第64話 聖獣の呪い2~賢者覚醒~
「ノア様、いかがなさいました!」
そんな時、アリス・スピルカが寝室に飛び込んできた。
ノアとブレーデンは無言のままアリスを出迎える。
「その娘は……どうされたのですか」
アリスは両手で口を覆い、恐怖の表情を浮かべて二人に問うた。
「聖獣の呪いです……」
ノアが小さく首を振りながら、アリスに答えた。
「ブレーデンさん、アリス先生。誰かこの呪いを解ける魔術士をご存じありませんか?」
二人は沈痛な面持ちで首を左右に振った。
「スピルカ家一門には、手に余ります……」
「この国の神聖教会にも、そのような魔術をお持ちの聖職者様はおられませんし、仮に生身の人間で、これだけの退呪術を行えるとすれば……」
「……聖女様……ですね」
ノアには答えは解っていた。
――テレージアがここにいてくれたら……。
この事件が勃発して以来、ノアは何度もテレージアの顔が浮かんでいた。
結局そこに行きついてしまうのである。
「もし聖女が呪いを解くとして……。どのような方法を取るのでしょうか? 先ほどの魔道具の様に、呪いを吸い出す方法を取るとは考えづらいのです。もっと違った方法を取るはずだ……」
ノアは自分の考えをまとめながら、ブレーデンとアリスの見解を正した。
「聖女様特有の聖なる魔力で、呪いを駆逐する、もしくは中和するのではないでしょうか」
アリスは両手の指でこめかみを抑えながら呟いた。
「アリス先生! 素晴らしい仮説です。ぼくもまったく同感です。前にも話した通り、魔術の研究はこうでなくてはいけません。さっそく検証しましょう!」
ノアは何となく解決の糸口が見えて来たような気がした。
「ぼくにはヒントがあったのです。フレイヤは、ぼくのローブに包まれている時や、ぼくに抱かれている時はとても楽だと言っていました。これはぼくという個体より、ぼくを覆っている聖女の加護が影響していたのではないでしょうか」
「なるほど!」
ノアが聖女の加護持ちである事を知っているアリスは、ピン! と来たようだ。
一方、その事実を知らないブレーデンは、不思議そうに首を傾げた。
「ブレーデンさん、ぼくはローゼマリーさんとテレージアと、二人の聖女の加護を受けているのですよ」
「それはなんとも贅沢な……。ノア様らしいと言えばそれまでですが」
ブレーデンは目を丸くして驚いた後、呆れたような表情に変わった。
「アリス先生、魔力感知の精度は上がりましたか?」
「はいノア様。あれから私とレベッカで練習しました」
ノアは満足気に頷いた。
「それではさっそくフレイヤを視て下さい!」
アリスは無言で頷くと、ベッド脇の椅子に腰かけ、目を閉じ集中した。
アリスの眉間に皺がより、表情が険しくなった。
「なにか見た事も無い、どす黒い靄のようなモノが彼女の体内に滲み込んでいます」
「ぼくが彼女の腕を握ると、どうなりますか?」
「ああ、ノア様が握られている周辺だけ、黒い靄が薄くなります!」
「やはりそうですか……。ならばぼくが持っている聖女の加護を、彼女に注ぎ込めれば良いのですが……。残念ながら自分の魔力ではないので、全く制御できません」
「ノア様……出来るかもしれません」
ブレーデンには、なにか策が思いついたようだ。
「聖女様の魔力を吸い上げ、彼女に供給する魔力回路を構築します。魔力は一方通行ですので、物理的な仕掛けと付与魔術は難しくありません。問題は聖女の魔力に適正を示す魔結石があるのか、さらにその耐久性です」
「時間が無い! すぐ準備して頂けますか!」
「かしこまりました。アリス先生、あなたも手を貸して下さいな」
「お手伝いします、司書長!」
ブレーデンとアリスはすぐに宝物庫に向かった。
「フレイヤ、具合はどうだい……?」
ノアはフレイヤの乱れた白い髪を直しながら話しかけた。
フレイヤはノアの問いかけに少しだけ唇を動かすが、言葉を発する事は出来なかった。
シャルトットはそんなフレイヤを大粒の涙を流しながら見ているのが精一杯だった。
よほど急いだのか、ブレーデンとアリスは思いのほか早く資材を持ち帰ってきた。
さっそく実験が始まった。
ノアの腕にブレスレットがはめられ、魔力伝導率の良好な鎖で、魔結石鑑定用の台座に接続された。
ブレーデンが愛用のタクトの尖端で各部をチョイチョイと叩きながら、難解な詠唱を唱える。
「これで、入力側の回路を構築しました。聖女様の加護に適正のある魔結石が解るはずです。ノア様はご自分の魔力が流れださないように注意をお願いします」
ブレーデンはありったけの魔結石を台座の皿に乗せ、検査していく。
すると大きめの赤い魔結石が強い光を放った。
「アリス先生、魔力の移動が確認出来るかしら?」
「はい、ノア様から聖女様の魔力が、魔結石に向かって伸びているのが解ります!」
「よし!」
ノアにも一筋の光明が見えた。
「次に出力側を構築しましょう」
ブレーデンが手際よくフレイヤと台座を繋いで作業を終わらせる。
「アリス先生、いかがかしら! 魔力は流れていますか!」
ブレーデンが真剣な表情でアリスに問いかけた。
「はい、流れ始めました!」
「凄いです。聖女様の加護がどんどん黒い靄を浄化していきます!」
「半分くらい消えました!」
ノアとブレーデンは向き合って、お互い安堵の表情を浮かべた。
「いや、いけない! 黒い靄に押し返されます!」
「なんだって!」
ノアも予想外の事象に狼狽した。
「ダメです、完全に押し戻されました!」
黒い靄はそのまま回路を逆流、赤く輝く魔結石をどす黒く染め、亀裂を生じさせてしまった。
「くそう! なんで呪いが盛り返すんだ⁈」
ノアは外したブレスレットを床に叩きつけた。
「……ノアさま……もう結構です……。わたしなんかの為に……ごめんなさい」
フレイヤはやっと少しだけ瞼を開け、焦点の定まらない目でノアを探しながら呟いた。
その後、沈黙だけが、その場を支配した。
万策が尽き、時間も尽きた……。
「……こないで……怖い……誰か助けて……」
最後に発したフレイヤの声だった。
聖獣の呪いで最も恐ろしいのは、死後魂までも呪われる事だった。
フレイヤの呼吸は停止し、瞳孔は開いたまま精気を失った。
「フレイヤ――!」
ノアはフレイヤの頬を叩いた。
ノアは自分の目の前でひとりの娘が死んでいく事実を許せなかった。
きつく両手を握りしめ、何度も首を左右に振った。
――なにが賢者だ。なにが極大魔術士だ。ぼくは目の前の一人の女性すら救う事が出来ないじゃないか! ぼくの魔術は、人を簡単に殺すためだけにあるのか!
絶望の寸前、ノアは一つの疑問にたどり着いた。
――ぼくの魔術はいったい何のためにあるんだ⁈
刹那の時間、ノアは冷静に脳内で論法を展開した。
――まてよ……。ぼくは自分で回復系や付与系の魔術は使えないと決めつけていないか? たしか教皇庁ではクリシュトフ卿から『精霊の聖騎士』だと言われた。あの時は大袈裟な事だと思っていたが、真実なのかもしれない。
――聖獣も聖女も、魔力の根源とするものは精霊の魔素粒子に過ぎない。
――だったら聖獣も聖女もぼくも同属性だ。それなら精霊術士としては、ぼくの方が絶対、上位種であるはずだ……。
――そして呪いの正体は負の魔素粒子ではないのか⁈
――ならば、この呪いをぼくの魔力でねじ伏せてみるか!
ノアのエメラルドグリーンの瞳にチカラが戻った。
すぐさまフレイヤの下着を胸のあたりから左右に破り払った。
豊な胸が振るえて露出したが、肌はすでに血色を失っていた。
胸の谷間に右手を添え、ノアは目を閉じて集中した。
アリスの言う通り、黒い靄の様なざわめきが見える。
そして一本の細い糸の存在に気がついた。
――なるほど、この糸から呪いの魔素粒子が供給されていた訳だ。
ノアはさらに集中し、細い糸の先を辿る。
周囲の景色が、光の様な速さで飛び去って行くのが見える。
すぐにノアは白い牡鹿の聖獣本体に到達した。
一瞬だけノアには、聖獣の傍にいる三人の姿が見えた。
――そうか、君は命を奪われて、自らの呪いを利用されたのか……。
ノアは、聖獣から魂の救いを求める様な意思を感じとった。
――わかった。君を探し出して、必ず救おう……。
するとわずかな時を置き、呪いの糸は消滅した。
ノアは一瞬自分の座標を見失い、眩暈を感じよろめいた。
やるべき事が解り、やろうと決めたノアには落ち着きと自信が戻った。
「みんな、下がって。窓から離れて!」
「フレイヤ、聞こえるかい。これからぼくが大量の魔素粒子を、君の身体に流し込む。気をしっかり持って、ぼくを受け入れるんだ!」
心臓の鼓動が無いフレイヤに届くかどうかは分からなかったが、それでもノアは彼女に言い聞かせた。
「いくよ!」
「フン!」とノアが気合を入れると、同時の寝室の窓ガラスがすべて粉々に砕け散った。
瞬時にノアは左手で魔力障壁を張り、ガラスの破片の飛散を食い止める。
魔力障壁に阻まれたガラスの破片はパラパラと垂直に落下していった。
ノアが魔力障壁を解くと、既に闇に包まれた外の空間から、津波の様に大気が押し寄せて来た。
その衝撃に近くの女性達から悲鳴が上がる。
燭台のろうそくの炎は一瞬でかき消され、寝室は明かりを失った。
暴力的な大気はノアの周りで渦を巻き始めた。
なにもノアは大気を集めているわけでは無かった。
それは外界から集める大量の魔素粒子が、大気に影響を及ぼしている現象に過ぎなかったのだ。
ノアから魔素粒子を注入され始めたフレイヤは、時折全身を大きく痙攣させた。
「アリス先生! ぼくの杖を持ってきて! 魔力量の制御に使いたい!」
すぐさまリーフェが居間にノアの愛杖『レーヴァテイン』を取りに行った。
そしてアリスに両手で手渡した。
素人から見ても、魔力耐性がなければ近づく事さえ危険である事は理解出来た。
「アリス先生! 気をつけて。今ぼくの周りは魔素粒子圧がかなり高い!」
「はい、ノア様、注意します! 杖を受け取って下さい」
アリスは距離感を測り、ノアに片腕で杖を差し出した。
強風にあおられ、アリスの赤い髪やローブが大きくなびいた。
ノアが杖を掴んだ瞬間、青白い発光と共に『バチッ!』と衝撃音が響いた。
「ツッ!」
アリスが高電圧に感電したように後ろに飛び跳ねしりもちをついた。
ノアは左腕で受け取った『レーヴァテイン』を持ち替え、垂直に立てると、そのまま床に打ち付けた。
すると杖の上部に埋め込まれた大きな魔結石が、紫色に輝き始めた。
でたらめに渦を巻いていた大気は、杖を中心に落ち着きを見せ始める。
「あの杖の魔結石が輝くのを、初めてみたわ!」
賢者リフェンサーが愛用していた頃から、この杖を知るブレーデンが感動の声を上げた。
アーティファクトアイテム『レーバテイン』が真の能力を発揮し始めた瞬間だった。
ノア自身も『レーヴァテイン』の優秀な仕事に驚いていた。
でたらめに流れ込んでくる魔素粒子を蓄積し、圧力や流量を調整してノアに送り込んでくれるのである。
おかげでノアは魔力操作がとても楽になった。
「アリス先生、よく観ておくのですよ。この世でもっとも偉大な魔術士の御業を……」
「はい……司書長……」
「アリス先生! 呪いの影はどうですか⁉」
ノアがアリスに向かって叫んだ。
アリスは我に返って、目を閉じ集中した。
「ノア様の送り込む魔力が、影を駆逐しています!」
ノアは大きく頷いた。
「頑張れフレイヤ。耐えるんだ!」
大量の魔力を注入され続けているフレイヤの肉体は悲鳴を上げていた。
鼻や耳から血が流れだす。
白いかぼちゃパンツも出血により赤く染められていった。
「アリス先生、経過を報告して下さい!」
「ノア様! 先程と違います! あと少しで駆逐出来ます!」
「もう少しだ! もう少しだ! がんばれ!」
ノアは自分とフレイヤに言い聞かせた。
「消えました! ノア様! 完全に消えました!」
アリスが叫んだ。
「よし、フレイヤ! 君は呪いから解き放たれた! 心臓よ、再び鼓動を!」
ノアは極度の集中による繊細な魔力操作、そして『レーヴァテイン』の一体感により、イメージ通りに魔力を操る感覚に目覚めていた。
ノアは魔力を操り、フレイヤの心臓を優しく包み込んだ。
そして何度か収縮を繰り返し、電気的のような衝撃を与える。
ノアがおこなっているのは、魔力操作による心肺蘇生であった。
「帰って来い! フレイヤ!!」
『ゲホッ!』と吐血と共にフレイヤは息を吹き返えした。
ノアは左手の『レーヴァテイン』をゆっくりとベッドに立てかけた。
左手を離すと魔結石の光量がゆっくりと落ちていく。
ノアは両手でフレイヤの頬を支えると、横向きにゆっくりと動かした。
口から少量の血が流れ出た。
そして左手を額に移す。
ノアは目を閉じ意識を集中して、フレイヤの容態を確認した。
今やフレイヤとノアは通常ではありえない程の魔力のシンクロ状態にあった。
「もう大丈夫だ……フレイヤ」
意識は無いフレイヤだが、閉じられた瞼からは、一筋の涙が頬を伝った。
ノアはゆっくりと状態を起こし、四人の方へ向き直った。
「ブレーデンさん、回復魔術をお願いします。みんなはフレイヤを綺麗にしてあげてくれ……」
未だ大量の魔素粒子を身に纏い、暗い部屋の中で淡く発光するノア。
ブレーデンとアリス、リーフェとシャルロットは、そのノアの神々しい姿に、等しく頬に涙を伝わせるのであった。




