丁寧にお辞儀をしたノアとエジェリーは、廊下に出てから顔を見合わせ、お互い深くため息をついた。
「さあ、エジェリー。次は父上にご挨拶しなくては……」
エジェリーは無言で頷いた。
ノアはこの後、久しぶりに領地から上京してきたバイエフェルト伯爵に、挨拶に伺う約束を取り付けていた。
――こっちの方が、よほど緊張するかもしれない……。
ノアとエジェリーは足取り重く、厨房近くにあるバイエフェルト伯爵の執務室に向かった。
みんな大好き、イチゴのショートケーキは日本オリジナルであるそうです。
もし十七世紀の人間がそれを食した時、さぞや仰天する事でしょう!




